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2017年1月15日 (日)

ラカン『精神病』1章再読

 さいきん臨床ではいろんな種類の妄想に出会うことができたので、自分なりにもう一度整理しなおしたいと思い、まず初心に戻って、ラカンの『精神病』を読み返してみることにしました。年初というのも良いタイミングではないかと思います。

 で、例によって翻訳で気になったところなどは章ごとにここで報告してみようと思います。私自身は要約とかするのは苦手なので、代わりにこういう作業を、自分が今回読んで考えたことのメモとしていくやり方を取っています。

 まずは1章から次のちょっとした箇所を。

 ウィーンで私がちょっとしたことをお話しした時ある好青年が、「精神病は、器質的なものと思われますか」と質問しました。その際、私は次のように答えました。「その質問はまったく無効なんです。ずっと前から私は心理学と生理学を区別していません。実際、<なろうと思っても、狂人にはなれない>でしょ」と。この言葉を、私はもう太古的と言っていいほどの昔、私の当直室の壁に貼っていました。(邦訳上巻22頁)

 下線を付した部分は、「無効」で間違いではありませんが(原語はperimeです)、「有効期限切れ」「時代遅れ」といったニュアンスを訳さないと、そのあとの文との繋がりがはっきりしないと思います。

 ところでこの質問は、下巻の次の箇所に関係しているように思われます。

 ストラスブールでもウィーンと同じような質問を受けました。私の言うことがかなり分かっていると思われる人々が、最後に私にこう言うのです。「ところで精神病においては、どのように操作するのですか」と。この人のように基本のわかっていない人々の前で、技法のイロハを強調することはもうたくさんです。(邦訳下巻7頁。なお、邦訳では「ウィーンと同じ」ではなく「ウィーンでも同じ」とされている。)

 ここはウィーンで受けた質問を聴衆にとって既知のものと想定しているような言い方です。上巻の箇所は1955年11月16日、下巻の箇所は1956年3月14日の講義ですが、この間もことある毎に仲間内で話題にしたりしていたのでしょうか。(引用の最後の文はかなりの意訳で、だいぶニュアンスは違いますが)いずれにせよ、ちょっと底意地の悪さを感じてしまう箇所です。

 あとは翻訳で気になったのは、上巻14頁に何カ所か出て来る「理解」という語です。原語は、そこまでのヤスパース関連の文脈で「了解」と訳されていたのと同じ語ですし、内容的にもここはヤスパース流の「了解」を話題にしている箇所と思います。

 といった感じで、章ごとに進んでいきたいと思います。

 この年、ラカンは54~55歳ですが、研修医時代を「太古的と言っていいほどの昔」と言っています。私もだんだん当時のラカンの年齢に近づいていますが、なかなか感慨深い表現です。

精神病〈上〉 

ジャック ラカン (著), ジャック・アラン ミレール (編集), 小出 浩之 (翻訳), 川津 芳照 (翻訳), 鈴木 国文 (翻訳), 笠原 嘉 (翻訳)

出版社: 岩波書店 (1987/03)

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