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2019年12月19日 (木)

ラカンのヤスパースいじり

 ドイツの精神病理学者ヤスパースは、他者の精神現象の生起を学問的に扱うに当たって、相手の身になってわかることを「了解Verstehen」と呼び、一方で、客観的な因果関係などを扱うことを「説明」と呼んでいます。了解できないときは説明することしかできない、という考え方は、我が国でも精神病理学でよく知られた考え方です。なお、「了解」と訳されるこの「Verstehen」というドイツ語は、ごく日常的に「わかる」「理解する」という意味で用いられる単語でもあります。

 フランスの精神分析家ラカンは、1950年代の講義(セミネール)でこのヤスパースの理論に言及し、精神科医が患者の症状を了解できたと思っても実は間違った理解に陥ってしまうことがあると警鐘を鳴らしています。なお、ヤスパースの「了解」概念の訳語として、フランス語でも、「わかる」「理解する」という意味の日常語、「comprendre」が用いられています。

 ラカンにとってヤスパースはよほど気になる大家であったのか、1970年代に至っても、セミネール11巻の後書きでヤスパースの了解概念を踏まえて次のように書いています。

「ステクリチュール(筆者注:ラカンの造語で、この文脈では、漢字仮名交じりの日本語の書き言葉を指す)をみなさんは了解しない。それでいいのだ。そのことは、みなさんにとって、このものを説明する理由になるだろうから」。(岩波版邦訳、379頁を改訳。1973年1月1日の日付が記されている)

 この、「皆さんがわからないのであれば皆さん自身が説明すればよい」というヤスパースをもじった屁理屈をラカンはちょっと気に入ったらしく、同時期のセミネールで、これと自虐を絡めた次のような冗談を言って聴衆の笑いを誘っています。なお、この発言の前提として、ラカンが書いた本や論文はわからない、理解できない、という評判が立っているという事実があります。

「あなた方は私の書物(エクリ)を了解するには及びません。了解できないなら、それは結構なことです、それがあなた方にとっては、ちょうどそれらを説明するための機会をもたらすでしょう」(『アンコール』藤田・片山訳、講談社62頁を改訳。1973年1月9日)

 このセミネールは聴衆によってテープ録音されており、その音声ファイルはネット上に無料で転がっているので聞いてみると、ここで聴衆には笑いが起こっていることがわかります。聴衆にもここがヤスパースを念頭に置いていることはすぐにわかったがゆえの笑いだろうと思われます。ヤスパースは主に精神病患者の精神現象について了解不能と論じていますから、ここでラカンは、自らの論文の書き方を精神病的だと述べているということにもなるわけですが、一瞬で聴衆にそこまで伝わったのかどうかまではわかりません。

 これを踏まえると、11巻の後書きでは、ラカンが、日本語は精神病的だと述べているということにもなりますね。これもラカンならありえないことではないように思えます。

参考文献:アンコール (講談社選書メチエ) (日本語) 単行本(ソフトカバー) – 2019/4/12

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