« ラカン『精神病』1章再々読 | トップページ | ラカン『精神病』3章再々読 »

2021年1月30日 (土)

ラカン『精神病』2章再々読

 この章も、数年前に一度取り上げましたが(ラカン『精神病』2章再読: フロイトの不思議のメモ帳 (cocolog-nifty.com))再読しているといろいろな箇所に気づかされます。

 まずは、ラカンが、ヤスパースが用いた「基礎的現象」(あるいは「要素現象」と訳すべきです)という用語(クレランボーの「精神自動症」という概念とも近い)を取り上げて、それらについて精神科医たち一般に信じられている「精神病の主に初期には断片的だがぬぐいがたい幻覚妄想体験が生じて、患者はそれら小体験に基づいて妄想体系を構築していく」という考え方を批判しようとしている文脈に置かれた箇所を取り上げます。

 …私が確信を持って強調してきたことは、「基礎的現象」という時の基礎的とは、妄想の構成全体の下に隠れているという意味ではないということです。「基礎的現象」とは、植物にたとえて言えば、一枚の葉をよく見れば、そこに葉脈が入り組み、繋がり合う、その仕方によって、その葉の詳細が明らかになるのと同じように、基礎的だということです。つまり、その植物全体に共通する何かがあるということです。そしてそれが、その植物全体を作り上げている或る特定の形態の下で再生産されるのです。同様に、妄想の構成や動機や主題化という次元にはこれと類似の構造が存在していますし、さらに、「基礎的現象」の次元にもこれと類似の構造が認められるのです。言い換えれば、妄想において働いているもの、それは、妄想をその部分で考えようと、全体で考えようと、いわば常に同じ構造化する力であるということです。(邦訳上巻29~30頁)

 今回気づいたのですが、上に引用した訳文は、最初の文では、基礎的現象は妄想全体の下に隠れているわけではない(つまり特定の小部分に関わるということで、これはおそらく当時の精神科医の普通の考え方だったのでしょう)といいながら、最後の文では、妄想は部分でみても全体でみても同じ力が働いているといっており、反対のことを言っているようにみえないでしょうか。原文は比較構文がややこしいのですができるだけそのまま訳してみます。なお、ここは「基礎的」よりも「要素的」という訳の方がぴったりくると思います。

 …私が確信を持って強調してきたことは、「要素現象」とは、妄想の構築全体の下に隠れているもの以上に要素的なわけではない[=妄想の構築全体の下に隠れているものも、「要素現象」に負けず劣らず要素的である]ということです。「要素現象」とは、植物にとって葉が要素的であるように、一枚の葉をよく見れば、そこに葉脈同士が入り組み、繋がり合う、その仕方によって、その 詳細が明らかになるのと同じように、要素的だということです。つまり、その植物全体に共通する何かがあるということです。そしてそれが、その植物全体を作り上げているいくつかの形態の下で再生産されるのです。同様に、妄想の構成や動機や主題化という次元にはこれと類似の構造が存在していますし、さらに、「要素現象」の次元にもこれと類似の構造が認められるのです。言い換えれば、妄想において働いているもの、それは、妄想をその部分で考えようと、全体で考えようと、いわば常に同じ構造化する力であるということです。(代案)

 次に移ります。31頁6行目と32頁9行目に登場する「感情鈍麻」という語には、原語は「inaffectivite」で、辞書には「情動性欠如」とありました。意味的には大きく変わりませんが。調べてみると、どうやら「感情鈍麻」という日独の精神医学用語にぴったり対応するフランス語は無いようです。前の章の「妄想直感→妄想着想」もそうでしたが、フランス精神医学の用語を邦訳する際には、日本の精神医学では見慣れない語を使うか、あるいは不正確さを承知の上で見慣れた用語を使うか選択せざるを得ないことがしばしばあります。とはいえこれは学術書ですから、日独で使い慣れた概念へと無理に変換せずフランス独特の概念を残したいと思います。

 次は、「世界が一つの意味(シニフィカシオン)を持ち始めた患者」、「通りで何かが起きていると気付いた」患者についてです。

言い換えると、彼は起こっている事柄を、意味のある言葉で象徴化しているのです。(邦訳上巻33頁)

 下線部はen termes de significationなので、直訳するならば「シニフィカシオンに関する言葉で」でしょうが、辞書の例文でも「en termes de...」という言い回しについてはもう少しこなれた訳が採用されています。それと、私はシニフィカシオンには「意味効果」という訳が良いと思うので次のように提案してみます。

言い換えると、彼は起こっている事柄を、意味効果という形で象徴化しているのです。(代案)

 ここはけっこう難しいのですが、ラカンはおそらく、「『何だか分からない意味が外界に出現した』ことを患者が知覚する」という(現象学的な精神病理学で論じられそうな)事態が起こってそれを患者が報告しているのではなく、患者は、「起こっている事柄(=本当は自身の精神に起こっている変化)を、『なんだか分からない意味効果が外界に出現した』という形で象徴化している」のだ、と言いたいのかなと思います。このセミネールを通じてラカンは、現象学的な精神病理学は、『患者は知覚体験に基づいて思考したり妄想形成したりする』という図式を信じすぎているという点で批判しているように思います。

 次は、強調構文だと思うのですが、途中までいったん普通に読み下されています。ただここも意味的には大きく変わりませんが。

分析家を育成していく際に、そこでこそ彼らを立ち止まらせるべき所があります。それは、いつも彼らが了解した時です。するべき解釈にしろ、するべきではない解釈にしろ、とにかく彼等が解釈にしくじるのは、彼等が了解するときであり、了解でもって症例を埋めてしまう時です。(岩波上巻34頁)

分析家を育成していく際に、そこでこそ彼らを立ち止まらせるべき所があります。 するべき解釈にしろ、するべきではない解釈にしろ、とにかく彼等が解釈にしくじるのはいつも、彼等が了解するときであり、了解でもって症例を埋めてしまう時です。(代案)

 次は、関連した3箇所まとめて代案を示しておきます。

しかし、その何かが了解できるということは、何の興味もないことです。逆に、非常に私達を驚かすことは、その何かがどんな弁証法的な動きによっても、近づき難く、反応を示さず、流れのないものだということです。(岩波上巻35頁)
ところがこの熱情精神病では、この核、つまり了解可能な核と呼ばれているけれども、実際には弁証法的無力の核であるものは、自我と他者の間というより明らかに私、つまり主体にずっと近いところにあります。(岩波上巻36頁)
忘れられているのは、人間行動の特性は、行為、欲望、価値が弁証法に属しているということです。(岩波上巻36頁)

しかし、そのが了解できるということは、何の興味もないことです。逆に、非常に私達を驚かすことは、そのがどんな弁証法 によっても、近づき難く、無動inerteで、流れのないstagnantものだということです。(代案)
ところがこの熱情精神病では、この核、つまり了解可能な核と呼ばれているけれども、実際には弁証法的無動性inertieの核であるものは明らかに私、つまり主体にずっと近いところにあります。(代案)
忘れられているのは、人間行動の特性は、行為、欲望、価値の弁証法的流動性mouvanceだということです。(代案)

 ここは章の冒頭に挙げられたキーワードとも関連しています。

弁証法の無効化(邦訳上巻25頁)

弁証法的無動性inertie (代案)

 次は、セグラの業績についての次の箇所ですが、これは前回扱った前章の箇所と関連しています。

患者は聞こえると称して時には自分が口に出して喋っているという、場合によっては全く明白な事実に人々が気付くまでには時間を要したことを御存じですね。そのためには、セグラ及び、その著書『臨床講義』が必要だったのです。彼はその経歴の初期に或る種の閃きによって、言語幻覚をもつ或る人達において大変はっきりしていること、他の場合でも少し仔細に見ると、声がしゃべったと言って彼らが非難する語を、知ってか知らずにか、あるいは知ろうとせずにか、自分自身でしゃべっていることを指摘しました。(岩波上巻37頁)

患者は聞こえると称して 自分が口に出して喋っているという、場合によっては全く可視的visibleな事実に人々が気付くまでには時間を要したことを御存じですね。そのためには、セグラ及び、その著書『臨床講義』が必要だったのです。彼はその経歴の初期に或る種の閃きによって、言語幻覚をもつ或る人達において大変はっきりしていること、他の場合でも少し仔細に見ると、自分たちの声がしゃべったと言って彼らが非難する語を、知ってか知らずにか、あるいは知ろうとせずにか、自分自身でしゃべっていることを指摘しました。(代案)

 ここは、自分の声が聞こえるような幻聴を念頭に置いていそうです。

 次は手記を残した有名症例、シュレーバーの経歴についての箇所です。

多くの精神的危機の際にしばしば見られるように、彼はこの職務に茫然自失になっていたと思われます。というのは、この重要な控訴院議長となるにしては、彼はまだ51歳という若さでした。そのため、この昇進は彼をかなり不安にさせていました。彼の周りは、多くの経験を持ち、難しい事件の扱いに慣れた人達ばかりでした。そして、彼は自分でも述べているように、一月間で、過労に陥り、再び諸変調をきたし始めました。つまり、不眠、強迫観念、さらに次第に混乱したテーマが考えの中に出現し、彼は再び診察を受けました。(邦訳上巻39ー40頁)

多くの精神的危機の際にしばしば見られるように、彼はこの職務に少々力が及ばなかったと思われます。というのは、この重要な控訴院議長となるにしては、彼はまだ51歳という若さでした。そのため、この昇進は彼をかなり不安にさせていました。彼の周りは、多くの経験を持ち、難しい事件の扱いに慣れた人達ばかりでした。そして、彼は自分でも述べているように、一月間で、過労に陥り、再び諸変調をきたし始めました。つまり、不眠、マンティスム、さらに次第に混乱したテーマが考えの中に出現し、彼は再び診察を受けました。(代案)

 マンティスムmentismeとは、強いて訳すなら反復心象とか思考促迫ということになるのかもしれませんが、これもフランス独特の症候学用語です。

 次もシュレーバーについてです。

それらの中で「Nervenanhang(神経附属物)」が、この患者に見られる或る種の人物への依存性を形作っています。それらの人物の意図を、患者は、その妄想の経過中、仕方のないものとして甘受しています。(邦訳上巻41頁)

それらの中で「Nervenanhang(神経接続)」という引力の形式が、この患者に見られる或る種の人物への依存性を形作っています。それらの人物の意図を、患者は、その妄想の経過中、さまざまなしかたで、仕方のないものとして甘受しています。(代案)

 「Nervenanhang」の訳は今後も同様に変換すべきと思います。ほか、下線で示した短い句が2箇所で訳し忘れられています。

 最後に、訳の微妙な正確性に欠ける箇所のうち、意味的に気になった箇所を4つ紹介します。

そしてそれは常に取り上げ直されることができ、何度も使い直され、最後の創造に使われます。(邦訳上巻42頁)

そしてそれは常に取り上げ直されることができ、何度も使い直され、その後の創造に使われます。(代案)

というのは、フロイトの考察は、シュレーバーの妄想と、精神内の経済としての個人間の交流の構造との驚くべき近似性を示そうとする試みだったからです。(邦訳上巻43頁)

というのは、フロイトの考察は、シュレーバーの妄想のなかに、精神内の経済と個人間の交流の構造との驚くべき近似法を示そうとする試みだったからです。(代案)

しかしながら、この範例的症例のおかげで、また、フロイトに劣らぬほどの鋭い彼の思考力のおかげで、初めて私達はあらゆる症例においても適用可能な構造的概念を把握するに至るのです。(邦訳上巻43頁)

しかしながら、この範例的症例のおかげで、また、フロイト ほどの鋭い 思考力の介入のおかげで、初めて私達はあらゆる症例においても適用可能な構造的概念を把握するに至るのです。(代案)

その真理をこの妄想は提供しているのです。妄想を解くための鍵を握った時からではなく、妄想をそれがあるがままのものとして見做すや否や、理論的研究によって獲得されるものの写し、それも完全に読み取ることのできる写しを得ることができるのです。(邦訳上巻44頁)

その真理をこの妄想は提供しているのです。妄想を解くための鍵を握った時からではなく、妄想をそれがあるがままのものとして見做すや否や、つまり理論的研究によって獲得されるものの写し、それも完全に読み取ることのできる写しとして見做すや否や、その真理が提供されるのです。(代案)

 今回はやや細かいところが多くなりました。

精神病〈上〉
ジャック ラカン (著), ジャック・アラン ミレール (編集), 小出 浩之 (翻訳), 川津 芳照 (翻訳), 鈴木 国文 (翻訳), 笠原 嘉 (翻訳)
出版社: 岩波書店 (1987/03)

 我が国のロックバンド、10FEETには、歌詞に「感情鈍麻」という言葉が出てくる曲があります。彼らはこの精神医学用語をどうやって知ったのだろうかと不思議に思いますが、まあ、初めて聴いても意味を推測しやすい言葉ではあります。

« ラカン『精神病』1章再々読 | トップページ | ラカン『精神病』3章再々読 »

ラカン」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« ラカン『精神病』1章再々読 | トップページ | ラカン『精神病』3章再々読 »

2021年12月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ