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2017年12月 5日 (火)

ラカン『精神分析の倫理』3章再読

 今回は三章『草稿の再読』の翻訳についてです。この回では聴講者に発表させているので、ラカンの発言部分はかなり短めの章になっています。

 まずは綴り間違いです。次の箇所、下線で強調しておきますが、「c」が抜けてます。

「目的に合わせた理論構築の恣意性die Willkuerlichkeit der constructio ad hoc」(邦訳上巻58頁)

 次で最後です。

この点に関する本日の結論として、みなさんに一つのアナロジーを指摘しておきます。それは、あらゆる無意識的傾向を活気づけている蒼古的な、ほとんど退行的ともいうべき、表現しがたいような快楽の質の探求と、もう一つは、道徳的な意味で最も完全に実現され満足をもたらすものとのアナロジーです。(邦訳上巻60頁)

この点に関する本日の結論として、みなさんに一つのアナロジーを指摘しておきます。それは、あらゆる無意識的傾向を活気づけている、表現しがたいような快楽の、蒼古的な、ほとんど退行的ともいうべき質の探求と、もう一つは、道徳的な意味での、最も申し分のない意味での、満足をもたらすものとのアナロジーです。(代案)

 この章では、途中で発表を任されたポンタリスに向けてラカンが述べた、「先ほどあなたが少々強調しすぎたパラドックスに陥ってしまうでしょう。つまり、現実が自らを理解させ、結局は優位を占めるようになることを納得のいくよう説明することは不可能だというパラドックスです。経験が示すように、現実は人類にとってあまりに過剰なのに、人類は当面、絶滅の道をたどってはいないではないかというわけです」(上巻56頁)という部分(の下線の箇所)の意味がいまひとつわからないのですが、ポンタリスの発言の主要部分が省かれているせいもあって他にヒントも探せないのが残念です。ポンタリスは発言に先立って前置き部分で、「フロイトのこの独創的なテキストの中でとりわけ問題をはらみ、かつ極めて逆説的であるとラカン博士が記しておられる現実との関係」(上巻55頁)と述べていて、この「逆説=パラドックス」について語っていそうなのは確かなのですが。
 ちなみにネット上の海賊版でセミネール7巻を探せば、このときのポンタリスの発言を読むことはできますが当然のことながら全文仏語です。

精神分析の倫理 上
出版社: 岩波書店 (2002/6/26)
ジャック・ラカン   (著),‎ ジャック・アラン・ミレール (編集),‎ 小出 浩之 (翻訳)

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