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2014年6月

2014年6月23日 (月)

ブランケンブルク『自明性の喪失』その14

 前回で、私が目指していた病歴の章の検討は終りですが、後ろの頁からひとつ取り上げたいと思います。

 次に引用する箇所では、「患者は自分の状態について…とかのことばを並べたてるばかりであった」とありますが、「自分の状態について」は訳者による補足であり、むしろここでは患者は、自分の状態ではなく、思考促迫や表象促迫について語っています。

アンネの思考促迫ないし表象促迫(こうしたことばでは不正確にしか言い表せないが)は容易には説明できない性格を有していた。そのことが話題になった時、彼女が顔をゆがめながら示した激しい狼狽は、適切に言語化できない精神病症状の核心がその辺りにひそんでいることを如実に示していた。それを具体的に表現することができないままに、患者は自分の状態について《たこの糸が切れた》(herausgeloest)とか《まるででたらめ》(so ganz unvernuenftig)とか《ふつうでない》(ungewoehnlich)とか《おかしな具合》(komisch)とかの言葉を並べたてるばかりであった。(みすず版邦訳86~87頁)

アンネの思考促迫ないし表象促迫(こうしたことばでは不正確にしか言い表せないが)は容易には説明できない性格を有していた。そのことが話題になった時、彼女が顔をゆがめながら示した激しい狼狽は、適切に言語化できない精神病症状の核心がその辺りにひそんでいることを如実に示していた。それを具体的に表現することができないままに、患者は[思考促迫や表象促迫について]《浮かび出てくる》(herausgeloest)とか《まるででたらめ》(so ganz unvernuenftig)とか《ふつうでない》(ungewoehnlich)とか《おかしな》(komisch)とかの言葉を並べたてるばかりであった。(代案)

 ここは、邦訳69頁と関連しており、このブログでの検討にもすでに出てきました。http://freudien.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-d66f.html

 今回でこの本からはいったん離れようと思います。私はアンネの診断について、自閉症スペクトラムを疑うべき所見がはっきり読み取れるとはいえないと思いましたが、みなさんはどうでしょうか。

自明性の喪失―分裂病の現象学
W.ブランケンブルク、木村 敏、岡本 進、 島 弘嗣
(1978/7/10)

Der Verlust der natuerlichen Selbstverstaendlichkeit
Wolfgang Blankenburg 
(2012/11)

2014年6月21日 (土)

ブランケンブルク『自明性の喪失』その13・邦訳82頁~

 この本の邦訳を検討してきましたが、病歴の章は今回で終りです。

だから私は、いつもたくさんの疑問が、とてもたくさんの疑問があるから、理解できないという気持ちなんです》。(ひょっとするとそういう気持ちを持っていると思いこんでいるだけじゃないの?)《ええ、たぶんそうかもしれません。(みすず版邦訳82頁)

だから私は、いつもたくさんの疑問が、とてもたくさんの疑問が未解決だから、理解できないという感情を持つんです》。(ひょっとすると誤った感情じゃないの?)《ええ、たぶん誤りかもしれません。(みすず版邦訳82頁)

 ここの「理解verstehen」は、本書のキーワード「自明性」という語にも成分として含まれています。前回もそうでしたが、患者アンネ・ラウは、自分に欠けているのは感情的な事がらだと繰り返し言っています。ところが本書では、次の章から精神病理学的・哲学的に検討されていく際には、感情に関する部分は大幅に省略されていて、アンネに欠けているものが何やら哲学的な事がらにされてしまっているように思います。

 次です。「弱々しくhektisch」は邦訳68頁で「熱に浮かされたような」と訳されていたのと同じ表現ですが、辞書では「せわしなく」です。

(そんなに根掘り葉掘り考えることはやめてしまえないの?)《いろいろ考えることをやめるなんてこと、不可能です。先生のおっしゃる、いつも自分を判断してるってこと、それは自動的にそうなるのです。感情がないから、なんとかその埋め合わせをしなければならないのです》(弱々しく笑う)。彼女が《うめあわせ》というのは、彼女に不足しているものを意識的に考えることで補おうとすることである。(みすず版邦訳82頁)

(そんなに詮索することは自制できないの?)《いろいろ考えることを自制するなんてこと、不可能です。先生のおっしゃる、いつも自分を判定しなければならないってこと、それは自動的にそうなるのです。感情がないから、なんとか裏からその埋め合わせをしなければならないのです》(せわしなく笑う)。彼女が《裏から》というのは、彼女に不足しているものを意識的に考えることで補おうとすることである。(代案)

 次も同じ段落からです。 本書のタイトルにある「natuerlich自然な」という語にはやはり同じ訳語を当てたいところです。

私はほかの人から元気がなくてゆううつそうにみられるんです。でもそれにもう一つ別の故障があって、そのためにふつうの元気のなさがいっそうひどくなっているのです …でなければこんなにだめにはなりません。ほかの人はそれがないので、どうもないようにみえるのです。(みすず版邦訳82頁)

私はほかの人から抑制的で悲しげにみられるんです。でもそれにもう一つ別の障害があって、そのために自然な抑制がいっそうひどくなっているのです …ここが弱みなのです。ほかの人はそれがないので、障害なしにみられるのです。(代案)

 次です。「感情」「障害」といった言葉からわかるように、前段落の内容を引き継いで語られています。

今日はふつうの感じがあります。ここへ来たとき、浮きうきしたみたいな、嬉しい気持でした。でもまだときどき感じのなくなることもあります。(みすず版邦訳82頁)

今日はふつうの感情があります。ここへ来たとき、浮きうきしたみたいな、嬉しい気持でした。でもまだときどき感情の障害もあります。(代案)

 次も同じ段落からで、アンネの調子が良い時の様子です。

家庭の中とかなんかでたいせつなことはなにかということが、またわかってきました。(みすず版邦訳82頁)

家庭の中とかなんかで世間一般からみてたいせつなことはなにかということが、またはっきりしてきました。(代案)

 最後の段落は、「その後の経過については…」と始まりますが、実際には、ほとんどがここまですでに記載されてきた経過の要約です。診断にかかわるような訂正点はないのですが、直訳で代案を示しておきます。

外面的に見ても、患者自身の苦痛の点でも、三年間の経過のうちにすこしずつだんだんに良くなっていたが、その間には何回も悪化があった。薬物療法も電気もインシュリンも持続的な効果はなかった。精神指導的な努力はいくらかの影響を与ええたけれども、無意識をあばくような精神療法に対しては、患者は激しい抵抗を示して、急速に自殺念慮が高まり、そのつど即座に精神療法を中止し、より支持的な面接治療と生活指導に逆戻りせざるをえなかった。家族療法は残念なことにおこなえなかった。患者は一年後に退院して、デイケア(おもに作業療法)を施され、その後負担にならない程度の条件で家政婦として働いた。(みすず版邦訳83頁)

客観的な障害の程度も主観的な苦痛の度合いもはじめ三年間の経過のうちにすこしずつだんだんに良くなっていたが、その間には何回も、長短さまざまな再発による悪化があった。薬物療法も電気もインシュリンも持続的な効果はなかった。心理教育的な努力はいくらかの影響を与ええたけれども、無意識をあばくような精神療法の試みに対しては、患者は激しい抵抗を示して、急速に自殺念慮が高まり、そのつど即座に試みを中止し、より支持的な対話療法社会精神医学的措置に逆戻りせざるをえなかった。家族療法は残念なことにおこなえなかった。患者は一年後に退院して、入院治療からデイケア(おもに作業療法治療へと引き継がれ、その後負担にならない程度の条件で家事に雇われた。(代案)

 ここでこの章は終りです。

自明性の喪失―分裂病の現象学 W.ブランケンブルク、木村 敏、岡本 進、 島 弘嗣  (1978/7/10)

Der Verlust der natuerlichen Selbstverstaendlichkeit Wolfgang Blankenburg  (2012/11)

2014年6月20日 (金)

ブランケンブルク『自明性の喪失』その12・邦訳80頁~

 病歴の章は残り少なくなってきました。翻訳の検討を続けます。

患者は一年あまりの入院の後、一九六五年のクリスマスに退院を許された。その後数ヵ月間は昼間だけ作業療法に通ったのち、外来治療を続けながらパートタイムの家政婦をはじめた。最初のうちまだ作業能力が大そう低く、ちょっとしたこともうまくこなせなかったから通院は必要であった。(みすず版邦訳80頁)

患者は一年あまりの入院の後、一九六五年のクリスマスに退院を許された。その後数ヵ月間は昼間だけ作業療法に通ったのち、治療的な条件の下で、ある家庭で半日間の仕事を始めることができた。最初のうちまだ作業能力が大そう低く、ちょっとしたこともうまくこなせなかったから後者[=治療的条件下での仕事]は必要であった。(代案)

 この箇所について、かねてから私は、いったいどんな制度のもとでの治療だったのだろうかと疑問に思っていましたが、著者ブランケンブルクと直接会って話したことのある精神科医からお聞きしたところによると、患者アンネ・ラウは、精神科医の家庭に引き取られて面倒をみてもらっていた時期があるというのです。上の箇所はそれに当たるのかもしれません。

 次の箇所の代案で、「痛いweh」という語を使ったのは、すぐ次の段落に同じ語が出て来る際の訳語と揃えたからです。ほか、「感情」という語については以前の箇所に揃えました。また、「beiseitelegen」という語が二度出て来るので、訳語を「片付ける」で揃えました。みすず版の邦訳で「頭の中が混乱してしまいます」とされている箇所は、精神症状の表現ですから意訳せず直訳に戻しておきました。

いろんな印象が、またときどきひどくこたえるようになりました。疑問が多すぎて… きちんとしたけじめが感じられるようになりたい… それを健康な人のように心で感じとって、すっきりしたいのです。それが大切なことなのに…。(絶望した様子で)ほかの人のことをどう判断したらよいか、ものごとをどうやって確かめて、どうやって片付けたらよいのかがわからないと、頭の中が混乱してしまいます。(邦訳80頁)

いろんな印象が、またときどきひどく痛くなります… 疑問が多すぎて… きちんとしたけじめが感じられるようになりたい… それを健康な人のように感情的に洞察して片付けたいのです。それが大切なことなのに。(絶望した様子で)ほかの人のことをどう判断したらよいか、ものごとをどうやって確かめて、どうやって片付けたらよいのかがわからないと、誰でもうろたえてしまうものです。(代案)

 次の箇所は、上の引用箇所の冒頭と似たような内容の繰り返しですが、邦訳では訳語が揃ってません。文脈によっては、「痛い」という訳語がちょっと奇妙な表現に感じられるでしょうが、アンネ自身の原語での表現もやや奇異であったらしいので、同じ表現で統一しておきます。ほか、「Begriff概念」という語がなぜか「ことば」と訳されているので直していきます。

《いまはもう、いろんな感じが痛く感じられるだけになってしまいました。はじめのころ、痛い感じが始まったのは、何もかもが疑問になったときでした。年をとるとはどういうことか、とかなんとか。そういったことばの意味を考えずにはいられなかったのです。それは苦痛なことでした。ことばのちゃんとした意味の感覚がなくなってしまったのです。いろんなものごとの感じがないのです。たとえば病気とか苦しみとか日常生活とか》。(それはけっして彼女を悲しい気持ちにさせるようなことばのことだけではなかった。《どんなことばでも、それが出てくるとみんなそう》なのだった)。《そういったことばの意味がわかる前に、まずはじめに痛い感じがするのです…》。(邦訳81頁)

《いまはもう、いろんな印象が痛くなだけになってしまいました。はじめのころ、痛くなるのが始まったときいつも疑問ばかり持っていました。年をとるとはどういうことか、とかなんとか。そういった概念を考えずにはいられなかったのです。それは痛くなりました概念の感情がなくなってしまったのです。私から欠けてしまっているのは、いろんなものごとの感情なのです。たとえば病気とか苦しみとか日常生活とかの感情》。(それはけっして彼女を落胆させるような概念のことだけではなかった。《どんな概念でも、それが出てくるとみんなそう》なのだった)。《そういった概念の意味がわかる前に、まずはじめに痛くなるのです…》。(代案)

 ここでは、自分に欠けているのは感情的なことだといっています。邦訳75頁でも語られていましたが、アンネが喪失したと述べる『自然な自明性』とは感情的なこと、「わかったという感情」のようなことのようです。

 次の段落の邦訳に何箇所か出てくる「痛さ・痛み」という表現は、前の段落までに出てきて「痛い」と訳してきた語「weh」とはちがう「Schmerzen」という語なので、「苦痛」と訳し変えるのがよいと思います。次の引用箇所はその段落の後半です。「auf...eingehen」を「応対する」としてみました。

この痛みがあるかぎり、本当に晴ればれした気持になってほかの人とつきあうことができないのです。-たとえば会社で、私は自分のことをとても変だと思いました。人の話がわからないっていうことが重荷なのです。ことばは聞こえます。ただ、人の話に心からはいっていくことができないのです。(邦訳81頁)

この苦痛があるかぎり、本当に晴ればれした気持になってほかの人に応対することができないのです。-たとえば会社で、ほかの人は私のことをとてもおかしいと思いました。聴き入ることができないっていうことが重荷なのです。ことばは聞こえます。ただ、人[の話]に心から応対することができないのです。(代案)

 次が今回の最後です。すでに何度も強調してきましたが、「わかる」という語は本書のキーワードであって、特定の原語と対応させて使うべきですが、以下の箇所はまたちがった原語に対応しています。

私が見たり、考えたり、聞いたりするものがいったい何なのかということがよくわかりません。ほんとによくわからないのです。(ひょっとするとほかのひとにもわかっていないのでしょう、ただほかの人はそんなこと疑問にも思わない)(邦訳81頁)

私が見たり、考えたり、聞いたりするものがいったい何なのかということが私まで届かないからです。ほんとに不十分なのです。(ひょっとするとほかのひとにも届いていないのでしょう、ただほかの人はそんなこと疑問にも思わない)(代案)

 病歴の章は残り2頁となりました。

自明性の喪失―分裂病の現象学 W.ブランケンブルク、木村 敏、岡本 進、 島 弘嗣  (1978/7/10)

Der Verlust der natuerlichen Selbstverstaendlichkeit Wolfgang Blankenburg  (2012/11)

2014年6月11日 (水)

ヤスパース『原論』の再読(附録)

 この本の翻訳の検討はこれで最後になりました。

現象学的に明らかにするためには、患者にできるだけ自分の精神的体験の形を見させるようにし、自己観察をさせるようにして、体験の内容だけでなく、体験の主観的な様式をわれわれに伝えてもらわなければならない。(379頁)

現象学的に明らかにするためには、患者にできるだけ自分の精神的体験の形を見させるようにし、自己観察をさせるようにして、体験の内容を通じてだけでなく、体験の主観的な様式を通じてわれわれに何かを伝えてもらわなければならない。(代案)

 次は、前々回も扱った、verruecktという言葉に関するところです。

慢性の妄想患者はその妄想体系をいわないように気をつけるが、それは皆が自分を気が狂っていると思うことを知っているからである。(380頁)

慢性のパラノイア患者はその妄想体系をいわないように気をつけるが、それは皆が自分を偏執狂と思うことを知っているからである。(代案)

 最後は、記述者と分析者を対比して論じた箇所からです。構文に省略もあって難しいんですが、私は次のように解しました。構文全体に関わるので、今回は変更箇所に下線を引きません。

それゆえ記述者はどっちへ行ってもうまく行くが、分析者はうまくいかない。しかし記述者は同じところをぐるぐる回っており、分析者は先へ先へと進んでいく。(395頁)

それゆえ記述者の広大な成果が、分析者にとっては失敗にあたる。しかも記述者が同じところを堂々巡りすることが、分析者にとっては進捗にあたるのである。(代案)

 読みかけの本はこの調子で次々に片付けていきたいものです。

 

精神病理学原論 
カール ヤスパース (著), Karl Jaspers (原著), 西丸 四方 (翻訳)
みすず書房; 限定復刻版 (1971/01)

Allgemeine Psychopathologie Ein Leitfaden Fur Studierende, Arzte Und Psychologen (1913) Karl Jaspers (ペーパーバック - 2009/11)

2014年6月10日 (火)

ヤスパース『原論』の再読(第七章)

 この本の翻訳の検討も終りが見えてきましたので、一気に進めたいと思います。

 まずは、単なる単語レベルの問題です。「接神論」は私の辞書では探せません。

あるグループには異常者や精神病患者が集まる性質があり、外人部隊とか、自然にかえれ主義や菜食主義の人のグループとか、何々健康法の狂信者の団体とか、心霊主義者や神秘主義者や接神論者の集まりなどがそうである。(366~367頁)

あるグループには異常者や精神病患者が集まる性質があり、外人部隊とか、自然にかえれ主義や菜食主義の人のグループとか、何々健康法の狂信者の団体とか、心霊主義者や神秘主義者や神智学者の集まりなどがそうである。(代案)

 次の箇所に含まれる「変質entarten」の語は、1箇所(「遺伝的の変質」の箇所)を除いて、320頁で出てきた「変質性精神病」という表現とは原語が異なりますので、ここは「変性」にしておきます。略した部分にも4箇所、また引用箇所の後ろの段落にも1箇所、「変質」の語がありますが、やはり「変性entarten」とすべきと思います。

 文化の発展の影響である種族は種族は「変質」するのか。(…略…)文化の影響による変質の存在をどうしても考えさせる顕著な例は文化家系の運命である。この場合二つの見解がひどく対立する。一方においては遺伝的の変質は起こらないと考えられ、子孫が子供の時からもうぶつかる環境の作用で、柔弱になり、努力を避け、怠惰になり、不規則な生活をし、子供の数を無理に制限し、偶発事故のためにそういう結果になると説明される。(368~369頁)

 文化の発展の影響である種族は種族は「変性」するのか。(…略…)文化の影響による変性の存在をどうしても考えさせる顕著な例は文化家系の運命である。この場合二つの見解がひどく対立する。一方においては遺伝的の変質は起こらないと考えられ、子孫が子供の時からもうぶつかる環境の作用である。つまり柔弱になり、努力を避け、怠惰になり、不規則な生活をし、子供の数を無理に制限し、偶発事故のためにそういう結果になると説明される。(代案)

 次は、「非社会性」と「反社会性」を対比して述べている箇所からです。

彼のやり方はまずくて臆しているかと思うとひどく度を過したり荒っぽかったりして、とにかくうまく整わず極端なので、彼は誰にもいやに思われ、彼もそのはねかえりを感じてますます自分を遮断してしまう。この形の異常性はいくらも了解的関連を持ち、様々の「コンプレクス」に左右されるので、うまくいけば消えることがあるが、まずくいくとまったく孤独になって室に閉じこもって出なくなり、分裂性の痴呆過程と似てくる。(373頁)

彼のやり方はまずくて臆しているかと思うとひどく度を過したり荒っぽかったりして、とにかくうまく整わず極端なので、彼は誰にもいやに思われ、彼もそのはねかえりを感じてますます自分を遮断してしまう。この形の非社会性はいくらも了解的関連を持ち、様々の「コンプレクス」に左右されるので、うまくいけば消えることがあるが、まずくいくとまったく孤独になって室に閉じこもって出なくなり、分裂性の痴呆過程と似てくる。(代案)

 次は「病誌Pathographien」についての箇所です。これは現代日本では「病跡」と呼ばれることが多いと思います。。

深い精神病理学的な目、歴史的批判の能力が信頼すべき認識の条件であり、畏敬と気高い憚りのようなもの -といっても何かいわずにおくという必要はないが- が、病誌を作ることに要求されるが、気が向かないからやらずにおくべきものではあるまい。(376頁)

深い精神病理学的な目、歴史的批判の能力が信頼すべき認識の条件であり、畏敬と気高い憚りのようなもの -といっても何かいわずにおくという必要はないが- が、人々から敬遠されないような病誌の描写に要求される。(代案)

 残るは「附録」のみです。

精神病理学原論 
カール ヤスパース (著), Karl Jaspers (原著), 西丸 四方 (翻訳)
みすず書房; 限定復刻版 (1971/01)

Allgemeine Psychopathologie Ein Leitfaden Fur Studierende, Arzte Und Psychologen (1913) Karl Jaspers (ペーパーバック - 2009/11)

2014年6月 7日 (土)

ヤスパース『原論』の再読(第六章)

 翻訳の検討を続けます。この章には問題は少ないと思いました。

それはすなわち躁うつ病 -フランスの学者の循環精神病と感情疾患もこれに入る- と早発性痴呆 -カールバウムの緊張病と、破瓜病と狂気(フェルリュクトハイト)がこれに入る- とである。(邦訳312頁)

それはすなわち躁うつ病 -フランスの学者の循環精神病と感情疾患もこれに入る- と早発性痴呆 -カールバウムの緊張病と、破瓜病と偏執狂(フェルリュクトハイト)がこれに入る- とである。(代案)

 この『Verruecktheit』をはじめとする古い疾患概念をどう統一的に訳すかは非常に難しいところですが、ここは早発性痴呆(統合失調症)の下位分類ですから、今でいう妄想型に相当するものがあるはずで、上のように訳すべきでしょう。『狂気(フェルリュクトハイト)』という訳語は、322頁、334頁にもありますが、同様に偏執狂で良いでしょう。

 次です。

精神病理学の課題は進行麻痺その他の種々の脳病過程の時の異常精神現象に対しては、この脳病過程がみつかれば、全く同じもの以上に出ることはないという事実や…(320頁)

精神病理学の課題は進行麻痺その他の種々の脳病過程の時の異常精神現象に対しては、この脳病過程がみつかって以来、全く同じもの以上に出ずにとどまっているという事実や…
(代案)

 次です。

症状群(322頁)

症状複合(代案)

 群というと単に複数あるという意味ですが、ここは「コンプレックス」、関連した複合という意味です。このあとたくさん出てきます。

 次です。

五 症状群の単位のもとになるものにはさらに、全然異質のカテゴリーの症状にある同じ性質がある。こういうのはたとえば、患者が「させられる」と感ずるのはみな妄想症状群とし、神経学的に説明できず心理学的に了解できない異常な運動現象は緊張症状群、過度な「刺激性」と「弱さ」から出たものとみられる出来事は皆神経衰弱症状群とするごときものである。(325頁)

五 症状複合の単位のもとになるものにはさらに、その他の点では全然異質の症状カテゴリーに分類すべき同じ性質がある。こういうのはたとえば、患者が「させられる」と感ずるのはみなパラノイア複合とし、神経学的に説明できず心理学的に了解できない異常な運動現象は緊張病複合、過度な「刺激性」と「弱さ」から出たものとみられる出来事は皆神経衰弱性とするごときものである。(代案)

 思考させられることも、行動させられることも、知覚させられることも、みな同じく「させられ」現象と分類される、といった事情を指しているのでしょう。さらにここでは、ヤスパースがさせられ体験を持つ患者も「パラノイア」と呼んでいることにも注目すべきです。第二章一節では、有名なシュレーバー症例も、パラノイアの例として挙げられていました。

 次です。

その最も著しい型として妄想症状群と緊張症状群をのべる。(334頁)

その最も著しい型としてパラノイア症状複合緊張病症状複合をのべる。(代案)

 ここは『分裂性精神生活』についての項に含まれる箇所ですから、ヤスパースがやはりパラノイアを統合失調症の中に含めていたことがうかがわれます。

 次です。

しかし一点への中心化はこの真正妄想症状群の特徴ではなく、むしろ支配観念と妄想的観念の特徴である。(337頁)

しかし一点への中心化はこの真正のパラノイア症状複合の特徴ではなく、むしろ支配観念と妄想様観念の特徴である。(代案)

 次が最後です。

六 体験は単一であって、患者にとってただ一つの現実しかなく、それは精神病の現実である。逆に、起る体験は空想的で、患者は二つの世界に同時に生活しているが、それは現実の世界 -患者はそれを正しく理解し判断している- と精神病の世界である。(345頁)

六 ある場合には、体験は単一であって、患者にとってただ一つの現実しかなく、それは精神病の現実である。逆に、別の場合には、起る体験は空想的で、患者は二つの世界に同時に生活しているが、それは現実の世界 -患者はそれを正しく理解し判断している- と精神病の世界である。(345頁)

 この本は残りわずかになってきました。私の関心がまた別の本に向かわないうちに仕上げてしまいたいものです。

精神病理学原論 
カール ヤスパース (著), Karl Jaspers (原著), 西丸 四方 (翻訳)
みすず書房; 限定復刻版 (1971/01)

Allgemeine Psychopathologie Ein Leitfaden Fur Studierende, Arzte Und Psychologen (1913) Karl Jaspers (ペーパーバック - 2009/11)

 

2014年6月 1日 (日)

ヤスパース『原論』の再読(第五章)

 当ブログでヤスパースの『原論』の翻訳を4章まで検討したところでずいぶん長く放ってありましたが、最近読んだ鈴木國文著『同時代の精神病理』で『人格』という概念が主題的に扱われているのをみて、ヤスパース『原論』の5章『知能と人格』という章を読み直しました。

 翻訳上の大きな問題は少ないように感じました。まずは誤植というかケアレスミスと思われる次の箇所。

区別の問題、たとえば誤りと嘘のちがい、信識と信仰の区別など(邦訳290頁)

区別の問題、たとえば誤りと嘘のちがい、知識と信仰の区別など(代案)

 次は、aktuellという語を「現実」「実際ある」と訳していますが、「現時点での」「当座の」「目下の」といった意味でしょう。ほかいくつか手を入れてみました。

了解的関連全体に対し、すなわち欲動や感情の動きや、反応や、行為や、目的や、理想に対して、われわれはいつも素質というものが加わっていると考え、この素質がこの現実の意識された精神過程に現われてくる。この素質も人格と呼ばれる。こういうものとしてわれわれは意識外のでき、素地を了解的関連全体に付け加えて考え、この人格素質は -これのいろいろの現れの関連は皆了解できるものであるが- その実際の存在全体としては了解できないもので、たとえば遺伝の法則などで説明されるのである。検査の方向いかんによって、人格の概念としてこの素質を強調することもあるし、実際ある了解的関連を強調することもある。(邦訳292~3頁)

了解的関連全体に対し、すなわち欲動や感情の動きや、反応や、行為や、目的や、理想に対して、われわれはいつも素質というものが加わっていると考え、この素質がこの目下の意識された精神過程に現われてくる[と考える]。この素質も人格と呼ばれる。こういうものとしてわれわれは意識外の素因を了解的関連全体に付け加えて考え、この人格素質は -これのいろいろの現れの関連は皆了解できるものであるが- その実際の存在全体としては了解できないもので、たとえば遺伝の法則などで説明されるのである。検査の方向いかんによって、人格の概念としてこの素質を強調することもあるし、目下了解的関連を強調することもある。(代案)

 上にも出てきましたが、この訳書には素因・素質といった意味を表すために「でき」というぼんやりした語が頻用され、ほか「素地」「持前」などの語も使われて、原語と一対一対応していないので非常にわかりにくく感じます。これまでも何度か取り上げてきましたが、全ての箇所を取りあげるのは煩雑ですし、とりあえず次の箇所を挙げておきます。

本当の性格、すなわち欲動と感情のできの体系の質の異常な変異は、人格の性質にとっては構造の変異よりもずっと深い関係がある。異常な構造という点でみるとわれわれに性質の似た性格であるが、質の点で見るとできのちがう人々の間には感情と欲動のできに非常に隔絶したちがいのあることがわかる。ある欲動のでき、たとえば性欲倒錯のある時に、全人格はその質が全然別であるとは限らない。けれどもある場合には異常な性的なできがあると、人格が妙に冷たく非性的で、ときにはひどく敏感で感情が繊細であるが世界全体を別の照明の下に見ているような同性愛者となり、この場合その性質のできに隔絶した変異がはじまっている。(299頁)

本来の性格、すなわち欲動と感情素質の体系の質の異常な変異は、人格の本性にとって、構造の変異よりもずっと重大であるあらゆる異常な構造形式のなかに、われわれと本性の似た性格がみつかるが、情緒素質や欲動素質の場合には、資質のちがう人々の間に、非常に隔絶したちがいがきわめて速く生じる。ある欲動素質、たとえば性欲倒錯の欲動方向がある時に、全人格にも本性的に(質的に)全然別の特徴がもたらされるとは限らない。けれども多くの場合には異常な性的素質があると、人格が妙に冷たく非性的であるとか、ときにはひどく敏感で感情が繊細であるが世界全体を別の照明の下に見ているような同性愛者となるとかいう点に、その本性の資質の重大な変異がはじまっている。(代案)

 はじめの文と最後の文の「重大」は同じ語ですので揃えました。

 今回の最後は短い箇所から。

年齢の各時期と関係なく、ひとりでに(内因性に)起こる出現期、位相として現れる人格の現れ方の変動がある。(306頁)

年齢の各時期と関係なく、自発的な(内因性の)出現期として現れる人格の現象形態の変動がある。(代案)

 

精神病理学原論 
カール ヤスパース (著), Karl Jaspers (原著), 西丸 四方 (翻訳)
みすず書房; 限定復刻版 (1971/01)

Allgemeine Psychopathologie Ein Leitfaden Fur Studierende, Arzte Und Psychologen (1913) Karl Jaspers (ペーパーバック - 2009/11)

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