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2014年5月10日 (土)

ブランケンブルク『自明性の喪失』その11・邦訳78頁~

 みすず版の翻訳を検討しているのですが、このところ細かいところをたくさん取り上げるようになってきています。はじめは自分の目から見て患者の診断に関わるところだけを取り上げようと思っていたのですが、我が国の多くの精神科医がこの本の細かな表現に注目しては、それを根拠に診断を論じているのがわかってきたので、どうしても細かな訳語まで気になってきてしまうのです。

 前回の続きです。まずはアンネ自身の訴えについて。ここで「そのままにしておく」と訳されているのは、「sich gehenlassen」という再帰動詞です。「sich」がなければ、「そのままにしておく」でよかったと思いますが、「sich」が付くと、「(自分をそのままにしておく=)自己抑制しない、感情に流される、だらしなくする」といった意味が辞書に載っています。

《 私にはどうすればいいのかわかってはいるのです。でもそれではだめなのです。昔はどうだったか、昔どう言われたかを思いだしたら安心できます。これまではそのままにしておくということができませんでした》。(邦訳78頁)

《 私はどう行動すればいいのか知ってはいるのです。でもそれではだめなのです。でも昔はどうだったか、昔どう言われたかを思いだしたら十分なのです。これまではありのまま振る舞うということができませんでした》。(代案)

 ここでは、ヒット中の英語曲で『let it go』(ドイツ語でのgehenlassenという表現に対応します)と歌う一節の訳詞が『ありのまま』となっているのを参考にしました。それと、いくつもの原語がみすず版では一緒くたに「わかる」と訳されてしまっているという点については、これまでも何度も述べてきた通りです。

 次もやはり「わかる」という訳語が問題ですし、本書のタイトルにもある「自然」という語も、できるだけ原語との対応を一貫させたいところです。

考えて答えを出せるような問題ではなく、《とても簡単なこと》なのに、それがほかの人にはみな自然にわかっていて、彼女だけにはわからないのであった。(邦訳78頁)

理性で答えを出せるような問題ではなく、《とても簡単なこと》なのに、それがほかの人はみなおのずから知っていて、彼女だけは知らないのであった。(代案)

 次は、邦訳には構文的な問題があって意味を取りづらい箇所です。代案では多少言葉を補いました。

彼女の列挙する一切の事が彼女にとって簡単なことでなかったのは明らかであるが、彼女が自分に欠けていると感じているものを十分に言い表せるほどには単純ではなかった。(邦訳78頁)

彼女の列挙する一切の事が、彼女にとって簡単なことでなかったのは明らかであり、また十分に基本的なところまで迫っていないので、彼女が自分に欠けていると感じているものを十分に言い表すことはできていない。(代案)

 次の箇所では、みすず版の邦訳でも「wissen」と「verstehen」が「知る」と「わかる」とに訳し分けられているのでそのまま生かしましたが、完了形のニュアンスが訳し落されていました。原文でも完了の助動詞「haben」がイタリックで強調されています。

簡単な言葉の理解についても同様だった。《まるで自分ではわかっていないのに、そのことについて話し続けなくてはならないみたい。だれかと付き合うためには、ある種のことを知っていて、ちゃんとわかっていなくてはいけないのです。でないと笑いものにされるし、自分で自分がしっくりとこないのです。全部のことを知る必要はない、基本的なことだけわかればそれでいいのです》。(邦訳78頁)

簡単な概念についても同様だった。《まるで自分ではわかっていないのに、そのことについて話し続けなくてはならないみたい。だれかと付き合うためには、ある種のことを知っていて、ちゃんとわかっておかなくてはいけないのです。でないと笑いものにるし、自分で自分がしっくりとこないのです。全部のことを知る必要はない、基本的なことだけわかっておけばそれでいいのです》。(代案)

 この「笑いものになる」あたりに被害関係念慮を読み取ることもできるかもしれません。

 次は「abgehackt」「aufgegangen」「federleicht」「froh」「getragen」の各語について、辞書的意味に忠実に変更してみました。

それが以前のように《てんでだめ》ではなくて《ちゃんとすぐにわかった》と思った彼女は、《気も心も軽く》なって、《きちんとした》気持ちになれた。(邦訳79頁)

それが以前のように《とぎれとぎれ》ではなくて《ちゃんとすぐに納得できた》と思った彼女は、《軽々と》感じられて、うれしい、《ゆったりした》気持ちになれた。(代案)

 次も細かいところばかりです。なお、「わかる」は「wissen」なのでここまでの訳し分けと違いますが、ここは文脈に合わせてそのままにしました。

《どうなっているのかわからなくなってしまいました。勝手が違うのです。これまでどおりのことなのかもしれませんけれど、私にはわかりません。ほかの人の前だとぎこちなくなってしまいます。何か忘れていることがあるような感じ。考えがまとまらなくて…(邦訳79頁)

《どうなっているのか見通せなくなってしまいました。目新しいことです。これまでどおりのことなのかもしれませんけれど、私にはわかりません。ほかの人の前だといつもぎこちなくなってしまいます。いつも何かやり忘れていることがあるような感じ。考えが締めくくれなくて…(代案)

 次が今回の最後です。

籠を編む作業はできても -それはたったの一面だけですから-、 ほかの人のように心からそこにいあわせて仕事にはいりこむこと -つまり心に落ち着きを持って、自分というものをしっかり保つというもう一方の面が私にはないのです。いつも、大切なことを忘れているみたい。(邦訳79頁)

籠を編む作業には私も加わります -それはたったの一面だけですほかの人は人格的にもそこにいあわせて成長していくのですから -つまり心に落ち着きを持って、頑張ってやりとおしているのですから、釣り合いとなるものを持っているんです。その釣り合いとなるものが私にはないのです。いつも、大切なことをやり忘れているような。(代案)

自明性の喪失―分裂病の現象学 W.ブランケンブルク、木村 敏、岡本 進、 島 弘嗣  (1978/7/10)

Der Verlust der natuerlichen Selbstverstaendlichkeit Wolfgang Blankenburg  (2012/11)

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