« 2022年2月 | トップページ | 2022年4月 »

2022年3月

2022年3月12日 (土)

ラカン『フロイト的もの』(エクリ410~411頁)

 次に移ります。今回は2段落進みましょう。ここもひきつづき、真理の立場に立って「私は・・・」と語っている箇所です。

 一つ目の段落では、ネット上に公開されているこの論文のファイル(『エクリ』所収版ではなく論文初出時のテキストを元にしていることが多い)との相違が2箇所あって、ひとつめは4つめの単語「」の代わりにネットでは「y」となっている箇所、もうひとつは「continue la prosopopée擬人法が続く」という箇所が、「dit la vérité真理が語る」となっている箇所です。ここは真理に語らせるという擬人法が使われていますから、どちらも同じことを言っています。

« Mais vous allez là prendre garde : la peine qu’a eue celui-ci à devenir professeur, lui épargnera peut-être votre négligence, sinon votre égarement, continue la prosopopée. Entendez bien ce qu’il a dit, et, comme il l’a dit de moi la vérité qui parle, le mieux pour le bien saisir est de le prendre au pied da la lettre. Sans doute ici les choses sont mes signes, mais je vous le redis, signes de ma parole. Le nez de Cléopâtre, s’il a changé le cours du monde, c’est d’être entré dans son discours, car pour le changer long ou court, il a suffi mais il fallait qu’il fût un nez parlant.

「しかし皆はそこで用心されたい:フロイトが教授になるためになした苦労は、ひょっとすると彼に対する皆の逆上を免じてくれるとは言わないまでも皆の軽視を免じてくれるだろう」と、[真理が語るという]擬人法が続く。「フロイトが言ったことをよく理解されたい。そして彼が、話す真理たる私について言ったように、それ[フロイトが言ったこと]をうまく把握するために最良のことは、それを字義通りに受け取ることだ。おそらくここで諸物こそが私の徴[シーニュ]であり、しかも私は皆に改めて言うが、私のパロールの徴[シーニュ]である。クレオパトラの鼻がもし世界の流れを変えたとしたら、それは世界のディスクールに加わったことによるのだ、というのも、その鼻を長くも短くも変えるには、それが話す鼻であることで十分であったのだし、かつそれが必要でもあったからだ」。

 二つ目の段落には、「les traces hermétiques du voleur d’Apollon」とあります。「hermétique」には「難解な」という意味と「ヘルメスの」という意味があるようですが、ギリシア神話でヘルメスが生まれたその日にゆりかごから這い出してアポロンの牛50頭を盗んだというエピソードをふまえたものと思われ、ここは「難解」ではなく「ヘルメス的」と訳したいのですが、その後ろ、「voleur d’Apollon」は「アポロンという盗人」という意味ですから、神話とは逆なのです。間違いではないとすれば、ラカンはここで、盗まれた側のアポロンにも実は盗人的なところが隠れていると言いたいのかもしれません。とはいえ、ソフォクレスがこれをエディプスよりも重視したという、これまたよく分からない説明が付された箇所でもあり、真意は今のところよく分かりません。

« Mais c’est du vôtre maintenant qu’il va falloir vous servir, bien qu’à des fins plus naturelles. Qu’un flair plus sûr que toutes vos catégories vous guide dans la course où je vous provoque : car si la ruse de la raison, si dédaigneuse qu’elle fût de vous, restait ouverte à votre foi, je serai, moi la vérité, contre vous la grande trompeuse, puisque ce n’est pas seulement par la fausseté que passent mes voies, mais par la faille trop étroite à trouver au défaut de la feinte et par la nuée sans accès du rêve, par la fascination sans motif du médiocre et l’impasse séduisante de l’absurdité. Cherchez, chiens que vous devenez à m’entendre, limiers que Sophocle a préféré lancer sur les traces hermétiques du voleur d’Apollon qu’aux trousses sanglantes d’Œdipe, sûr qu’il était de trouver avec lui au rendez-vous sinistre de Colone l’heure de la vérité. Entrez en lice à mon appel et hurlez à ma voix. Déjà vous voilà perdus, je me démens, je vous défie, je me défile : vous dites que je me défends ».

「しかしいま皆は自身の鼻を利用すべきだろう、より自然な目的のためであっても。皆の全てのカテゴリーよりも定かな嗅覚が、私が皆にうながす行程で皆を導いてほしい:というのも、もし理性の狡知が、いかに皆を軽視していても、皆の信に対して開かれたままであったら、真理たる私は、皆に対して大いなる嘘つきなのであろうから。なにしろ、私[へ]のいくつもの道が経由するのは偽だけではなく、みせかけの持つ欠陥に見出すべきあまりに狭い断裂も通るし、接近不能な夢の妄念も、平凡さがもつ理由無き魅惑も、不条理がもつ魅惑的な行き詰まりも通る。皆よ探しなさい、犬どもよ、猟犬どもよ。皆は私の言うことを聞いて犬になる。ソフォクレスは、エディプスの血塗れの足跡を追うよりもむしろ、盗人アポロンのヘルメス的痕跡へと猟犬を放つことを好んだ。ソフォクレスは、コロノスなる陰惨な最終到達地にこそエディプスと共に真理の時をきっと見出すと思っていた。皆よ私の召喚で闘技場に入りなさい、そして私の声でうめきなさい。すでに皆はこうして敗れ、私は前言を翻しdémens、皆に挑みdéfie、私はずらかりdéfile:皆は私が自己弁護しているdéfendsと言う」。

 最後で似た単語を連ねている箇所は、ラカンのお気に入りであったのか、はるか後に書かれたセミネールⅪ巻『精神分析の四基本概念』後記(1973年)でも出てきます。「挑戦défiされれば人は逃げだしdéfile、挑戦défiantしながら人は防御しdéfend ・・・」(岩波文庫下巻349頁)。そこも非常に難解な箇所であって、このエクリを読む際のヒントになるという感じでもないのですが。

Ecrits
フランス語版
Jacques Lacan

 たったいま、テレビで3分クッキングを観ていたら、キューピーハーフのCMのナレーションで福山雅治が「私はライフを新しくする」と言ってましたが、これがキューピーハーフという商品の立場に立って語っているとすればラカンのこの論文と同じ擬人法のレトリックであって、ラカンの文ばかりをさほど奇妙に思う必要も無いのかなと気付いたところです。

« 2022年2月 | トップページ | 2022年4月 »

2022年6月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
無料ブログはココログ