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2018年2月 2日 (金)

ラカン『精神分析の倫理』7章再読

 今回は7章、『諸欲動とルアー』の翻訳の検討です。細かいところばかりになります。細かい、というのは、ラカン理解がひっくり返るような箇所ではないということです。

 ひとつめ。ラカンの翻訳ではpulsionを欲動、instinctを本能と訳すのが普通で、この巻の邦訳でもほとんどがそのように訳されていますが、次の箇所の最初の下線部ではその原則が破られています。

要するに、「昇華Sublimierung」の問題を始めるにあたっては、まずは諸欲動の可塑性ということがとりあげられねばならず、さらに、このとき以来いまだに解明されていないいくつかの理由によって、個人においてはすべてを昇華することは不可能である、と言わなくてはならないということです。(邦訳上巻138頁)

要するに、「昇華Sublimierung」の問題を始めるにあたっては、まずは諸本能の可塑性ということがとりあげられねばならず、さらに、このとき以来いまだに解明されていないいくつかの理由によって、個人においては昇華はすべて不可能である、と言わなくてはならないということです。(代案)

 なお、この章には「欲動傾向」という表現が何度も出てきますが、原語は「tendance」なので、翻訳は単に「傾向」とすべきと思います(あるいは「性向」とか「傾性」でしょうか)。

 次も細かいところです。

フロイトの思索によって詳しく説明されるまでは人間という種に特有のものと考えることもできたこれらの性感帯は、選ばれたいくつかの点、開口点、身体の表層にあるいくつかの孔に限られるものであり、エロスの源が発する点なのです。(邦訳上巻140頁)

フロイトの思索によって詳しく説明されるまでは人間という種に特有のものと考えることもできたこれらの性感帯は、選ばれたいくつかの点、開口点、身体の表面にあるいくつかの孔に限られるものであり、それらは<エロス>が源泉を引き出さなくてはならないであろう点なのです。(代案)

 この本の邦訳では大文字で始まる語を山括弧で囲うことになっている(例えば大文字の他者を<他者>と表記する)ので、エロスを<>の括弧で囲いました。実際、邦訳上巻148頁には、原文の大文字に対応した<エロス>という表記が登場します。
 しかしセミネールは口述された講義の記録ですから、おそらく大文字にしたのは編者の判断でしょう。この語が大文字で表される場合は、おそらくギリシア語「エロース」を念頭に置いているのでしょうし、セミネール8巻『転移』ではそれが明らかですけれども、ただこの7巻では大文字で表記する必要はないようにも思いますが。

 次は、本論からやや外れた、しかもかなりややこしい箇所の、細かい訂正です。

例えばウォルト・ホイットマンに倣って、男性が自己身体から何を欲望しうるか創造してみて下さい。身体と世界 -それ自身開かれざわめく世界- との完璧な全的接触を夢見ることもできるでしょう。あるいはまた、接触を夢み、この詩人が方向と道を示しているようなライフ・スタイル[同性愛]を夢み、何らかの根源的な呪いを押し殺す感情や絶えず人の気を引く存在[女性]を消し去って、調和という啓示を望むこともできるでしょう。(邦訳上巻140頁)

例えばウォルト・ホイットマンに倣って、男性が自己身体から何を欲望しうるか創造してみて下さい。身体と世界 -それ自身開かれざわめく世界- との完璧で全的な表皮接触を夢見ることもできるでしょう。つまり、接触を夢み、その遥か先に、この詩人が方向と道を示しているようなライフ・スタイル[同性愛]を夢み、何らかの根源的な呪いの圧迫的な感情の絶えず人の気を引く存在感[をもつ現行の調和]を消し去ることによる、調和の露呈を望むこともできるでしょう。(代案)

 邦訳に、[女性]という補足がありますが、私は海賊版も見比べてみて、上のようにちょっと違う解釈に至りました。

 次は単なる誤植です。

子供の最も蒼古的な渇望はそもそもの出発点であると同時に、性器期性の何からの優位とか両性具有の人間 -いかに完全なものを想像しても- などという単純な「表象Vorstellung」によっては決して完璧には解決されない核でもあります。(邦訳上巻140頁)

子供の最も蒼古的な渇望はそもそもの出発点であると同時に、性器期性の何らかの優位とか両性具有の人間 -いかに完全なものを想像しても- などという単純な「表象Vorstellung」によっては決して完璧には解決されない核でもあります。(代案)

 なお、冒頭の「渇望」の原語はaspirationで、前章で「むさぼるな」という命令の箇所で用いられていたconvoiterとは別の語です。

 次です。

…その時点では、昇華は対象あるいはリビドーにおける一つの変化として特徴づけられ、その変化は、症状のように抑圧されたものの回帰によって間接的に起こるのではなく、直接的に、つまり直接に満足させるという仕方で起こるものとされていました。性的リビドーは様々な対象の中に満足を見いだすことになります。フロイトは昇華の対象と性的リビドーの対象をどのように区別したのでしょう。(邦訳上巻141頁)

…その時点では、昇華は対象あるいはリビドーにおける一つの変化として特徴づけられ、その変化は、症状のように抑圧されたものの回帰によって間接的に起こるのではなく、直接的に、つまり直接に満足させるという仕方で起こるものとされていました。性的リビドーは様々な対象の中に満足を見いだすことになります。フロイトはそれらの対象をどのように区別したのでしょう。(代案)

 最後の「区別distinguer」は、分類したという意味ではなく、他と区別して取り出したという意味だと思います。

 次です。ほとんどニュアンスの問題ですけれど。原書には、「changer de batteries作戦を変える」とか「changer son fusil d'epaule鉄砲を担ぐ肩を変える/意見を変える/手段を新しくする」といった成句が含まれます。

集団が満足を見出すには個人の意志が抑えられなくてはならないが、昇華はまったくの個人的満足である、という問題をフロイトは十分に考えていないように見えます。(邦訳上巻142頁)

個人が作戦を変え手段を新しくしなくてはならないときに、集団は満足を見出しうるが、それでもこの場合、それ自体で成りたつ個人的満足がなくてはならない、という問題をフロイトは十分に考えていないように見えます。(代案)

 次は、あえて指摘しなくてもいいぐらいのことかもしれませんが、reserverは、「敬意を払う」ではなく「留保を置く」とか「慎重になる」です。

ルターは、このときまではエラスムスに対してなにか皮肉な感情を抱いていたとはいえ、その人物については敬意を払っていましたが、ここにいたって『奴隷的意志』を公刊し、人間が人間と結ぶ関係に根源的に見られる悪い性質を強調したのです。その悪い性質、つまり「Ding」、この「原因causa」は人間の運命の核心に属するものです。(邦訳上巻145頁)

ルターは、このときまではエラスムスに対して心密かになにか皮肉な感情を抱いていたとはいえ、その人物についてはきわめて慎重に判断を留保していましたが、ここにいたって『奴隷的意志』を公刊し、人間が人間と結ぶ関係に根源的に見られる悪い性質を強調したのです。その悪い性質、つまり「Ding」、この「原因causa」は人間の運命の核心に属するものです。(代役)

 最後です。ここも小さいところです。不要な箇所を棒線で消しておきます。

この水準において対象は、主体が自身のイマージュに抱く愛と絶えず交換される限りにおいて、導入されます。「自我リビドー」と「対象リビドー」が、それぞれ「理想自我Ideal-Ich」と「自我理想Ich-Ideal」との差異、つまり自我の幻影と理想形成との差異との関係において導入されているのです。(邦訳上巻146頁)

 邦訳だと、自我リビドーと対象リビドー、「理想自我Ideal-Ich」と「自我理想Ich-Ideal」、自我の幻影と理想形成、という三つの対の前者と後者が「それぞれ」対応しているかのようですが、少なくとも最初の対、自我リビドーと対象リビドーは、後ろの対と対応していないようです。ややこしいことに、「理想自我Ideal-Ich」と「自我理想Ich-Ideal」の順番が原書ではひっくり返っているんですけれど、意味からして「自我の幻影」は「理想自我」と対応するでしょうから、対応関係としては邦訳の方が正しそうなんです。邦訳はあえて訂正したということでしょう。これはラカンが講義で列挙するときに、必ずしも順番通りに繰り返さなかったということかもしれませんが。

 今回は以上です。

精神分析の倫理 上
出版社: 岩波書店 (2002/6/26)
ジャック・ラカン   (著),‎ ジャック・アラン・ミレール (編集),‎ 小出 浩之 (翻訳) 

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