« ラカン『精神病』6章再読 | トップページ | ラカン『精神病』7章再読 »

2017年11月27日 (月)

ラカン『精神分析の倫理』2章再読

 今回は二章『快楽と現実』です。

 まずは次の箇所の翻訳について。

我々が各人に見いだす個別的真理の分節化の形式が他者たちと同じであるのは -この形式そのものを絶えず新たに我々は再発見するのですが- この形式が各人において、命令的「願望Wunsch」という性格を持っていて、各自の内密な特異性において現れるからです。この形式を妨げるものはありません。だからこの形式を外から測ることはできません。この形式の質として我々にいちばんよく解るのは、錯乱した非定型的な行動[症状]の根源にあったのは真の「願望」であるということです。(邦訳上巻32~33頁、原書でもp32~33)

 二文目の「Rien ne saurait s'y opposer qui permettre de...」の「y」は「形式」ではなく直前の「Wunsch」を指すのではないかという点と、「qui」以下の関係代名詞節の先行詞は、「rien」であろう、という点で大きく書き変えてみます。最後の文に出てくる代名詞「lui」も「Wunsch」を指すと思いました。ほか、「imperieux」が「imperatif命令的な」と混同されている箇所など、ちょこちょこといじってみます。

我々が各人に見いだす個別的真理の分節化の形式が他者たちと同じであると再発見するのは -この形式そのものを絶えず新たに我々は再発見するのですが- この形式が各人において、抗しがたい「願望Wunsch」という性格を持っていて、各自の内密な特異性において現れるからです。この形式を外から判定するような何ものも、この「願望Wunsch」に逆らうことはできないでしょうこの「願望Wunsch」の質として我々が見いだす最良のものは、錯乱した非定型的な行動[症状]の根源にあった真の「願望Wunsch」であるということ、です。(代案)

 次は単なる誤植らしきところから。

我々分析家にとって問題となる「正しい倫理ορθος λογος」、それは何らかの普遍命題ではなく…(邦訳上巻42頁、原書p39)

我々分析家にとって問題となる「正しい論理ορθος λογος」、それは何らかの普遍命題ではなく…(代案)

 次は、「essais」が「サンプリング」と訳されているところですが、単に「試行」で良いのではないでしょうか。ほか、複数形にしたり時制を変えたり、重複を削除したりと、ちょこちょこ手を入れてみます。

これが意味するのは、この心的装置の内的働きは -この働きを図式化する仕方については次回述べます- 手探り、矯正的吟味というかたちで遂行され、主体はすでに拓かれた「通道Bahnung」にもとづいて産出される緊張放出に導かれ、一連のサンプリング、迂回を行い、このサンプリング、迂回が主体を経験においてその都度現前する様々な対象を取り巻いているシステムの吟味の吻合、踏破に至らしめるということです。これが経験のバックボーンの緯糸をなしています。経験のバックボーンの横糸を構成しているもの、それは、こういう言い方が許されるなら、期待される快楽として定義される快楽の「願望Wunsch」、「期待Erwartung」についての何らかのシステムの建立です。(邦訳上巻43~44頁、原書p41)

これが意味するのは、この心的装置の内的働きは -この働きを図式化する仕方については次回述べます- 手探り、矯正的吟味というかたちで遂行され、そのおかげで主体はすでに拓かれた諸々の「通道Bahnungen」にもとづいて産出される緊張放出に導かれ、一連の試行、迂回を行うであろうし、この試行、迂回が主体を少しずつ、経験においてその都度現前する様々な対象を取り巻いているシステムの吟味の吻合、踏破に至らしめるであろうということです。これが経験のバックボーンの緯糸をなしています。経験のバックボーンの横糸を構成しているもの、それは、こういう言い方が許されるなら、期待される快楽として定義される快楽の「願望Wunsch」、「期待Erwartung」についての何らかのシステムの建立です。(代案)

 「吟味の吻合」っていう表現はこなれませんが、原文通りなのでいかんともしがたくそのまま残しました。
 上の引用の次の段落に二か所でてくる「サンプリング」も、やはり「試行」が良いと思います。ちなみに邦訳上巻112頁に「サンプリング(抽出試験)」という箇所がありますが、そこの原文は「echantillonnage」なので別の概念と思いますし、そちらは訳もそのままで良いとおもいます。

 次が今回の最後です。

逆に、無意識の方は要素、論理的要素の水準に位置づけられるのであり、これらの要素はロゴスの次元にあり、牽引力と必然性によって動機づけられる移行、転移、そして快楽の慣性が主体にたいして遂行される場の核心に隠された「正しい論理」というかたちで分節されます。移行、転移、快楽の慣性が、主体にたいして、主体の意向には無頓着に、あの記号よりもこの記号を選ぶのです。(邦訳上巻46頁、原書p43)

 原書で「les passages, les transferts motives par l'attraction et la necessite, l'inertie du plaisir」という箇所が、邦訳では「移行、転移、そして快楽の慣性」と三つを同格として訳出されていますが、前二者だけが複数なので、「快楽の慣性」は「牽引力と必然性」と同格と考えてみます。ほか、ロゴスを原書通りギリシア語表記するなど修正してみます。

逆に、無意識の方は要素、論理的複合体の水準に位置づけられるのであり、これらの要素は「論理λογος」の次元にあり、快楽の慣性、牽引力と必然性によって動機づけられる移行、転移、そして快楽の慣性が主体にたいして遂行される場の核心に隠された「正しい論理ορθος λογος」というかたちで分節されます。移行、転移、快楽の慣性が、主体にたいして、主体の意向には無頓着に、あの記号よりもこの記号を引き立たせるのです。(代案)

 今回はここまでです。

 毎週のセミネールの記録ですから、「○○についてはいずれお話しします」と言いながら必ずしも該当箇所がないことがあるのもやむをえないことですし、「以前私はこう言いました」という箇所が探せないのも、ラカン自身も毎週考えを変えながら話しているのでやむを得ないかもしれませんが、このセミネール7巻の前半は特に顕著な気がします。

精神分析の倫理 上
出版社: 岩波書店 (2002/6/26)
ジャック・ラカン   (著),‎ ジャック・アラン・ミレール (編集),‎ 小出 浩之 (翻訳)

« ラカン『精神病』6章再読 | トップページ | ラカン『精神病』7章再読 »

ラカン」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ラカン『精神分析の倫理』2章再読:

« ラカン『精神病』6章再読 | トップページ | ラカン『精神病』7章再読 »

2021年12月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ