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2021年1月

2021年1月30日 (土)

ラカン『精神病』2章再々読

 この章も、数年前に一度取り上げましたが(ラカン『精神病』2章再読: フロイトの不思議のメモ帳 (cocolog-nifty.com))再読しているといろいろな箇所に気づかされます。

 まずは、ラカンが、ヤスパースが用いた「基礎的現象」(あるいは「要素現象」と訳すべきです)という用語(クレランボーの「精神自動症」という概念とも近い)を取り上げて、それらについて精神科医たち一般に信じられている「精神病の主に初期には断片的だがぬぐいがたい幻覚妄想体験が生じて、患者はそれら小体験に基づいて妄想体系を構築していく」という考え方を批判しようとしている文脈に置かれた箇所を取り上げます。

 …私が確信を持って強調してきたことは、「基礎的現象」という時の基礎的とは、妄想の構成全体の下に隠れているという意味ではないということです。「基礎的現象」とは、植物にたとえて言えば、一枚の葉をよく見れば、そこに葉脈が入り組み、繋がり合う、その仕方によって、その葉の詳細が明らかになるのと同じように、基礎的だということです。つまり、その植物全体に共通する何かがあるということです。そしてそれが、その植物全体を作り上げている或る特定の形態の下で再生産されるのです。同様に、妄想の構成や動機や主題化という次元にはこれと類似の構造が存在していますし、さらに、「基礎的現象」の次元にもこれと類似の構造が認められるのです。言い換えれば、妄想において働いているもの、それは、妄想をその部分で考えようと、全体で考えようと、いわば常に同じ構造化する力であるということです。(邦訳上巻29~30頁)

 今回気づいたのですが、上に引用した訳文は、最初の文では、基礎的現象は妄想全体の下に隠れているわけではない(つまり特定の小部分に関わるということで、これはおそらく当時の精神科医の普通の考え方だったのでしょう)といいながら、最後の文では、妄想は部分でみても全体でみても同じ力が働いているといっており、反対のことを言っているようにみえないでしょうか。原文は比較構文がややこしいのですができるだけそのまま訳してみます。なお、ここは「基礎的」よりも「要素的」という訳の方がぴったりくると思います。

 …私が確信を持って強調してきたことは、「要素現象」とは、妄想の構築全体の下に隠れているもの以上に要素的なわけではない[=妄想の構築全体の下に隠れているものも、「要素現象」に負けず劣らず要素的である]ということです。「要素現象」とは、植物にとって葉が要素的であるように、一枚の葉をよく見れば、そこに葉脈同士が入り組み、繋がり合う、その仕方によって、その 詳細が明らかになるのと同じように、要素的だということです。つまり、その植物全体に共通する何かがあるということです。そしてそれが、その植物全体を作り上げているいくつかの形態の下で再生産されるのです。同様に、妄想の構成や動機や主題化という次元にはこれと類似の構造が存在していますし、さらに、「要素現象」の次元にもこれと類似の構造が認められるのです。言い換えれば、妄想において働いているもの、それは、妄想をその部分で考えようと、全体で考えようと、いわば常に同じ構造化する力であるということです。(代案)

 次に移ります。31頁6行目と32頁9行目に登場する「感情鈍麻」という語には、原語は「inaffectivite」で、辞書には「情動性欠如」とありました。意味的には大きく変わりませんが。調べてみると、どうやら「感情鈍麻」という日独の精神医学用語にぴったり対応するフランス語は無いようです。前の章の「妄想直感→妄想着想」もそうでしたが、フランス精神医学の用語を邦訳する際には、日本の精神医学では見慣れない語を使うか、あるいは不正確さを承知の上で見慣れた用語を使うか選択せざるを得ないことがしばしばあります。とはいえこれは学術書ですから、日独で使い慣れた概念へと無理に変換せずフランス独特の概念を残したいと思います。

 次は、「世界が一つの意味(シニフィカシオン)を持ち始めた患者」、「通りで何かが起きていると気付いた」患者についてです。

言い換えると、彼は起こっている事柄を、意味のある言葉で象徴化しているのです。(邦訳上巻33頁)

 下線部はen termes de significationなので、直訳するならば「シニフィカシオンに関する言葉で」でしょうが、辞書の例文でも「en termes de...」という言い回しについてはもう少しこなれた訳が採用されています。それと、私はシニフィカシオンには「意味効果」という訳が良いと思うので次のように提案してみます。

言い換えると、彼は起こっている事柄を、意味効果という形で象徴化しているのです。(代案)

 ここはけっこう難しいのですが、ラカンはおそらく、「『何だか分からない意味が外界に出現した』ことを患者が知覚する」という(現象学的な精神病理学で論じられそうな)事態が起こってそれを患者が報告しているのではなく、患者は、「起こっている事柄(=本当は自身の精神に起こっている変化)を、『なんだか分からない意味効果が外界に出現した』という形で象徴化している」のだ、と言いたいのかなと思います。このセミネールを通じてラカンは、現象学的な精神病理学は、『患者は知覚体験に基づいて思考したり妄想形成したりする』という図式を信じすぎているという点で批判しているように思います。

 次は、強調構文だと思うのですが、途中までいったん普通に読み下されています。ただここも意味的には大きく変わりませんが。

分析家を育成していく際に、そこでこそ彼らを立ち止まらせるべき所があります。それは、いつも彼らが了解した時です。するべき解釈にしろ、するべきではない解釈にしろ、とにかく彼等が解釈にしくじるのは、彼等が了解するときであり、了解でもって症例を埋めてしまう時です。(岩波上巻34頁)

分析家を育成していく際に、そこでこそ彼らを立ち止まらせるべき所があります。 するべき解釈にしろ、するべきではない解釈にしろ、とにかく彼等が解釈にしくじるのはいつも、彼等が了解するときであり、了解でもって症例を埋めてしまう時です。(代案)

 次は、関連した3箇所まとめて代案を示しておきます。

しかし、その何かが了解できるということは、何の興味もないことです。逆に、非常に私達を驚かすことは、その何かがどんな弁証法的な動きによっても、近づき難く、反応を示さず、流れのないものだということです。(岩波上巻35頁)
ところがこの熱情精神病では、この核、つまり了解可能な核と呼ばれているけれども、実際には弁証法的無力の核であるものは、自我と他者の間というより明らかに私、つまり主体にずっと近いところにあります。(岩波上巻36頁)
忘れられているのは、人間行動の特性は、行為、欲望、価値が弁証法に属しているということです。(岩波上巻36頁)

しかし、そのが了解できるということは、何の興味もないことです。逆に、非常に私達を驚かすことは、そのがどんな弁証法 によっても、近づき難く、無動inerteで、流れのないstagnantものだということです。(代案)
ところがこの熱情精神病では、この核、つまり了解可能な核と呼ばれているけれども、実際には弁証法的無動性inertieの核であるものは明らかに私、つまり主体にずっと近いところにあります。(代案)
忘れられているのは、人間行動の特性は、行為、欲望、価値の弁証法的流動性mouvanceだということです。(代案)

 ここは章の冒頭に挙げられたキーワードとも関連しています。

弁証法の無効化(邦訳上巻25頁)

弁証法的無動性inertie (代案)

 次は、セグラの業績についての次の箇所ですが、これは前回扱った前章の箇所と関連しています。

患者は聞こえると称して時には自分が口に出して喋っているという、場合によっては全く明白な事実に人々が気付くまでには時間を要したことを御存じですね。そのためには、セグラ及び、その著書『臨床講義』が必要だったのです。彼はその経歴の初期に或る種の閃きによって、言語幻覚をもつ或る人達において大変はっきりしていること、他の場合でも少し仔細に見ると、声がしゃべったと言って彼らが非難する語を、知ってか知らずにか、あるいは知ろうとせずにか、自分自身でしゃべっていることを指摘しました。(岩波上巻37頁)

患者は聞こえると称して 自分が口に出して喋っているという、場合によっては全く可視的visibleな事実に人々が気付くまでには時間を要したことを御存じですね。そのためには、セグラ及び、その著書『臨床講義』が必要だったのです。彼はその経歴の初期に或る種の閃きによって、言語幻覚をもつ或る人達において大変はっきりしていること、他の場合でも少し仔細に見ると、自分たちの声がしゃべったと言って彼らが非難する語を、知ってか知らずにか、あるいは知ろうとせずにか、自分自身でしゃべっていることを指摘しました。(代案)

 ここは、自分の声が聞こえるような幻聴を念頭に置いていそうです。

 次は手記を残した有名症例、シュレーバーの経歴についての箇所です。

多くの精神的危機の際にしばしば見られるように、彼はこの職務に茫然自失になっていたと思われます。というのは、この重要な控訴院議長となるにしては、彼はまだ51歳という若さでした。そのため、この昇進は彼をかなり不安にさせていました。彼の周りは、多くの経験を持ち、難しい事件の扱いに慣れた人達ばかりでした。そして、彼は自分でも述べているように、一月間で、過労に陥り、再び諸変調をきたし始めました。つまり、不眠、強迫観念、さらに次第に混乱したテーマが考えの中に出現し、彼は再び診察を受けました。(邦訳上巻39ー40頁)

多くの精神的危機の際にしばしば見られるように、彼はこの職務に少々力が及ばなかったと思われます。というのは、この重要な控訴院議長となるにしては、彼はまだ51歳という若さでした。そのため、この昇進は彼をかなり不安にさせていました。彼の周りは、多くの経験を持ち、難しい事件の扱いに慣れた人達ばかりでした。そして、彼は自分でも述べているように、一月間で、過労に陥り、再び諸変調をきたし始めました。つまり、不眠、マンティスム、さらに次第に混乱したテーマが考えの中に出現し、彼は再び診察を受けました。(代案)

 マンティスムmentismeとは、強いて訳すなら反復心象とか思考促迫ということになるのかもしれませんが、これもフランス独特の症候学用語です。

 次もシュレーバーについてです。

それらの中で「Nervenanhang(神経附属物)」が、この患者に見られる或る種の人物への依存性を形作っています。それらの人物の意図を、患者は、その妄想の経過中、仕方のないものとして甘受しています。(邦訳上巻41頁)

それらの中で「Nervenanhang(神経接続)」という引力の形式が、この患者に見られる或る種の人物への依存性を形作っています。それらの人物の意図を、患者は、その妄想の経過中、さまざまなしかたで、仕方のないものとして甘受しています。(代案)

 「Nervenanhang」の訳は今後も同様に変換すべきと思います。ほか、下線で示した短い句が2箇所で訳し忘れられています。

 最後に、訳の微妙な正確性に欠ける箇所のうち、意味的に気になった箇所を4つ紹介します。

そしてそれは常に取り上げ直されることができ、何度も使い直され、最後の創造に使われます。(邦訳上巻42頁)

そしてそれは常に取り上げ直されることができ、何度も使い直され、その後の創造に使われます。(代案)

というのは、フロイトの考察は、シュレーバーの妄想と、精神内の経済としての個人間の交流の構造との驚くべき近似性を示そうとする試みだったからです。(邦訳上巻43頁)

というのは、フロイトの考察は、シュレーバーの妄想のなかに、精神内の経済と個人間の交流の構造との驚くべき近似法を示そうとする試みだったからです。(代案)

しかしながら、この範例的症例のおかげで、また、フロイトに劣らぬほどの鋭い彼の思考力のおかげで、初めて私達はあらゆる症例においても適用可能な構造的概念を把握するに至るのです。(邦訳上巻43頁)

しかしながら、この範例的症例のおかげで、また、フロイト ほどの鋭い 思考力の介入のおかげで、初めて私達はあらゆる症例においても適用可能な構造的概念を把握するに至るのです。(代案)

その真理をこの妄想は提供しているのです。妄想を解くための鍵を握った時からではなく、妄想をそれがあるがままのものとして見做すや否や、理論的研究によって獲得されるものの写し、それも完全に読み取ることのできる写しを得ることができるのです。(邦訳上巻44頁)

その真理をこの妄想は提供しているのです。妄想を解くための鍵を握った時からではなく、妄想をそれがあるがままのものとして見做すや否や、つまり理論的研究によって獲得されるものの写し、それも完全に読み取ることのできる写しとして見做すや否や、その真理が提供されるのです。(代案)

 今回はやや細かいところが多くなりました。

精神病〈上〉
ジャック ラカン (著), ジャック・アラン ミレール (編集), 小出 浩之 (翻訳), 川津 芳照 (翻訳), 鈴木 国文 (翻訳), 笠原 嘉 (翻訳)
出版社: 岩波書店 (1987/03)

 我が国のロックバンド、10FEETには、歌詞に「感情鈍麻」という言葉が出てくる曲があります。彼らはこの精神医学用語をどうやって知ったのだろうかと不思議に思いますが、まあ、初めて聴いても意味を推測しやすい言葉ではあります。

2021年1月22日 (金)

ラカン『精神病』1章再々読

 この第1章についてはすでに一度取り上げました(ラカン『精神病』1章再読: フロイトの不思議のメモ帳 (cocolog-nifty.com))が、必要に迫られてラカン『精神病』をはじめから読み返すと、またまた翻訳が気になる箇所がでてきます。私の場合、この本に出会ってはじめのうちはラカン独特の概念が登場するとその付近を原書にあたりながら読むというふうでしたが、何度も読み返すなか、自分の精神医学全般の知識も広がっていくにつれ、それ以外の部分にも興味が広がっていき原書にあたってみる範囲も広がってきました。特にこのセミネールでは、フランス流の症候学やパラノイア疾患概念についての興味も増すにつれて、どこもかしこも重要箇所に思えるようになってきました。

 今回まず取り上げるのは以下の下線を付けた箇所です。

 フランスでは、パラノイアという語は、ずいぶん遅れて -かれこれ五十年にもなるでしょうか- 疾病論に取り入れられたのですが、その当時は根本的に異なるものを指していました。ジャック・ラカンとかいう人が学位論文によって小さなサークルに、しかも意見を同じくする小さなサークルの内部に、考え方の大きな混乱を引き起こそうとし、その結果今日ではパラノイアについて以前のような言い方はされなくなりました。しかし少なくともそれまではパラノイアの人達といえば、意地悪な人、不寛容な人、不機嫌屋、高慢ちき、不信、過敏な人、自己尊大な人のことでした。これらの特徴が、パラノイアの土台となっていました。つまり、パラノイア的な人が極端にパラノイア的になったとき、彼は妄想するに至るというわけです。それは、概念というよりもむしろ臨床的印象、それも大変微妙な臨床的印象が問題だったのです。
 私は何も誇張しているわけではありません。『パラノイア体質(Constitution paranoïaque)』というジェニル・ペランの著書がすでに流布していたというのがフランスの大体の状況でした。(岩波上巻6頁)

 上の引用に下線を付した箇所は、些細なようでもパラノイア概念を考えると重大な変更が必要と思います。ほか、大意に影響しない部分もいくつか手を入れて、以下のように提案します。

 フランスでは、パラノイアという語は、ずいぶん遅れて -およそ五十年かけて- 疾病分類学に取り入れられたのですが、その当時は根本的に異なるものを指していました。ジャック・ラカンとかいう人が学位論文によって考え方の大きな混乱を引き起こそうとし、それは小さなサークルに、しかも意見を同じくする小さなサークルの内部にとどまりましたが、その結果今日ではパラノイア者たちについて以前のような言い方はされなくなりました。しかし少なくともそれまではパラノイアの人達といえば、意地悪な人、不寛容な人、不機嫌屋、高慢ちき、不信、過敏な人、自己尊大な人のことでした。これらの特徴が、パラノイアの土台となっていました。つまり、パラノイア的な人が極端にパラノイア的になったとき、彼は妄想するに至るというわけです。それは、概念というよりもむしろ臨床的印象、それも大変微妙な臨床的印象が問題だったのです。
 私は何も誇張しているわけではありません。『パラノイア体質(Constitution paranoïaque)』というジェニル・ペランの著書がすでに流布していたころのフランスの大体の状況はこうでした。(私案)

 次も本当に細かいところですが、私には大きな違いと思います。

心因論とは精神科の対象の中に、この有名な了解関連を導入することだと考えられています。(岩波上巻9頁)

心因論とは精神科の対象の中に、この有名な了解関連を導入することだと考えられています。(私案)

 次は、自然学という語はphysiqueの訳語のように思われるので変えてみるのと、あとは大意は変わらないのですが構文的な訂正です。

 人間心理について語るならば、ヴォルテールが自然学(博物学)について語ったことに言及しなくてはなりません。ヴォルテールは、自然学はそれほど自然ではない、と言っていますが、人間心理はむしろ反自然なものであると言わねばなりません。(岩波上巻10頁)

 人間心理について語るならば、ヴォルテールが自然誌(博物学)について語ったことに言及しなくてはなりません。すなわち、それはそれほど自然ではない、それはむしろ反自然なものであると言わねばなりません。(私案)

 次の箇所は、今回扱う中で一番重要と思います。

 たとえば彼が通りで赤い車に出会ったとすると、 ―車というものは自然な対象ではありません― こんな時に赤い車が通るなんて何かあるな、と彼は言うのです。

 この妄想着想について見てみましょう。この車には何か意味があるのです。しかし患者は大抵の場合、それが何であるかを正確に述べることはできません。それは、いいことなのだろうか、恐ろしいことなのだろうか、ともかくその車がそこにあることは、きっと何かあるのだ、と言うのです。こういった現象について、それがいかに未分化なものでも、私達は全く異なる三つの見解を持つことができます。

 まず認知障害という角度から考察することができます。(岩波上巻13頁)

 患者が赤い車を見て「何かある」と思うという症状は、ふつうの(ドイツ精神医学の流れを汲んだ)用語法では、意味妄想とか妄想知覚といわれるでしょうが、妄想着想とは呼ばれません。妄想着想とは、知覚というきっかけを伴わずに生じる思いつきのことです。原語はintuition deliranteですから妄想直感と訳すべきで、これはフランス独特の用語のようです。この語を含め、フランス語には、妄想着想とか妄想知覚にぴったり対応する精神医学用語が無いようです。それと、「何かある」という箇所は原文ではpourが使われているのでそのニュアンスを補ってみます。

たとえば彼が通りで赤い車に出会ったとすると、 ―車というものは自然な対象ではありません― こんな時に赤い車が通るなんて何かわけがあるな、と彼は言うのです。

 この妄想直感について見てみましょう。この車には何か意味があるのです。しかし患者は大抵の場合、それが何であるかを正確に述べることはできません。それは、いいことなのだろうか、恐ろしいことなのだろうか、ともかくその車がそこにあることは、きっと何かわけがあるのだ、と言うのです。こういった現象について、それがいかに未分化なものでも、私達は全く異なる三つの見解を持つことができます。

 まず知覚障害という角度から考察することができます。(私案)

 なお、二段落目の「意味」は原文では「significationシニフィカシオン」です。私はこれはつねに「意味効果」という訳語で押し通すのが良いと思っています。

 最後は、2章で論じられる内容(要改訳、次回紹介します)と密接な関係がある訂正箇所です。

言語幻覚が現実界の中に現われる時、それは「基礎的現象」の根本的な特徴である現実という感情を伴って現われるのですが、この時主体は文字通り、その自我によって話すのです。それはあたかも第三者とか黒幕とかが語り、行動を注釈するかのようになります。(岩波上巻21頁)

 ここで「黒幕」と訳されているのは原書ではdoublureなので、替え玉とか代役のことです。ここでは、自分自身の声が聞こえることをいっているのではないかと思います。次章に関連箇所が出てきます。

言語幻覚が現実界の中に現われる時、それは「基礎的現象」の根本的な特徴である現実という感情を伴って現われるのですが、この時主体は文字通り、その自我によって話すのです。それはあたかも第三者とか代役とかが語り、行動を注釈するかのようになります。(私案)

 今回はここまでにします。

精神病〈上〉
ジャック ラカン (著), ジャック・アラン ミレール (編集), 小出 浩之 (翻訳), 川津 芳照 (翻訳), 鈴木 国文 (翻訳), 笠原 嘉 (翻訳)
出版社: 岩波書店 (1987/03)

2021年1月 5日 (火)

シュナイダー『臨床精神病理学序説』2

 ふたつ前の記事で書いたように、この訳書の「妄想」の項がいかに原書から大きくかけ離れているか、ちょっと紹介してみましょう。原文にない箇所はとりあえず青文字にしておきますが、ほとんどが同じシュナイダーの主著(『新版 臨床精神病理学』針間博彦訳、文光堂)から勝手に借用、挿入された箇所です。

 妄想の発生はすべて感情や欲動や、ある種の人格を有する者の内外の体験から、了解し得るものであるとする学者が多い。しかしわれわれはヤスパースやグルーレに従い、真正妄想はかかる了解の出来る妄想様思想から区別さるべきであると信ずる。真正妄想は一次的なものであって、他の体験から導くことのできないものである。

 妄想には妄想知覚と妄想着想の二つの形がある。

 妄想知覚。これは元来正常な知覚に特別の意味が加わり、特に当人に深い関係が付けられる形の妄想である。たとえば道に足袋が落ちているのを見ると、これは自分がつけ狙われるのであると意味付け、街で二人の人が話をしていると、直ちに自分のことを話しているのだと考え、巡査がいると自分が捜索されているという意味にとる。このように、いわれもないのに関係を付けることが本質的なものである。これに反しいわれのある関係付け、たとえば不安とか邪推とかの一定の気分を基にするものは、一次的妄想とは異なるものである、逮捕されるという不安のある者は、階段を昇って来る人を皆警官ではないかと思う。かかる妄想様反応は畢竟我々に了解出来るものであって、妄想知覚とは異なるものである。ここに精神分裂病と異常反応との絶対的の区別がある。ゆえに妄想知覚は精神分裂病の診断に甚だ大切である。しかし実際には必ずしも上の例のごとく直ぐそうと判別がつくとは限らない(以上、主著の邦訳93頁を借用か)。

 人物誤認は妄想知覚のことがある。人物誤認という言葉は種々のものを含み、領識や記憶の障碍のこともあり、錯覚のこともある。失見当識もこれと同様の関係にあり、妄想によることもある。たとえば患者は他の人々がここをどこであるというかを知ってはいるが、更にそれ以上知るところがあるのである。すなわち人々はここを病院だというが、自分は牢屋だと知っているというごときである(以上、主著の邦訳93~94頁を借用か)。

 妄想着想。これは、自分には特別の使命があるとか、追跡迫害されているなどの考えが突然思い付かれたり、あるいは回想されたりすることである。妄想知覚はその構造からはっきりと妄想であることがわかるが、妄想着想は普通の着想や、妄想様思考との区別がない(以上、邦訳94頁と99~100頁を抜粋・借用か)。着想の内容の誤りを訂正しようとしないことや着想の内容の真実性のないことあるいは実際にはあり得ないことなどによって、妄想着想だと定めることはできない。普通の着想は可能性があるから妄想と区別できると思われるかもしれないが、妄想着想も可能性のあることがある。たとえば隣の娘が自分を恋しているという妄想着想は、それだけでは妄想かどうかわからず、また本当に伯爵の落としだねである者が、自分は伯爵の落としだねであるといったために、妄想患者と誤られることもある。われわれに訝しく、奇異と思われる着想を皆妄想であるとしてはならない。できるだけ事実を確かめなければならない。そうして全臨床状態を参酌して初めて妄想と断定できるのである。著しい場合にはもちろん直ちに妄想であることはわかるが、とにかく妄想知覚程決定的なものではない。(以上、主著の邦訳94頁を借用か)

 妄想知覚は精神分裂病にのみ現れる。精神分裂病であって、妄想が著しく、しかも人格の変化があまりなく、支離滅裂思考や感情障碍のないものはパラフレニーとも呼ばれる。妄想知覚の傾向は、癲癇性朦朧状態や急性外因性精神病等にも見られることがある。

 感情状態から了解されるものは妄想様思想と呼ばれる。たとえば鬱病の際の罪過思想や貧困思想がこれで、抑鬱気分が元に復すれば、これらの思想も消える。躁病や誇大型の進行麻痺における、自分は大金持である、何でも出来るなどの誇大妄想も、同様に理解できる。ただし進行麻痺では判断力の減退も、かかる思想の成立に関係がある。

 感情に基づく誤解や曲解は、精神病質者にも正常者にも見られる。身体的及び社会的低格感を有する者は、どこへ行っても自分は変な目で見られるとか、待遇が悪いとか考える。良心に咎のある者は、他人の態度から、人は自分の罪過を知っているので自分をじろじろ見たり、軽蔑したりするのだと思う。かような「妄想」は随分発展することがあるが、完全に了解できるものであって、われわれのいう意味での真正の妄想ではない。かくのごとき状態は妄想性反応と呼ばれる。

 妄想様思想は必ずしも感情の強い体験に関係があると限らず、他の一次性の体験に関係があることもある。酒精幻覚症、熱譫妄、癲癇性朦朧状態から覚めた者が、幻覚的に体験ことを、その後暫くの間本当であると思うことがある。(邦訳108~111頁)

 こうしてみると、じつはもとの文に「妄想着想」という言葉が一度も出てきません。「妄想着想」という言葉を使わずに説明しているという点にこそ、のちの主著とは異なる、本書独自の面白いところがあるのではないでしょうか。

 では、「妄想着想」という言葉を用いない本書原文での論じ方はどのようなものなのか、下に示してみましょう。上では青字にした挿入部分は省き、修正箇所は赤字を使ってみます。訳語の古さは訂正しません。順番の入れ替えや訳し落としも多いことに驚かされます。

 妄想の発生すべて感情や欲動や、人格と内外の体験から、了解し導こうとする学者が多い。しかしわれわれはヤスパースやグルーレに従い、真正妄想はかかる了解の出来る妄想様の体制 -われわれは今後もこれらを扱っていくが- から区別さるべきであると信ずる。真正妄想は一次的なものであって、他の体験から導くことのできないものである。これはとりわけ妄想知覚であきらかであり、ほとんどの妄想はもともと妄想知覚の形を取る。これは元来正常な知覚に特別の意味が加わり、特に当人に意味深い関係が付けられる形の妄想である。そのような患者は、たとえば庭に鳥の死骸が横たわっていると自分もまもなく殺されるはずだと意味付け、街で二人の人が話をしていると、直ちに自分のことを話しているのだと考え、本日はたくさん巡査がいると気づくと自分が捜索されているという意味にとる。このように、いわれもないのに関係を付けること、意味に満ちていることが本質的なものである(グルーレ)妄想知覚と並んで、患者にとって特に重大とされる、着想や想起という形の真正妄想がある。妄想にはしばしば二次的に判断の上塗りが生じ、さらには、秩序だったパラフレニー者とか精神病性「パラノイア者」のように、さらなる体系化に至り得る。

 感情状態から了解され導けるものは妄想様思考と呼ばれ悲哀や高揚といった多くの気分変調で起こる。たとえば循環鬱病の際の罪過思想や貧困思想がこれで、気分が元に復すれば、これらの思考も消える。ここで迫害妄想や、身体的枯渇の妄想や宗教的懲罰妄想を、ある程度までは抑鬱気分から了解できる。躁病や誇大型の進行麻痺における、自分は大金持である、何でも出来るなどの誇大妄想も、高まった気分から同様に了解できる。ただし進行麻痺では判断力の減退も関係がある。

 感情に基づく誤解や曲解による判断は、精神病質者にも正常者にも見られる。身体的及び社会的低格感を有する者は、どこへ行っても自分は変な目で見られるとか、待遇が悪いとか考える。良心に咎のある者は、他人の態度から、人は自分の罪過を知っているので自分をじろじろ見たり、軽蔑したりするのだと思わざるをえない根拠があるにせよ無いにせよ不全感を持つ人間は、広範な「妄想」を発展させることがあるが、完全に了解できるものであって、われわれのいう意味での妄想ではない。かくのごとき状態は反応性または精神病質性のパラノイアと呼んでもよいが、パラノイアという表現は歴史的な手あかのせいで避けることが好まれ、ここではむしろパラノイド反応と言うほうが良い。こうしたあらゆる場合において、事態は多少とも精神病質的な人格からの了解可能な妄想様思想なのか、あるいは詳しく物語られた真正妄想なのか ―とりわけ妄想知覚の形を取るものなのか― というのは、根本的な臨床問題となる。真正妄想は実際上精神分裂病プロセスにのみ現れる。言い換えればわれわれはそれがあるとき精神分裂病という妄想型の精神分裂病であって、人格が長期にわたり保たれ、支離滅裂思考や感情障碍のないものはパラノイド型分裂病またはパラフレニーとも呼ばれる。妄想知覚の兆候は、特に癲癇性朦朧状態やおそらく多くの急性外因性精神病さらに大酒家の精神病等にも見られることがある。

 妄想様の思路は必ずしも感情の強い体験に引き続くと限らず、他の一次性の体験に引き続くこともある。酒精幻覚症、熱譫妄、癲癇性朦朧状態から覚めた者が、幻覚的に体験したことを、その後暫くの間本当であると思うことがある。その現れはきわめて鮮明であって、実際に誰かが、ひょっとすると死者が、自分の枕元に立っていた、と言ってきかないほどである。(試訳)

という具合に、やはり原書に「妄想着想」という言葉は使われていないようです。

 シュナイダーには『妄想問題のむずかしさ』という1938年の論文の邦訳があり(なぜかマトウセック著『妄想知覚論とその周辺』金剛出版1983年や、我が国の学者たちの共著『妄想の臨床』新興医学出版社2013年にひっそりと所収)、そこでは、ヤスパースのいう妄想表象と妄想意識性とを「われわれは妄想着想の概念でまとめることにする」と明言するとともに、妄想知覚は知覚と意味づけという「二節性」が特徴の現象であり、いっぽうで知覚と関係なく一気に思いつく妄想着想は「一節性」の現象であるという名高い区別を導入しています。

 シュナイダーが1931年に書いた『病態心理学序説』という論の時点では、妄想表象と妄想意識性という言葉をヤスパースに従ってそのまま用いているので、おそらくシュナイダーは1930年代中期以降に、これらの概念よりも「妄想着想」と呼んで「一節性」「二節性」の区別と対応させるという自説を固めていったのだと思われ、今回扱った『序説』(1936年)はその過渡期にあって、妄想着想という言葉も一節性二節性という区別も未導入であった、ということだと思います。

 この『臨床精神病理学序説』の邦訳についていえば、後記に拠ればこの本は原著2版(1936年)をもとに1943年に南山堂から出版されたが、戦火で版が消失してしまい、1977年に改めてみすず書房から出版したとのことで、訳者は「回生版」と呼んでいます。シュナイダーの主著『臨床精神病理学』は原著初版が1950年、最初の邦訳は1955年ですから、普通に考えれば、『臨床精神病理学序説』邦訳初版(1943年)にはそこからの引用・挿入があったはずはなく、回生版の際に挿入されたのでしょう。

 この回生版の妄想論は結局、①訳者による挿入箇所には、妄想着想という語が混じり込んでいるが、一節性二節性の区別だけは混じり込まないように注意深く選ばれている、②訳者により省略された部分は診断に関わる箇所が多く、結果的にパラノイアという語が訳書にいちども登場しなくなった、③挿入と省略があるせいで、最終的なボリュームがほぼ元どおりになった、といった点をみると、かなり意図的な操作が行なわれているようにもみえます。邦訳の巻末索引にも「妄想着想Wahneinfall」と原語つきで挙げているのも、確信犯といったところでしょうか。

臨床精神病理学序説 新装版
クルト・シュナイダー (著), 西丸 四方 (翻訳)
出版社 : みすず書房; 新装版 (2014/7/5)

新版 臨床精神病理学 
クルト・シュナイダー、ゲルト・フーバー、ギセラ・グロス、 針間 博彦 (単行本 - 2007/9)
出版社: 文光堂 (2007/09)

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