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2014年6月20日 (金)

ブランケンブルク『自明性の喪失』その12・邦訳80頁~

 病歴の章は残り少なくなってきました。翻訳の検討を続けます。

患者は一年あまりの入院の後、一九六五年のクリスマスに退院を許された。その後数ヵ月間は昼間だけ作業療法に通ったのち、外来治療を続けながらパートタイムの家政婦をはじめた。最初のうちまだ作業能力が大そう低く、ちょっとしたこともうまくこなせなかったから通院は必要であった。(みすず版邦訳80頁)

患者は一年あまりの入院の後、一九六五年のクリスマスに退院を許された。その後数ヵ月間は昼間だけ作業療法に通ったのち、治療的な条件の下で、ある家庭で半日間の仕事を始めることができた。最初のうちまだ作業能力が大そう低く、ちょっとしたこともうまくこなせなかったから後者[=治療的条件下での仕事]は必要であった。(代案)

 この箇所について、かねてから私は、いったいどんな制度のもとでの治療だったのだろうかと疑問に思っていましたが、著者ブランケンブルクと直接会って話したことのある精神科医からお聞きしたところによると、患者アンネ・ラウは、精神科医の家庭に引き取られて面倒をみてもらっていた時期があるというのです。上の箇所はそれに当たるのかもしれません。

 次の箇所の代案で、「痛いweh」という語を使ったのは、すぐ次の段落に同じ語が出て来る際の訳語と揃えたからです。ほか、「感情」という語については以前の箇所に揃えました。また、「beiseitelegen」という語が二度出て来るので、訳語を「片付ける」で揃えました。みすず版の邦訳で「頭の中が混乱してしまいます」とされている箇所は、精神症状の表現ですから意訳せず直訳に戻しておきました。

いろんな印象が、またときどきひどくこたえるようになりました。疑問が多すぎて… きちんとしたけじめが感じられるようになりたい… それを健康な人のように心で感じとって、すっきりしたいのです。それが大切なことなのに…。(絶望した様子で)ほかの人のことをどう判断したらよいか、ものごとをどうやって確かめて、どうやって片付けたらよいのかがわからないと、頭の中が混乱してしまいます。(邦訳80頁)

いろんな印象が、またときどきひどく痛くなります… 疑問が多すぎて… きちんとしたけじめが感じられるようになりたい… それを健康な人のように感情的に洞察して片付けたいのです。それが大切なことなのに。(絶望した様子で)ほかの人のことをどう判断したらよいか、ものごとをどうやって確かめて、どうやって片付けたらよいのかがわからないと、誰でもうろたえてしまうものです。(代案)

 次の箇所は、上の引用箇所の冒頭と似たような内容の繰り返しですが、邦訳では訳語が揃ってません。文脈によっては、「痛い」という訳語がちょっと奇妙な表現に感じられるでしょうが、アンネ自身の原語での表現もやや奇異であったらしいので、同じ表現で統一しておきます。ほか、「Begriff概念」という語がなぜか「ことば」と訳されているので直していきます。

《いまはもう、いろんな感じが痛く感じられるだけになってしまいました。はじめのころ、痛い感じが始まったのは、何もかもが疑問になったときでした。年をとるとはどういうことか、とかなんとか。そういったことばの意味を考えずにはいられなかったのです。それは苦痛なことでした。ことばのちゃんとした意味の感覚がなくなってしまったのです。いろんなものごとの感じがないのです。たとえば病気とか苦しみとか日常生活とか》。(それはけっして彼女を悲しい気持ちにさせるようなことばのことだけではなかった。《どんなことばでも、それが出てくるとみんなそう》なのだった)。《そういったことばの意味がわかる前に、まずはじめに痛い感じがするのです…》。(邦訳81頁)

《いまはもう、いろんな印象が痛くなだけになってしまいました。はじめのころ、痛くなるのが始まったときいつも疑問ばかり持っていました。年をとるとはどういうことか、とかなんとか。そういった概念を考えずにはいられなかったのです。それは痛くなりました概念の感情がなくなってしまったのです。私から欠けてしまっているのは、いろんなものごとの感情なのです。たとえば病気とか苦しみとか日常生活とかの感情》。(それはけっして彼女を落胆させるような概念のことだけではなかった。《どんな概念でも、それが出てくるとみんなそう》なのだった)。《そういった概念の意味がわかる前に、まずはじめに痛くなるのです…》。(代案)

 ここでは、自分に欠けているのは感情的なことだといっています。邦訳75頁でも語られていましたが、アンネが喪失したと述べる『自然な自明性』とは感情的なこと、「わかったという感情」のようなことのようです。

 次の段落の邦訳に何箇所か出てくる「痛さ・痛み」という表現は、前の段落までに出てきて「痛い」と訳してきた語「weh」とはちがう「Schmerzen」という語なので、「苦痛」と訳し変えるのがよいと思います。次の引用箇所はその段落の後半です。「auf...eingehen」を「応対する」としてみました。

この痛みがあるかぎり、本当に晴ればれした気持になってほかの人とつきあうことができないのです。-たとえば会社で、私は自分のことをとても変だと思いました。人の話がわからないっていうことが重荷なのです。ことばは聞こえます。ただ、人の話に心からはいっていくことができないのです。(邦訳81頁)

この苦痛があるかぎり、本当に晴ればれした気持になってほかの人に応対することができないのです。-たとえば会社で、ほかの人は私のことをとてもおかしいと思いました。聴き入ることができないっていうことが重荷なのです。ことばは聞こえます。ただ、人[の話]に心から応対することができないのです。(代案)

 次が今回の最後です。すでに何度も強調してきましたが、「わかる」という語は本書のキーワードであって、特定の原語と対応させて使うべきですが、以下の箇所はまたちがった原語に対応しています。

私が見たり、考えたり、聞いたりするものがいったい何なのかということがよくわかりません。ほんとによくわからないのです。(ひょっとするとほかのひとにもわかっていないのでしょう、ただほかの人はそんなこと疑問にも思わない)(邦訳81頁)

私が見たり、考えたり、聞いたりするものがいったい何なのかということが私まで届かないからです。ほんとに不十分なのです。(ひょっとするとほかのひとにも届いていないのでしょう、ただほかの人はそんなこと疑問にも思わない)(代案)

 病歴の章は残り2頁となりました。

自明性の喪失―分裂病の現象学 W.ブランケンブルク、木村 敏、岡本 進、 島 弘嗣  (1978/7/10)

Der Verlust der natuerlichen Selbstverstaendlichkeit Wolfgang Blankenburg  (2012/11)

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