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2021年9月 4日 (土)

ラカン『精神病』5章から『フロイト的もの』論文へ

 ラカンのセミネール『精神病』5章を読んできましたが、この章は1955年12月14日の講義録に加え、「補遺」として、12月21日の講義の導入部分が収録されています。このあとラカンは、自らウィーンで行った講義をもとにして著した論文『フロイト的事象』を読み上げた、と記載されているのですが、論文の内容は紹介されておらず、論文集『エクリ』に収録されているというふうに指示されています。

 『エクリ』でこの論文を開くと、いきなり冒頭で、ウィーンはオペラの歌声によって再び声を聞かせようとしている、といった話がはじまります。ラカンのこのウィーンでの講演は1955年11月7日に行われましたが、調べてみると、ウィーン国立歌劇場は長年戦災で焼失したままになっていたのが、再建されて1955年11月5日にカール・ベーム指揮『フィデリオ』公演で再開されたということです。

 ラカンがこの日にオペラに言及した事情が分かってみると、この論文の最初の段落についてはだいぶすっきりわかってくるので、続きも読んでみたくなるのですが、やはりラカンが書く文体は手強いので、訳しながら読まないと頭に残りませんが、週に1頁ずつ進むのも大変そうですし、そのペースでは一論文に1年近くかかるという沼が待ち構えています。

 タイトル『LA CHOSE FREUDIENNE 』は、邦訳エクリでは『フロイト的事象』とされていますが、フロイトの『もの』概念を指しているんじゃないかと予想して、『フロイト的もの』としてみます。『フロイト的なもの』とすると、原語『LE FREUDIEN』に対応するかのように見えてしまい、『CHOSE』が消えてしまいそうです。

 とりあえず1頁目はこんなふうになるでしょうか。仏文はネット上で拾いました。

 

LA CHOSE FREUDIENNE
ou
SENS DU RETOUR A FREUD EN PSYCHANALYSE

フロイト的もの
あるいは
精神分析におけるフロイトへの回帰の意味

 

Amplification d’une conférence prononcée
à la clinique neuro-psychiatrique de VIENNE
le 7 novembre 1955

1955117
ウィーン神経精神医学病院で
口述された講演の加筆増訂

A Sylvia
シルヴィアに

SITUATION DE TEMPS ET DE LIEU DE CET EXERCICE.
この務めの時と場の状況 

En ces jours où Vienne, pour se faire entendre à nouveau par la voix de l’Opéra, reprend en une variante pathétique ce qui fut sa mission de toujours en un point de convergence culturelle dont elle sut faire le concert, – je ne crois pas venir hors de saison y évoquer l’élection par quoi elle restera, cette fois à jamais, liée à une révolution de la connaissance à la mesure du nom de Copernic : entendez, le lieu éternel de la découverte de Freud, si l’on peut dire que par elle le centre véritable de l’être humain n’est désormais plus au même endroit que lui assignait toute une tradition humaniste.
 今日、ウィーンは、再度オペラの歌声によって自ら[の声]を聞かせるために、かつて歌声が見事に響かせた文化的収斂の地点におけるその常に変わらぬ使命なるものを、感動的な異版で再開しています ・・・この歌声が今後ずっと、コペルニクスの名に相応しい認知革命 ―もしも、この革命のせいで、その後人間存在の真の中心は、ユマニスト的伝統の全体が人間存在に割り当てたのと同じ場所にもはや在りはしない、と言えるならば[この革命はコペルニクスの名に相応しいでしょう]― に結びつき続けていくのは、[神の]選択によることであり、これに言及するために私が[ウィーンに]来たのは時季外れではないと思います。よろしいですか、フロイトの発見の永遠の地[となった、という選択]のことです。

Sans doute même pour les prophètes à qui leur pays ne fut pas tout à fait sourd, le moment doit-il venir où s’y observe leur éclipse, ceci fût-il après leur mort. La réserve convient à l’étranger quant aux forces qui mettent en jeu un tel effet de phase.
 預言者たちに対して彼ら自身の故国が全く聞く耳を持たないわけではなかったとしても、彼らにとっておそらく、自らの陰りを観察し合う時点がやって来るはずです。それは彼らの死後になるかもしれませんが。そのような位相[交代/浮き沈み]効果を働かせる諸力に関しては、[私のような]よそ者は口を慎むのがよいでしょう。

#訳註「Nul n’est prophete dans son pays.預言者故郷に入れられず=人の真価は郷里ではなかなか認めてもらえない」という成句があり、これはもともと聖書の一節であって、フランスのみならずドイツ語にも同様の成句がある。ジョーンズが書いた伝記によると、フロイトは税務署から「オーストリア国内からはるかに国境を越えて名声が轟いているわりには収入が増えていない」と疑義を指摘された際に、「そのように評価されて光栄だが、私の名声は国境のところからはじめて認められるのです」と返答したとされるが、それもこの成句を意識した言い回しかも知れない(ジョーンズ著『フロイトの生涯』邦訳360~361頁)。

Aussi bien le retour à Freud dont je me fais ici l’annonciateur se situe-t-il ailleurs : là où l’appelle suffisamment le scandale symbolique que le Dr Alfred Winterstein ici présent, a su, comme président de la Société psychanalytique de Vienne, relever quand il se consommait, soit à l’inauguration de la plaque mémoriale qui désigne la maison où Freud élabora son œuvre héroïque, et qui n’est pas que ce monument n’ait pas été dédié à Freud par ses concitoyens, mais qu’il ne soit pas dû à l’association internationale de ceux qui vivent de son parrainage.

 いずれにせよ、私がここで予告者を買って出ているフロイトへの回帰は、他所に位置づけられます。ここにご出席のアルフレート・ヴィンターシュタイン博士が、ウィーン精神分析協会の長として指摘し得た象徴的スキャンダルが十分に、フロイトへの回帰をこの他所へと導いてくれます。博士は、そのスキャンダルが完遂された時、すなわち、フロイトがその[草創期の]英雄的著作を作り上げた建物を示した記念プレートの除幕式において、それを指摘したのでした。スキャンダルとは、この記念碑が、フロイトと同じ街の人びとによって捧げられたのではない、ということではなく、むしろ、これが、フロイトの後援のおかげで生きている者たちの国際協会の尽力に因るものではないということのほうです。

 やはりかなり厄介な感じで、この先、続けられるか、正直なところ自信ありません。

Ecrits
フランス語版
Jacques Lacan

 ところで、ウィーン国立歌劇場のオーケストラを母体とするウィーン・フィルハーモニー管弦楽団が、1955年11月6日にウィーン学友協会ホールでブルーノ・ワルター指揮マーラー4番ほかのプログラムの演奏会を行っていて、この演奏の録音は古くから名盤として知られており、私も時々聞き返します。同日には歌劇場ではベーム指揮で『ドン・ジョヴァンニ』が演じられています。これらのうちどれかの演奏会をラカンも聴いていたなんてこともあるかもしれません。

 ワルターの1955年11月6日のマーラー4番は、私はウィーンフィル150周年ボックスCDで聴きます
Sym.38 / Sym.4: Walter - Mozart / Mahler (amazon.co.jp)
が、これは廃盤のようで、代わりに海賊盤?がアップルミュージックでサブスクでも聴けるようです(下記リンク)。
‎「Mahler: Das Lied von der Erde & Symphony No. 4 - Mozart: Symphony No. 38 (Recorded 1952-1955) [Live]」

 前日のこけら落としの『フィデリオ』や同日の『ドン・ジョヴァンニ』が一部収録された正規CDも廃盤のようですがこれもサブスクで聴けます。
‎ウィーン国立歌劇場管弦楽団の「ウィーン・オペラ・フェスティバル1955」

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