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2018年1月 8日 (月)

ラカン『精神分析の倫理』5章再読

 今回は5章『ものDas Ding』(Ⅱ)の検討です。

 ざっと見た感じ、この章の翻訳には問題は少ないんじゃないでしょうか。なんとか頑張って2箇所探してみました。

組織体にとってホメオスターシス的に耐えられるレベルの緊張度に制御するという機能は、最終的には運動に委ねられているのです。しかし、神経装置のホメオスターシスという自律制御の場は、不調和を含みうるという点で、たとえば体液のバランスを司っている一般的なホメオスターシスとは違います。体液のバランスが登場するのは、内部に由来する刺激の次元としてです。だからフロイトは次のように言うのです。神経組織体の内部からも刺激が到来し、それは外部からの刺激と同等に扱われる、と。(邦訳上巻88頁)

 ここは邦訳上巻58頁、「この装置は生体の切り離すisolerことができる一部分として示されていることに注意しなくてはなりません」のあたりと同じ文脈で読むべきと思います。生体全体の中に、はっきり区別された部分として神経装置があるわけです。上記引用箇所ではdistinctという語が使われていますが、同じことを言っていると思います。ほんの少し手を入れてみます。

組織体にとってホメオスターシス的に耐えられるレベルの緊張度に制御するという機能は、最終的には運動に委ねられているのです。しかし、自律制御の場である神経装置のホメオスターシスは、不調和を含みうるという点で、たとえば体液のバランスを司っている一般的なホメオスターシスとは区別されます。体液のバランスが登場するのは、内部に由来する刺激の次元としてです。だからフロイトは次のように言うのです。神経組織体の内部からも刺激が到来し、それは外部からの刺激と同等に扱われる、と。(代案)

 それでも、引用箇所最後の三つの文の意味が分かりづらく感じられたので、非正規版であるアソシアシオン・ラカニエンヌ版を参照してみると、いくつかの相違があります。途中、isolerという語も登場して、上に書いた私の考えを裏打ちしてくれています。ちなみにアソシアシオン・ラカニエンヌ版では「神経装置のホメオスターシス」という表現はありません。この版を参照して代案を考えてみます。

組織体にとってホメオスターシス的に耐えられるレベルの緊張度に制御するという機能は、最終的には運動に委ねられているのです。しかし、自律制御の場である神経装置は生命との不調和を含みうるという点で、たとえば体液のバランス全体を司っている一般的なホメオスターシスとは区別されるもの、切り離されたものとみなすべきです。体液のバランスが登場するのは、内部に由来する刺激の次元としてです。だからフロイトは次のように言うのです。神経組織体に対して、内部からも刺激が到来し、それは外部からの刺激と同等に扱われる、と。(代案2)

 次です。原文の「dans telle ou telle circonstance」という句が抜けているというのが大きな訂正点ですが、それだけではなく少し手を入れてみます。

我々が自らの思考過程を知るのは、我々が自らの中で生じていることを話すからでしかありません。つまり、一方ではそれが不適切で、空しく、馬鹿らしいと知っているにもかかわらず、どうしようもなくお決まりの用語で話すしかないからなのです。我々が明晰な知性や自分の意思や悟性について話し始めるとき、そのときから我々は前意識を持つようになり、ディスクールのなかに何か無駄話を分節化できるようになります。そのような無駄話が我々にとって、自らの欲望の足どりを明瞭化し、正当化し、合理化するのに役立つのです。(邦訳上巻92頁)

我々が自らの思考過程を知るのは、我々が自らの中で生じていることを話すからでしかありません。つまり、一方ではそれが不適切で、空しく、馬鹿らしいと知っているにもかかわらず、どうしようもなくお決まりの用語で話すしかないからなのです。我々が自分の意思や悟性について別個の能力として話し始めるとき、そのときから我々は前意識を持つようになり、ディスクールのなかに何か無駄話を分節化できるようになります。そのような無駄話我々にとって、我々が繋がり合い、自己正当化し、自らの欲望の足どりをしかじかの状況で合理化するのに役立つのです。(代案)

 ここも非正規版を参照してみると、ひとつめの下線部は、「自分の意思について、悟性とは別個の能力として」となります。そちらの方が良さそうでもあります。

 このように、上の二箇所については非正規版に軍配があがるように思いますけれども、必ずしもあらゆる箇所で非正規版が優れているわけではないことを一応ここでお断りしておきます。

精神分析の倫理 上
出版社: 岩波書店 (2002/6/26)
ジャック・ラカン   (著),‎ ジャック・アラン・ミレール (編集),‎ 小出 浩之 (翻訳)

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