ヤスパース

2017年2月 9日 (木)

ラカン『精神病』3章再読

 前回は「要素現象」の概念を取り上げましたが、辞書を引き直すと、「elementar」にはドイツ語では「荒々しい、抑えられない、激烈な」という意味もあるようで、しかもこの意味での使用頻度が高いのか、小学館の大独和ではこの語義が最初に挙げられています。フランス語のelementaireにはこの意味はないようだし、意味的にもラカンの訳には「要素(現象)」でよさそうですが、ヤスパースを訳す際には、この意味を含み持つような訳を考えるべきかもしれません。ヤスパースでは、その後の精神病プロセスの起爆剤的な現象を指すともいえそうですから。

 さて、3章の翻訳からは次の箇所を取り上げましょう。

 医療上関わり合った男性達が次々と登場したこと、つまりそれらの人たちが次々と名前を挙げられ、シュレーバー議長のとてつもない迫害妄想の中心に相次いで出現したことは、たしかにこれらの男性達の重要性を示しています。(邦訳上巻47~48頁)

 下線部の原文を直訳すると「とてつもなくパラノイド的な迫害」です。精神医学用語でパラノイドとは、パラノイアに似て非なる妄想型統合失調症を指しますから、翻訳はわかりやすく「とてつもなく妄想型統合失調症的な迫害」としてもよいでしょう。こういう箇所を見ると、ラカンはシュレーバーを、(妄想形成メカニズムを論じるときにはパラノイアという言葉を使っていますが)診断的には妄想型統合失調症とみていたことが分かります。当たり前ですけど。

 次に、私にとっては58頁のほぼ真ん中にある段落が、今回読み直しても非常に理解困難に感じます。

 まず第一の形、それは「信頼」、つまり捧げられたパロールです。たとえば「君は僕の妻だTu es ma femme.」とか「あなたは私の師Tu es mom maitre.」がそれです。これらのパロールが意味しているのは、「君はなお私のパロールの中にあるものだ。そして、私がそう言えるのは君という場で、このパロールを捉えているからこそなのだ。それは、君から生じて、私が任すことの確かさを君に見出すのだ。このパロールは君の任に置くパロールなのだ、君の」ということです。(邦訳上巻58頁)

 「君という場で、パロールを捉えている」は原文では「prendre la parole a ta place」なのですが、このprendre la paroleはふつう成句として「発言する」という意味になるのです。上に引用した邦訳なら、パロールを受け取っているという意味、成句と取ればパロールを発しているという意味になりますが、ここは文脈上どちらと取るべきかがまず迷う点です。
 「君という場」はラカン理論では大文字の他者を指すという点も考えなければなりません。
 それと、「任す」「任に置く」と訳されたengagerですが、辞書を見るとかなり多義的だし、ものを補語とするときと人を補語とするときとで意味が違うので困ります。他の箇所での訳との整合性も考えなければなりません(前の段落には「任されたパロールparole engagee」という箇所もありますが、engager la paroleは「言質を与える」という意味もあるようでなおややこしい)。それと、途中の「君に(見出す)」ですが、原文は「y」ですので「君の場に(見出す)」ではないでしょうか。というわけで、かなり暫定的に次のような代案を考えてみました。

 まず第一の形、それは「fides信頼」、つまり捧げられたパロールです。たとえば「君は僕の妻だTu es ma femme.」とか「あなたは私の師Tu es mom maitre.」がそれです。これらのパロールが意味しているのは、「君はなお私のパロールの中にあるものだ。そして、私がそう言えるのは君の場で、このパロールを発しているからこそなのだ。それは、君から生じて、私が任ずることの確かさを君の場に見出すのだ。このパロールは君を任ずるパロールなのだ、君を」ということです。(仮の代案)

 最後に些細な箇所です。

 つまり嫉妬妄想では、何よりも、性化の記号が逆転された[ルビ:アンベルティ]他者との同一化が見出されるのです(邦訳上巻68頁)

 ここのルビは正しくは「アンテルベルティ」です。フランス語にはアンテルベルティもアンベルティも実在して、意味もよく似ているのですが。

 翻訳の問題から離れて、この章で印象的なのは、精神分析家ならば患者に対して、「相手は普通の人々が理解しているよりももっと深い仕方で、無意識という体系のメカニズムそのものに通暁した人だという感じをお持ちになるでしょう」という箇所です。このように、ラカンにとって、精神病患者は、人間の精神の普遍的な問題に気づくことがある人々だというわけです。一方でこれと対照的に、現象学的な精神医学者は、たとえばブランケンブルク『自明性の喪失』で詳論されている患者、アンネ・ラウを、極めて高い内省能力でもって症状を語っていると評価しているにもかかわらず、アンネは(人間一般の精神構造ではなく)単に統合失調症の基本障害に気づいている、としているのです。
 しかし上のような対比を踏まえて私がアンネ自身の言葉を読み返してみると、アンネは、人間の精神構造一般の問題についての鋭い洞察を随所で語っているように感じますけれど、皆さんはいかがでしょうか。

精神病〈上〉 
ジャック ラカン (著), ジャック・アラン ミレール (編集), 小出 浩之 (翻訳), 川津 芳照 (翻訳), 鈴木 国文 (翻訳), 笠原 嘉 (翻訳)
出版社: 岩波書店 (1987/03)

2016年11月27日 (日)

ヤスパース『原論』の遺伝論はまずかったのか…

 ヤスパース『精神病理学原論』のみすず版邦訳からは、遺伝に関して論じられた箇所が大幅に省かれており、以前、その部分の拙訳をこのブログで公開してみました。

http://freudien.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-cec7.html

 私がこの記事を書いた当時は、ヤスパースの遺伝論が、その後の遺伝学の知見からみて古すぎるので訳者が省いたのかと思っていましたが、いま(2016年秋現在)思えば、ヤスパースのこの部分は、優生思想的に読まれてしまうおそれを感じて省かれたのかもしれない、と思えてきました。実際には何でもない内容ですが。

精神病理学原論 

カール ヤスパース (著), Karl Jaspers (原著), 西丸 四方 (翻訳)

みすず書房; 限定復刻版 (1971/01)

Allgemeine Psychopathologie Ein Leitfaden Fur Studierende, Arzte Und Psychologen (1913) Karl Jaspers (ペーパーバック - 2009/11)

出版社: Kessinger Publishing (2009/11)

 今年の新語・流行語大賞の候補がたくさん公開されていますが、個人的には「厚化粧の大年増」や「優生思想」「生前退位」が入るべきじゃないかと思ってますけども、例年、無難な言葉しか入りませんよね。

2014年6月11日 (水)

ヤスパース『原論』の再読(附録)

 この本の翻訳の検討はこれで最後になりました。

現象学的に明らかにするためには、患者にできるだけ自分の精神的体験の形を見させるようにし、自己観察をさせるようにして、体験の内容だけでなく、体験の主観的な様式をわれわれに伝えてもらわなければならない。(379頁)

現象学的に明らかにするためには、患者にできるだけ自分の精神的体験の形を見させるようにし、自己観察をさせるようにして、体験の内容を通じてだけでなく、体験の主観的な様式を通じてわれわれに何かを伝えてもらわなければならない。(代案)

 次は、前々回も扱った、verruecktという言葉に関するところです。

慢性の妄想患者はその妄想体系をいわないように気をつけるが、それは皆が自分を気が狂っていると思うことを知っているからである。(380頁)

慢性のパラノイア患者はその妄想体系をいわないように気をつけるが、それは皆が自分を偏執狂と思うことを知っているからである。(代案)

 最後は、記述者と分析者を対比して論じた箇所からです。構文に省略もあって難しいんですが、私は次のように解しました。構文全体に関わるので、今回は変更箇所に下線を引きません。

それゆえ記述者はどっちへ行ってもうまく行くが、分析者はうまくいかない。しかし記述者は同じところをぐるぐる回っており、分析者は先へ先へと進んでいく。(395頁)

それゆえ記述者の広大な成果が、分析者にとっては失敗にあたる。しかも記述者が同じところを堂々巡りすることが、分析者にとっては進捗にあたるのである。(代案)

 読みかけの本はこの調子で次々に片付けていきたいものです。

精神病理学原論 

カール ヤスパース (著), Karl Jaspers (原著), 西丸 四方 (翻訳)

みすず書房; 限定復刻版 (1971/01)

Allgemeine Psychopathologie Ein Leitfaden Fur Studierende, Arzte Und Psychologen (1913) Karl Jaspers (ペーパーバック - 2009/11) 

出版社: Kessinger Publishing (2009/11)

2014年6月10日 (火)

ヤスパース『原論』の再読(第七章)

 この本の翻訳の検討も終りが見えてきましたので、一気に進めたいと思います。

 まずは、単なる単語レベルの問題です。「接神論」は私の辞書では探せません。

あるグループには異常者や精神病患者が集まる性質があり、外人部隊とか、自然にかえれ主義や菜食主義の人のグループとか、何々健康法の狂信者の団体とか、心霊主義者や神秘主義者や接神論者の集まりなどがそうである。(366~367頁)

あるグループには異常者や精神病患者が集まる性質があり、外人部隊とか、自然にかえれ主義や菜食主義の人のグループとか、何々健康法の狂信者の団体とか、心霊主義者や神秘主義者や神智学者の集まりなどがそうである。(代案)

 次の箇所に含まれる「変質entarten」の語は、1箇所(「遺伝的の変質」の箇所)を除いて、320頁で出てきた「変質性精神病」という表現とは原語が異なりますので、ここは「変性」にしておきます。略した部分にも4箇所、また引用箇所の後ろの段落にも1箇所、「変質」の語がありますが、やはり「変性entarten」とすべきと思います。

 文化の発展の影響である種族は種族は「変質」するのか。(…略…)文化の影響による変質の存在をどうしても考えさせる顕著な例は文化家系の運命である。この場合二つの見解がひどく対立する。一方においては遺伝的の変質は起こらないと考えられ、子孫が子供の時からもうぶつかる環境の作用で、柔弱になり、努力を避け、怠惰になり、不規則な生活をし、子供の数を無理に制限し、偶発事故のためにそういう結果になると説明される。(368~369頁)

 文化の発展の影響である種族は種族は「変性」するのか。(…略…)文化の影響による変性の存在をどうしても考えさせる顕著な例は文化家系の運命である。この場合二つの見解がひどく対立する。一方においては遺伝的の変質は起こらないと考えられ、子孫が子供の時からもうぶつかる環境の作用である。つまり柔弱になり、努力を避け、怠惰になり、不規則な生活をし、子供の数を無理に制限し、偶発事故のためにそういう結果になると説明される。(代案)

 次は、「非社会性」と「反社会性」を対比して述べている箇所からです。

彼のやり方はまずくて臆しているかと思うとひどく度を過したり荒っぽかったりして、とにかくうまく整わず極端なので、彼は誰にもいやに思われ、彼もそのはねかえりを感じてますます自分を遮断してしまう。この形の異常性はいくらも了解的関連を持ち、様々の「コンプレクス」に左右されるので、うまくいけば消えることがあるが、まずくいくとまったく孤独になって室に閉じこもって出なくなり、分裂性の痴呆過程と似てくる。(373頁)

彼のやり方はまずくて臆しているかと思うとひどく度を過したり荒っぽかったりして、とにかくうまく整わず極端なので、彼は誰にもいやに思われ、彼もそのはねかえりを感じてますます自分を遮断してしまう。この形の非社会性はいくらも了解的関連を持ち、様々の「コンプレクス」に左右されるので、うまくいけば消えることがあるが、まずくいくとまったく孤独になって室に閉じこもって出なくなり、分裂性の痴呆過程と似てくる。(代案)

 次は「病誌Pathographien」についての箇所です。これは現代日本では「病跡」と呼ばれることが多いと思います。。

深い精神病理学的な目、歴史的批判の能力が信頼すべき認識の条件であり、畏敬と気高い憚りのようなもの -といっても何かいわずにおくという必要はないが- が、病誌を作ることに要求されるが、気が向かないからやらずにおくべきものではあるまい。(376頁)

深い精神病理学的な目、歴史的批判の能力が信頼すべき認識の条件であり、畏敬と気高い憚りのようなもの -といっても何かいわずにおくという必要はないが- が、人々から敬遠されないような病誌の描写に要求される。(代案)

 残るは「附録」のみです。

精神病理学原論 

カール ヤスパース (著), Karl Jaspers (原著), 西丸 四方 (翻訳)

みすず書房; 限定復刻版 (1971/01)

Allgemeine Psychopathologie Ein Leitfaden Fur Studierende, Arzte Und Psychologen (1913) Karl Jaspers (ペーパーバック - 2009/11) 

出版社: Kessinger Publishing (2009/11)

2014年6月 7日 (土)

ヤスパース『原論』の再読(第六章)

 翻訳の検討を続けます。この章には問題は少ないと思いました。

それはすなわち躁うつ病 -フランスの学者の循環精神病と感情疾患もこれに入る- と早発性痴呆 -カールバウムの緊張病と、破瓜病と狂気(フェルリュクトハイト)がこれに入る- とである。(邦訳312頁)

それはすなわち躁うつ病 -フランスの学者の循環精神病と感情疾患もこれに入る- と早発性痴呆 -カールバウムの緊張病と、破瓜病と偏執狂(フェルリュクトハイト)がこれに入る- とである。(代案)

 この『Verruecktheit』をはじめとする古い疾患概念をどう統一的に訳すかは非常に難しいところですが、ここは早発性痴呆(統合失調症)の下位分類ですから、今でいう妄想型に相当するものがあるはずで、上のように訳すべきでしょう。『狂気(フェルリュクトハイト)』という訳語は、322頁、334頁にもありますが、同様に偏執狂で良いでしょう。

 次です。

精神病理学の課題は進行麻痺その他の種々の脳病過程の時の異常精神現象に対しては、この脳病過程がみつかれば、全く同じもの以上に出ることはないという事実や…(320頁)

精神病理学の課題は進行麻痺その他の種々の脳病過程の時の異常精神現象に対しては、この脳病過程がみつかって以来、全く同じもの以上に出ずにとどまっているという事実や… (代案)

 次です。

症状群(322頁)

症状複合(代案)

 群というと単に複数あるという意味ですが、ここは「コンプレックス」、関連した複合という意味です。このあとたくさん出てきます。

 次です。

五 症状群の単位のもとになるものにはさらに、全然異質のカテゴリーの症状にある同じ性質がある。こういうのはたとえば、患者が「させられる」と感ずるのはみな妄想症状群とし、神経学的に説明できず心理学的に了解できない異常な運動現象は緊張症状群、過度な「刺激性」と「弱さ」から出たものとみられる出来事は皆神経衰弱症状群とするごときものである。(325頁)

五 症状複合の単位のもとになるものにはさらに、その他の点では全然異質の症状カテゴリーに分類すべき同じ性質がある。こういうのはたとえば、患者が「させられる」と感ずるのはみなパラノイア複合とし、神経学的に説明できず心理学的に了解できない異常な運動現象は緊張病複合、過度な「刺激性」と「弱さ」から出たものとみられる出来事は皆神経衰弱性とするごときものである。(代案)

 思考させられることも、行動させられることも、知覚させられることも、みな同じく「させられ」現象と分類される、といった事情を指しているのでしょう。さらにここでは、ヤスパースがさせられ体験を持つ患者も「パラノイア」と呼んでいることにも注目すべきです。第二章一節では、有名なシュレーバー症例も、パラノイアの例として挙げられていました。

 次です。

その最も著しい型として妄想症状群と緊張症状群をのべる。(334頁)

その最も著しい型としてパラノイア症状複合緊張病症状複合をのべる。(代案)

 ここは『分裂性精神生活』についての項に含まれる箇所ですから、ヤスパースがやはりパラノイアを統合失調症の中に含めていたことがうかがわれます。

 次です。

しかし一点への中心化はこの真正妄想症状群の特徴ではなく、むしろ支配観念と妄想的観念の特徴である。(337頁)

しかし一点への中心化はこの真正のパラノイア症状複合の特徴ではなく、むしろ支配観念と妄想様観念の特徴である。(代案)

 次が最後です。

六 体験は単一であって、患者にとってただ一つの現実しかなく、それは精神病の現実である。逆に、起る体験は空想的で、患者は二つの世界に同時に生活しているが、それは現実の世界 -患者はそれを正しく理解し判断している- と精神病の世界である。(345頁)

六 ある場合には、体験は単一であって、患者にとってただ一つの現実しかなく、それは精神病の現実である。逆に、別の場合には、起る体験は空想的で、患者は二つの世界に同時に生活しているが、それは現実の世界 -患者はそれを正しく理解し判断している- と精神病の世界である。(345頁)

 この本は残りわずかになってきました。私の関心がまた別の本に向かわないうちに仕上げてしまいたいものです。

精神病理学原論 

カール ヤスパース (著), Karl Jaspers (原著), 西丸 四方 (翻訳)

みすず書房; 限定復刻版 (1971/01)

Allgemeine Psychopathologie Ein Leitfaden Fur Studierende, Arzte Und Psychologen (1913) Karl Jaspers (ペーパーバック - 2009/11) 

出版社: Kessinger Publishing (2009/11)

2014年6月 1日 (日)

ヤスパース『原論』の再読(第五章)

 当ブログでヤスパースの『原論』の翻訳を4章まで検討したところでずいぶん長く放ってありましたが、最近読んだ鈴木國文著『同時代の精神病理』で『人格』という概念が主題的に扱われているのをみて、ヤスパース『原論』の5章『知能と人格』という章を読み直しました。

 翻訳上の大きな問題は少ないように感じました。まずは誤植というかケアレスミスと思われる次の箇所。

区別の問題、たとえば誤りと嘘のちがい、信識と信仰の区別など(邦訳290頁)

区別の問題、たとえば誤りと嘘のちがい、知識と信仰の区別など(代案)

 次は、aktuellという語を「現実」「実際ある」と訳していますが、「現時点での」「当座の」「目下の」といった意味でしょう。ほかいくつか手を入れてみました。

了解的関連全体に対し、すなわち欲動や感情の動きや、反応や、行為や、目的や、理想に対して、われわれはいつも素質というものが加わっていると考え、この素質がこの現実の意識された精神過程に現われてくる。この素質も人格と呼ばれる。こういうものとしてわれわれは意識外のでき、素地を了解的関連全体に付け加えて考え、この人格素質は -これのいろいろの現れの関連は皆了解できるものであるが- その実際の存在全体としては了解できないもので、たとえば遺伝の法則などで説明されるのである。検査の方向いかんによって、人格の概念としてこの素質を強調することもあるし、実際ある了解的関連を強調することもある。(邦訳292~3頁)

了解的関連全体に対し、すなわち欲動や感情の動きや、反応や、行為や、目的や、理想に対して、われわれはいつも素質というものが加わっていると考え、この素質がこの目下の意識された精神過程に現われてくる[と考える]。この素質も人格と呼ばれる。こういうものとしてわれわれは意識外の素因を了解的関連全体に付け加えて考え、この人格素質は -これのいろいろの現れの関連は皆了解できるものであるが- その実際の存在全体としては了解できないもので、たとえば遺伝の法則などで説明されるのである。検査の方向いかんによって、人格の概念としてこの素質を強調することもあるし、目下了解的関連を強調することもある。(代案)

 上にも出てきましたが、この訳書には素因・素質といった意味を表すために「でき」というぼんやりした語が頻用され、ほか「素地」「持前」などの語も使われて、原語と一対一対応していないので非常にわかりにくく感じます。これまでも何度か取り上げてきましたが、全ての箇所を取りあげるのは煩雑ですし、とりあえず次の箇所を挙げておきます。

本当の性格、すなわち欲動と感情のできの体系の質の異常な変異は、人格の性質にとっては構造の変異よりもずっと深い関係がある。異常な構造という点でみるとわれわれに性質の似た性格であるが、質の点で見るとできのちがう人々の間には感情と欲動のできに非常に隔絶したちがいのあることがわかる。ある欲動のでき、たとえば性欲倒錯のある時に、全人格はその質が全然別であるとは限らない。けれどもある場合には異常な性的なできがあると、人格が妙に冷たく非性的で、ときにはひどく敏感で感情が繊細であるが世界全体を別の照明の下に見ているような同性愛者となり、この場合その性質のできに隔絶した変異がはじまっている。(299頁)

本来の性格、すなわち欲動と感情素質の体系の質の異常な変異は、人格の本性にとって、構造の変異よりもずっと重大であるあらゆる異常な構造形式のなかに、われわれと本性の似た性格がみつかるが、情緒素質や欲動素質の場合には、資質のちがう人々の間に、非常に隔絶したちがいがきわめて速く生じる。ある欲動素質、たとえば性欲倒錯の欲動方向がある時に、全人格にも本性的に(質的に)全然別の特徴がもたらされるとは限らない。けれども多くの場合には異常な性的素質があると、人格が妙に冷たく非性的であるとか、ときにはひどく敏感で感情が繊細であるが世界全体を別の照明の下に見ているような同性愛者となるとかいう点に、その本性の資質の重大な変異がはじまっている。(代案)

 はじめの文と最後の文の「重大」は同じ語ですので揃えました。

 今回の最後は短い箇所から。

年齢の各時期と関係なく、ひとりでに(内因性に)起こる出現期、位相として現れる人格の現れ方の変動がある。(306頁)

年齢の各時期と関係なく、自発的な(内因性の)出現期として現れる人格の現象形態の変動がある。(代案)

精神病理学原論 

カール ヤスパース (著), Karl Jaspers (原著), 西丸 四方 (翻訳)

みすず書房; 限定復刻版 (1971/01)

Allgemeine Psychopathologie Ein Leitfaden Fur Studierende, Arzte Und Psychologen (1913) Karl Jaspers (ペーパーバック - 2009/11) 

出版社: Kessinger Publishing (2009/11)

2013年1月19日 (土)

ヤスパース『原論』の再読(第四章)

 先週の精神病理コロックでヤスパースを話題にした発表を聴き、ひさしぶりにヤスパースの本に手をつけてみることにしました。このブログでは、みすず書房から出ている『精神病理学原論』の翻訳の疑問点の検討を、第3章の終りまで済ませていましたので、その続きです。

 最初は、『hervorwaechsen』という語の訳し落としです。ただしこの語に適当な日本語を当てるのは難しいと思います。

外部からの作用は内部の素質に対立するものである。前者の作用は外因性といい、後者のは内因性という。(邦訳232頁)

代案:外部からの作用は内部の素質に対立するものである。前者の作用は外因性といい、後者から育ち現れるのは内因性という。

 次です。

解剖学的局在という、このこと自体は非常に興味のある説は精神病理学には今まで重要性はなく、何の結果もこれから出てこない。(邦訳244頁)

 「これから出てこない」の箇所ですが、「今まで」のあとに「これから」と出てくるので、私は未来のことを言っているのかと勘違いしました。

代案:解剖学的局在という、このこと自体は非常に興味のある説は精神病理学には今まで重要性はなく、何の結果も出ていない

 次はケアレスミスのようです。

内因性の条件は素質という条件でまとめられる。(邦訳254頁)

代案:内因性の条件は素質という概念でまとめられる。

 さて、この第4章でも『でき』という理解困難な訳語が頻出して困ります。この点についてはすでにこのブログで何度も触れました。

ヤスパース(3):ヤスパース訳の「でき」

ヤスパース『原論』の再読(第二章第一節)

 後者でも書いたように、Konstitution、Disposition、Anlage、Veranlagungには、それぞれ順に「体質」「素因」「素質」「資質」とあてておくとだいたいの箇所で意味が通ると思います。たとえば今回の範囲では次の箇所です。原語を大括弧内に補っておきます。

病的過程によって、人格や精神的なでき[Konstitution→体質]や、ひとりでに進んでゆくなりゆきへのでき[Disposition→素因]などの上に変化が起きるときにも、将来の生活にとってはいわば新しい素質[Veranlagung→資質]ができたようにみられるが、やはり素質[Anlage]といわない。これからの先の生活へのこういう基礎はみな後天的に得られたものと呼ぶ。(邦訳255頁)

 このあと邦訳256頁からの遺伝の節についてはすでにこのブログで取り上げました。

ヤスパース『原論』の時点での遺伝学

 5章以降はまた次の機会に扱うことにします。

精神病理学原論 

カール ヤスパース (著), Karl Jaspers (原著), 西丸 四方 (翻訳)

みすず書房; 限定復刻版 (1971/01)

Allgemeine Psychopathologie Ein Leitfaden Fur Studierende, Arzte Und Psychologen (1913) Karl Jaspers (ペーパーバック - 2009/11) 

出版社: Kessinger Publishing (2009/11)

2012年6月11日 (月)

意識性の概念

 ヤスパースの意識性/覚性という概念は、なかなか臨床的に使えるような理解に到達しがたいものです。実体的意識性というタームは有名ですが、ヤスパースが挙げる例に近い患者を診たことがありません。入院している患者で、「病棟の外に誰かが迎えに来ている」と主張するひとは時々居ますが、その誰かの存在を、病棟の外にありありと感じているとすれば、近い症状といえるかもしれません。

 今回、ヤスパースの当該箇所を読み直してみました。

「たとえば速やかに本を読んでいる時のごときである。われわれは文句の意味をはっきりと知っているが、そこでいう対象を目で見えるように表象してはいない。このようにある内容を目で見えないように、心像なしに、心に現していることを、意識性と呼ぶ。」(同書43頁)

 この、本を読んでいるときのように知覚もイメージも持たずに知る、という説明からして、私は、ヤスパースの言う意識性とは、内言語による思考のことであるとしか考えられません。それは例えば次の一節からも明らかです。

「知覚にはいつも何かの意味の意識が伴っている。家は人が住むためにそこに建っており、町を歩く人々は買い物に一所懸命であるなど。このような意味は我われの知覚では我われにはっきりとは意識されていないが、何らかの形の意識性としてやはりちゃんとあるのである。この意味意識が病気の場合に妙に変化するのである」(『精神病理学原論』67頁)

 我われは外部の事物を知覚するさい、内言語表象による認識が絶えず同時発生していますが、上の箇所を読む限りではこの正常の事態が「意識性」と呼ばれるようです(としか考えられない)。

 この意識性にはさらに二種類が区別される。

「このもの[意識性]はまたしても知覚と同じように実物的であることがあり、たとえば自分の後ろに誰かいるなと知るごときで、この場合その人を知覚も表象もしていないのである(このことを普通誰かがいるという感じという)。あるいはまた表象と同じように単に思考的な意識性であることもあるが、これは普通いくらもあるものである。」(同書43頁)

 先に知覚でも表象でもないといっておきながら、ここでは「知覚と同じように実物的」な場合と「表象と同じように単に思考的」な場合とに分けているのはやや理解困難ですが、ここでは(フロイトのW-Bw系を思い出しつつ)、知覚と同様に外部に定位する場合と、意識の内部のものとして捉える場合とに分けているのであろうと思います。

 ここでは大まかにいって言語表象の二つの側面、すなわち、さまざまな知覚物を言分けし差異を示すという面と、内言語として日常的に我われが意識的思考に用いうるという面という二面が扱われているように思えます。しかしこの二つの用法が必ずしも峻別できず混線が生じること、そして正常者はこの混線をほとんど無視することに成功しているが、精神病においてはこの混線がさまざまな症状を生むということが、ラカンの『精神病』のセミネールの主眼のひとつであろうとも思います。

精神病理学原論 

カール ヤスパース (著), Karl Jaspers (原著), 西丸 四方 (翻訳)

みすず書房; 限定復刻版 (1971/01)

Allgemeine Psychopathologie Ein Leitfaden Fur Studierende, Arzte Und Psychologen (1913) Karl Jaspers (ペーパーバック - 2009/11) 

出版社: Kessinger Publishing (2009/11)

2012年4月24日 (火)

ヤスパース『原論』の再読(第三章第二~三節)

 久しぶりにヤスパース『原論』に手をつけてみます。これは先週、症例検討会で自分の鑑定例を紹介した際に、参加しておられた先生から、病的過程か人格の発展かというヤスパースの考え方に言及されたのがきっかけです。

 まずは単純な誤植から。

197頁

時として接続的な血管運動性、神経衰弱的症状群、たとえば災難の後など。

〈代案〉

時として持続的な血管運動性、神経衰弱的症状群、たとえば災難の後など。

 次も単語レベルの問題ですが、221頁に「意識下の」という語が3回ほど出てきます。この日本語は、私の語感だと「意識内の」という意味にとりたくなるのですが、原語は「Unterbewusstsein」で、文脈からいっても、「意識される閾よりも下の」「潜在意識の」という意味でしょう。手持ちの辞書では大辞泉で「下」をひくと

「名詞に付いて、そういう状態のもとにある、その中でのことである意を表す。『戦時下・意識下』」

とあり、私の語感に一致しますが、新明解の「下」には

「①表面に現れない部分。『地下・意識下』 ②…のもと、…に属すること。『インフレ下の日本経済・支配下』」

とあり、両方の意味があるようです。これははじめて知って驚きました(もし片方の辞書だけ持っていたら、相反する二つの意味のどちらかだけが正解と思ってしまいそうですよね)。

 さて、そのすぐあとに、「第3節 病気に対する患者の態度」の章があり、これは病識に関する理論として非常にしばしば引用される箇所です。しかし文献上あまり指摘されてはいませんが、ここでヤスパースは患者の態度を明瞭に二段階に分けています。

222頁

一 患者は病気の症状を消化加工する。すなわち、ある体験Erlebnisは消化加工して妄想体系にする(以下略)。二 本当の意味でいう態度というのは、人間が自分の体験Erlebenにむきあって観察し判断することである。自我が自分の中で経過してゆく出来事に向かいあうこととか、自我が対象から目をそらして自分を「反省」しながら自分自身に向かいあうという精神生活の根本現象は、病気の時にはめったにない。心理学的な判断によって何をどのように体験するかが意識されるようになる。患者がその体験Erlebenに対して正しい態度が理想的にとれるようなのは、患者が「病識」があるという。[原語は引用者が付け加えた]

 第一段階の「体験」は、客体化されたものということでしょうか、原文では「Erlebnis」という名詞が用いられており、一方で第二段階の「体験」には、「Erleben」という、動詞をそのまま名詞化したものが用いられています。(Spitzerが英語論文でexperienceとexperiencingの両者を使っていたことを参考にして)後者は、「進行中の体験」とでも訳したらよいかもしれません。

 このあとしばらくは、おもに前者の「体験」への反応について説明されます。後者について語られるのは、次の引用箇所の第二文以降です。

225頁

 この第一群ではいずれの場合にも患者の病気の内容に対する患者の態度から特徴を知り、また変化した精神生活への患者の反応から、内容の消化加工から、特徴を知ったのである。第二群では患者が内容ではなくて[進行中の]体験Erlebenと自己に目を向けてこの出来事の原因をたずねながら彼の病気の一つ一つの様子や病気全体を判断する時にとる患者の態度から特徴を集めるのである。こういうものは皆総括して疾病意識とか病識といわれる。

 「体験」の原語の区別に着目することで、上の第一群と第二群との相違が明瞭になると思います。

 最後は構文上の誤訳です。ただし長い一文なので訳しづらく、みすず版も3文に分けています。私は前後をひっくり返すことにしました。

229頁

 急性精神病の最中より重要なのは、精神病が経過して回復してからそれに対してとる患者の態度である。すなわち判断がはっきりしているので、その内容からみると、本当の態度を見てとる上に間違いをおこさせやすい。それゆえこの病像全体を誤って解さないようにしなければならない。

〈代案〉

 もし病像全体を誤って解さないようにしたいのであれば、表明された判断の内容 -これが間違いをおこさせやすい- を通じて、本当の態度に到達することが重要である。これは急性精神病の最中よりも、精神病が経過して回復してからそれに対してとる患者の態度に際して、いっそう重要[な注意点]である。

精神病理学原論 

カール ヤスパース (著), Karl Jaspers (原著), 西丸 四方 (翻訳)

みすず書房; 限定復刻版 (1971/01)

Allgemeine Psychopathologie Ein Leitfaden Fur Studierende, Arzte Und Psychologen (1913) Karl Jaspers (ペーパーバック - 2009/11)

出版社: Kessinger Publishing (2009/11)

 222頁の引用箇所の「向き合う」の原語は「gegenuebertreten」「sich gegenueberstellen」ですが、私は、「向き合う」っていう言葉、ニュースやドキュメント番組なんかで「認知症と向き合う」みたいな表現を聞くとすごく嫌なんです。なんででしょうかね。

 なお、今回の記事の内容のほとんどは、ヤスパースの同じ教科書の後年の版「精神病理学総論」についてすでにこのブログで取り上げました。参照ください。

http://freudien.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-8dd7.html

http://freudien.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-e838.html

2011年12月20日 (火)

ヤスパース『原論』の再読(第三章第一節)

 ヤスパース『精神病理学原論』を再読して、翻訳上の問題を取り上げるシリーズの続きです。

精神的反射弓というのは主観からみれば了解的関連で、対象意識から感情や努力や反抗、最後に行為が「出てくる」のであるが、客観的にはこれに反して因果的なつながりで、外部刺激が消化加工と反応を引き起こすのである。(みすず版邦訳183頁、下線は引用者が付した)

 主観的には『了解的な関連』、客観的には『因果的なつながり』とされているわけですが、『関連』と『つながり』という日本語の二語の意味の相違は小さいので、なぜ言い換えられているのかいまひとつわかりません。原書で後者は『Folge』ですので、次のようにして対比を強調してみます。

精神的反射弓というのは主観からみれば了解的関連で、対象意識から感情や努力や反抗、最後に行為が「出てくる」のであるが、客観的にはこれに反して因果的な帰結で、外部刺激が消化加工と反応を引き起こすのである。(代案、下線は変更箇所)

 次に移ります。

だから一次的なのは妄想体験、幻覚であり、二次的なのは理性的な働きによって得られた妄想体系(健康な心によって病的な出来事が消化加工される)である。(みすず版邦訳186頁、下線は引用者が付した)

 ここで『体験』には『Erleben』という動詞形が用いられていますが、ここ以外の箇所で使われる名詞『Erlebnis』(すでに客体化された体験やその内容を示す)と使い分けられています。この相違は病識についての説明では極めて重要であって、以前にも『精神病理学総論』(岩波の三巻本)について取り上げましたhttp://freudien.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-8dd7.html

 さらに、ここでは『幻覚』も動詞形が用いられていますので、次のような代案を提案します。

だから一次的なのは妄想体験すること、幻覚することであり、二次的なのは理性的な働きによって得られた妄想体系(健康な心によって病的な出来事が消化加工される)である。(代案、下線は変更箇所)

 なお、動詞形の『体験Erleben』は、191頁では『遭遇』と訳されています。

 次の箇所に進みましょう。

決断不能、けりをつけられないなどが精神衰弱者にあり、またブロイラーの両価性というのがあって、これは早発性痴呆の患者にことにある事実で、同じものを同時に憎みかつ愛することができるとか、正しいと思いかつ誤っていると思うことができるとかいうことで、たとえば正しい見当識を持っていながら同時に妄想的な見当識を確信をもって曲げないごときである。(みすず版邦訳190頁、下線は引用者が付した)

 最初の部分に訳し落としがありますので補ってみます。ついでに、全体の文型を少し整えてみます。

決断不能、けりをつけられない、準備を整えられないなどが精神衰弱者にあり、またブロイラーの両価性というのがあって、これは早発性痴呆の患者にことにある事実で、同じものを同時に憎みかつ愛することができるとか、正しいと思いかつ誤っていると思うことができるとか、またたとえば正しい見当識を持っていながら同時に妄想的な見当識を確信をもって曲げないごときである。(代案、下線は変更箇所)

 さらに次へ進みます。

五 欲動の発展、情熱、評価、世界観、人生観。人間の何かを得ようという努力や願望を分析すると根本的な、質的に独特の、それ以上さかのぼれない究極の欲動のもとというものに至る。(みすず版邦訳193頁、下線は問題箇所に引用者が付した)

 ここは初めの部分に余分な補足があります。ただ、原語の『Anschauungen』は、一語の日本語には訳しづらいのも確かです。あとの二か所は訳語の問題です。

五 欲動の発展、情熱、評価、見解。人間の何かを得ようという志向や願望を分析すると根本的な、質的に独特の、それ以上さかのぼれない究極の欲動素質というものに至る。(代案、下線は変更箇所)

 『欲動素質』としたのは原語で『Triebanlagen』ですが、ちなみにこれは185頁から186頁にまたがる部分では『もちまえの欲動』とされています。

 次が今回の最後です。代案もまとめて紹介します。

第一群は感覚的欲動で、性欲や食欲などである。(みすず版邦訳193頁、下線は問題箇所に引用者が付した)

第一群は官能的欲動で、性欲や食欲などである。(代案、下線は変更箇所)

 ここで『官能的』としたのは『sinnlich』です。

精神病理学原論

カール ヤスパース (著), Karl Jaspers (原著), 西丸 四方 (翻訳)

みすず書房; 限定復刻版 (1971/01)

Allgemeine Psychopathologie Ein Leitfaden Fur Studierende, Arzte Und Psychologen (1913) Karl Jaspers (ペーパーバック - 2009/11)

出版社: Kessinger Publishing (2009/11)

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