« 2017年3月 | トップページ | 2017年12月 »

2017年11月

2017年11月30日 (木)

ラカン『精神病』7章再読

 今回は7章『想像的崩壊』です。この章の翻訳については、ルビの振り間違い2箇所を除くとさほど問題は無いように思います。

 まず一つ目。

私達が間隔効果(ルビ:ディスタンクシオン)という概念を慎重に操作する術を心得ているならば、ここでそれを使うことができるでしょう。この概念はでたらめに使われていますが、事実に適合した使い方がされるならば、この概念を拒否する理由はありません。(邦訳上巻153頁)

 ディスタンクシオンというルビが振られている箇所の原語は「distanciation(ディスタンシアシオン)」ですのでルビには変更が必要です。意味は「距離を置くこと」という感じなので、邦訳のままで良さそうです。ブレヒトの「異化作用」と訳される概念も、原語はこれのようです。

 次で今回は最後です。

彼が話さなかった時期の意識(ルビ:シニフィカシオン)については、あとでもう一度戻りましょう。(邦訳上巻160頁)

 「意識」に「シニフィカシオン」というルビが振られていますが、ここはルビのみが正しく、訳語を「意義」とか「重要性」とすべきと思います。

 久しぶりに読み返して、この章では、冒頭の序論部分の内容の濃さに驚きました。こういう切れ味があるからこそ、私にとってのラカンへの興味は絶えず刷新されて尽きることがありません。

精神病〈上〉
ジャック ラカン (著), ジャック・アラン ミレール (編集), 小出 浩之 (翻訳), 川津 芳照 (翻訳), 鈴木 国文 (翻訳), 笠原 嘉 (翻訳)
出版社: 岩波書店 (1987/03)

2017年11月27日 (月)

ラカン『精神分析の倫理』2章再読

 今回は二章『快楽と現実』です。

 まずは次の箇所の翻訳について。

我々が各人に見いだす個別的真理の分節化の形式が他者たちと同じであるのは -この形式そのものを絶えず新たに我々は再発見するのですが- この形式が各人において、命令的「願望Wunsch」という性格を持っていて、各自の内密な特異性において現れるからです。この形式を妨げるものはありません。だからこの形式を外から測ることはできません。この形式の質として我々にいちばんよく解るのは、錯乱した非定型的な行動[症状]の根源にあったのは真の「願望」であるということです。(邦訳上巻32~33頁、原書でもp32~33)

 二文目の「Rien ne saurait s'y opposer qui permettre de...」の「y」は「形式」ではなく直前の「Wunsch」を指すのではないかという点と、「qui」以下の関係代名詞節の先行詞は、「rien」であろう、という点で大きく書き変えてみます。最後の文に出てくる代名詞「lui」も「Wunsch」を指すと思いました。ほか、「imperieux」が「imperatif命令的な」と混同されている箇所など、ちょこちょこといじってみます。

我々が各人に見いだす個別的真理の分節化の形式が他者たちと同じであると再発見するのは -この形式そのものを絶えず新たに我々は再発見するのですが- この形式が各人において、抗しがたい「願望Wunsch」という性格を持っていて、各自の内密な特異性において現れるからです。この形式を外から判定するような何ものも、この「願望Wunsch」に逆らうことはできないでしょうこの「願望Wunsch」の質として我々が見いだす最良のものは、錯乱した非定型的な行動[症状]の根源にあった真の「願望Wunsch」であるということ、です。(代案)

 次は単なる誤植らしきところから。

我々分析家にとって問題となる「正しい倫理ορθος λογος」、それは何らかの普遍命題ではなく…(邦訳上巻42頁、原書p39)

我々分析家にとって問題となる「正しい論理ορθος λογος」、それは何らかの普遍命題ではなく…(代案)

 次は、「essais」が「サンプリング」と訳されているところですが、単に「試行」で良いのではないでしょうか。ほか、複数形にしたり時制を変えたり、重複を削除したりと、ちょこちょこ手を入れてみます。

これが意味するのは、この心的装置の内的働きは -この働きを図式化する仕方については次回述べます- 手探り、矯正的吟味というかたちで遂行され、主体はすでに拓かれた「通道Bahnung」にもとづいて産出される緊張放出に導かれ、一連のサンプリング、迂回を行い、このサンプリング、迂回が主体を経験においてその都度現前する様々な対象を取り巻いているシステムの吟味の吻合、踏破に至らしめるということです。これが経験のバックボーンの緯糸をなしています。経験のバックボーンの横糸を構成しているもの、それは、こういう言い方が許されるなら、期待される快楽として定義される快楽の「願望Wunsch」、「期待Erwartung」についての何らかのシステムの建立です。(邦訳上巻43~44頁、原書p41)

これが意味するのは、この心的装置の内的働きは -この働きを図式化する仕方については次回述べます- 手探り、矯正的吟味というかたちで遂行され、そのおかげで主体はすでに拓かれた諸々の「通道Bahnungen」にもとづいて産出される緊張放出に導かれ、一連の試行、迂回を行うであろうし、この試行、迂回が主体を少しずつ、経験においてその都度現前する様々な対象を取り巻いているシステムの吟味の吻合、踏破に至らしめるであろうということです。これが経験のバックボーンの緯糸をなしています。経験のバックボーンの横糸を構成しているもの、それは、こういう言い方が許されるなら、期待される快楽として定義される快楽の「願望Wunsch」、「期待Erwartung」についての何らかのシステムの建立です。(代案)

 「吟味の吻合」っていう表現はこなれませんが、原文通りなのでいかんともしがたくそのまま残しました。
 上の引用の次の段落に二か所でてくる「サンプリング」も、やはり「試行」が良いと思います。ちなみに邦訳上巻112頁に「サンプリング(抽出試験)」という箇所がありますが、そこの原文は「echantillonnage」なので別の概念と思いますし、そちらは訳もそのままで良いとおもいます。

 次が今回の最後です。

逆に、無意識の方は要素、論理的要素の水準に位置づけられるのであり、これらの要素はロゴスの次元にあり、牽引力と必然性によって動機づけられる移行、転移、そして快楽の慣性が主体にたいして遂行される場の核心に隠された「正しい論理」というかたちで分節されます。移行、転移、快楽の慣性が、主体にたいして、主体の意向には無頓着に、あの記号よりもこの記号を選ぶのです。(邦訳上巻46頁、原書p43)

 原書で「les passages, les transferts motives par l'attraction et la necessite, l'inertie du plaisir」という箇所が、邦訳では「移行、転移、そして快楽の慣性」と三つを同格として訳出されていますが、前二者だけが複数なので、「快楽の慣性」は「牽引力と必然性」と同格と考えてみます。ほか、ロゴスを原書通りギリシア語表記するなど修正してみます。

逆に、無意識の方は要素、論理的複合体の水準に位置づけられるのであり、これらの要素は「論理λογος」の次元にあり、快楽の慣性、牽引力と必然性によって動機づけられる移行、転移、そして快楽の慣性が主体にたいして遂行される場の核心に隠された「正しい論理ορθος λογος」というかたちで分節されます。移行、転移、快楽の慣性が、主体にたいして、主体の意向には無頓着に、あの記号よりもこの記号を引き立たせるのです。(代案)

 今回はここまでです。

 毎週のセミネールの記録ですから、「○○についてはいずれお話しします」と言いながら必ずしも該当箇所がないことがあるのもやむをえないことですし、「以前私はこう言いました」という箇所が探せないのも、ラカン自身も毎週考えを変えながら話しているのでやむを得ないかもしれませんが、このセミネール7巻の前半は特に顕著な気がします。

精神分析の倫理 上
出版社: 岩波書店 (2002/6/26)
ジャック・ラカン   (著),‎ ジャック・アラン・ミレール (編集),‎ 小出 浩之 (翻訳)

2017年11月25日 (土)

ラカン『精神病』6章再読

 久しぶりに『精神病』のセミネールに戻ります。

 まず、シェーマLを念頭に置いた次の部分に訳し落としがあります。

この要求にこそ、私の小さな四角形は応えようとするものです。その四角形は、主体から他者へと向かいます。つまり、一方は現実界、すなわち主体、身体へと向かい、反対の方向は、相互主体性という大文字の他者(A)へと向かいます。(邦訳上巻121頁)

この要求にこそ、私の小さな四角形は応えようとするものです。その四角形は、主体から他者へと向かいます。そしてここである仕方で象徴界から現実界、すなわち主体、身体へと向かい、反対の方向は、相互主体性という大文字の他者(A)へと向かいます。(代案)

 次は、時制の間違い二つが大きいと思いますが、あとはちょっとした訳語の訂正です。

それは、自分が聞いている言葉は、他の誰にも聞えてはいない、ということを患者は容易に認めるということです。「そう、おっしゃる通りです。聴いているのは私一人です」と患者は言うのです。
 この場合、現実性ということが問題となっているのではありません。患者は、それぞれの能力に応じた言い回しによって、この幻聴という現象が現実とは別の次元に属するものであることを認めます。幻覚が現実性を持っていないことを患者はよく知っており、その非現実性をある点までは認めています。(邦訳上巻123頁)

それは、自分が聞いている言葉は、他の誰にも聞えてはいなかった、ということを患者は容易に認めるということです。「そう、おっしゃる通りです。聴いていたのは私一人です」と患者は言うのです。
 この場合、現実性ということが問題となっているのではありません。患者は、それぞれの能力に応じた言い回しによって、この幻聴という現象が現実界とは別の次元に属するものであることを認めます。幻覚が現実性を保証されていないことを患者はよく知っており、その非現実性をある点までは認めています。(代案)

 次ですが、邦訳では「de」を「…によって」と訳されてますけれども、私は「の」で良いと思います。

詩とは、世界への象徴関係の新しい次元を引き受けている主体によってなされた創造です。(邦訳上巻128頁)

詩とは、世界への象徴関係の新しい次元を引き受けている主体の創造です。(代案)

 最後は、文法的には邦訳通りとも取れるのですけれども、たぶんラカンの意図は私の代案の方だと思います。

否定においては、象徴、つまり「是認」という価値を与えることが問題なのではなくて、実在という価値を与えることが問題となっているのです。(邦訳上巻138頁)

否定においては、象徴という価値を与えること、つまり「是認」が問題なのではなくて、実在という価値を与えることが問題となっているのです。(代案)

 今回の代案は、3つめ以外はさほど解釈に影響しないようにも思えますけれど、こだわるひとには看過できないかもしれない微妙なラインじゃないでしょうか。

精神病〈上〉
ジャック ラカン (著), ジャック・アラン ミレール (編集), 小出 浩之 (翻訳), 川津 芳照 (翻訳), 鈴木 国文 (翻訳), 笠原 嘉 (翻訳)
出版社: 岩波書店 (1987/03)

2017年11月23日 (木)

ラカン『精神分析の倫理』1章再読

 ラカンのセミネール第3巻『精神病』の再読がまだ途中で滞っておりますが、それは今年わけあって第11巻『精神分析の四基本概念』を読み直す必要があってそちらに手間を取られたからでした。私はかねがね第7巻『精神分析の倫理』のセミネールが最重要セミネールだと思ってましたが、11巻も読み直してみると甲乙付けがたいものでした。

 いま、これまたわけあって第7巻『精神分析の倫理』を読み直しているところです。で、例によって翻訳で気になったところなどは章ごとにここで報告してみようと思います。『精神病』に手をつけるときも書きましたが、私はいつも、要約したりする代わりにこういう作業を、自分が今回読んで考えたことのメモとしていくやり方を取っています。

 さて第一章ですが、翻訳はちょっと読みにくいところはあるものの、あんまり目だった問題はないように思いました。意地でもどこか見つけようと探して、なんとか見つけた問題箇所が次のところです。

この問題をもっとはっきりさせるために指摘すべきことがあります。つまり、分析的考察はわれわれの経験の[性器期への]収斂という性格を隠れ蓑にしているらしいということです。たしかにこの性格は否定すべくもありませんが、そこには限界があり、それを越えて進むことは容易ではない、と分析家は感じてもいます。(邦訳上巻11頁、Seuil版p17)

 下線部はse derober devant le caractere de convergence de notre experienceです。他動詞deroberには「隠す」といった意味もありますし、この訳でも大意にそぐわないわけでもないのですが、直後にdevant..とあるので上の訳は不可能なように思えます。このse doroberは、「回答を避ける」といった意味ではないでしょうか。

この問題をもっとはっきりさせるために指摘すべきことがあります。つまり、分析的考察はわれわれの経験の[性器期への]収斂という性格の前では回答を避けるらしいということです。しかも、たしかにこの性格は否定すべくもありませんが、そこには限界があり、それを越えて進むことは容易ではない、と分析家は感じてもいます。(代案)

 上の代案には、次の文とのつながりを考えて、「しかも、」と補ってみました。

 あとは邦訳の19頁に人名「アルフォンス・アレス」とありますが、ふつうは「アルフォンス・アレー」と表記される、といったことぐらいでしょうか。

 といった感じで進めていきます。

 ラカンはこの章で、当時の精神分析で主流であった考え方、患者は性器期的な愛情生活へと成熟することで利他性も身につけて幸福になるといった考え方に苦言を呈しています。精神分析以外の分野の精神医学では、性器期とか愛といった言葉はあまり使われませんが、順調に発達し成熟・成長すれば適応と症状改善が得られるといった楽天的で不気味な考え方はいまも広く共有されているように思えます。この先のラカンの暴れっぷりが楽しみです。

精神分析の倫理 上
出版社: 岩波書店 (2002/6/26)
ジャック・ラカン   (著),‎ ジャック・アラン・ミレール (編集),‎ 小出 浩之 (翻訳)

« 2017年3月 | トップページ | 2017年12月 »

2021年12月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ