シュナイダー

2011年6月25日 (土)

ヤスパースの妄想定義ですが

 さいきん周囲の若手医師たちが、ヤスパースの『精神病理学原論』の日本語版での輪読会を行っているので、私も出席しながらまたはじめから読み直しています。

 この本では、ヤスパースが妄想を定義したとされる部分が有名で、以前も取り上げました。

心理学の前置きのところで対象意識の形として知覚、表象、意識性と判断を区別した。病的な知覚と表象は大部分以上述べた。病的に誤られた判断は一般に妄想という。心理分析の場合には厳密に元来の体験とそれを基として物語るだけの判断とを区別しなければならない。(みすず書房版63頁、下線は引用者)

・・・今度は誤られた判断、妄想に移ろう。妄想とはごく漠然と、誤った判断を皆そういうのであって、互いにはっきり区別がつくとは限らないがかなりの程度に次の三つの外面的な特徴を持つ。一 非常な信、何ものにも比べられない主観的な確信。二 経験上こうである筈だとか、こうだからこうなるという正しい論理に従わせることができない。三 内容がありえないこと。しかしこのような客観的な外面的な特徴の背後に立入って妄想の心理学的な性質をもっと深く見ると、まず二つの大きな分類ができる。その一つはわれわれにとって了解しうるごとくに、感情とか、あるいは妄覚のような他の体験とか、意識が変化したときの知覚界の疎外の体験から出てきたものであり、もうひとつは心理学的にそれ以上遡りえない、現象学的に究極のものである。前者を妄想的観念といい、後者を真性妄想という。(みすず書房版64頁、下線は引用者)

 今回気が付いたのですが、この本はヤスパース自らの精神病理学の考え方を紹介しているのでだいたい主語は「Wirわれわれ」で語られているんですけれども、下線部の主語はいずれも「Man」です。つまり、ここでヤスパースが言っているのは、妄想について世間では普通こう言われている、世間が言う妄想にはだいたいこういう特徴がある、ということに過ぎないのです。

 この部分は教科書や論文などに「ヤスパースによる妄想の定義」として紹介されていますが、そういうくくり方はちょっと不正確ではないかという気がします。

 ここらは妄想を体験と観念に分けるという点が重要でもあるのですが、この本の訳文では「Wahnideen妄想観念」という語をほとんど単に「妄想」と訳しています。そこらへんにも注意して、上の二箇所の代案を示しておきます。

心理学の前置きのところで対象意識の形として知覚、表象、意識性と判断を区別した。病的な知覚と表象は大部分以上述べた。病的に誤られた判断は一般に妄想観念といわれている。心理分析の場合にはわれわれは厳密に元来の体験とそれを基として表明される判断とを区別しなければならない。(代案。下線は変更点)

・・・今度は誤られた判断、妄想観念に移ろう。妄想観念とはごく漠然と、誤った判断が皆そういわれるのであって、それらは互いにはっきり区別がつくとは限らないがかなりの程度に次の三つの外面的な特徴を持つ。一 非常な信、何ものにも比べられない主観的な確信。二 経験上こうである筈だとか、こうだからこうなるという正しい論理に従わせることができない。三 内容がありえないこと。しかしわれわれがこのような客観的な外面的な特徴の背後に立入って妄想的観念の心理学的な性質をもっと深く見ると、そうした観念にはまず二つの大きな分類ができる。その一つはわれわれにとって了解しうるごとくに、感情とか、あるいは妄覚のような他の体験とか、意識が変化したときの知覚界の疎外の体験から出てきたものであり、もうひとつは心理学的にそれ以上遡りえない、現象学的に究極のものである。前者を妄想的観念といい、後者を真性妄想観念という。(代案。下線は変更点)

 ここで「妄想的観念」とされている語は、邦訳70頁では「妄想様観念」とされていますが、まあそれぐらいの不統一は読んでいけば大体分かるところでしょう。

精神病理学原論 

カール ヤスパース (著), Karl Jaspers (原著), 西丸 四方 (翻訳)

みすず書房; 限定復刻版 (1971/01)

Allgemeine Psychopathologie Ein Leitfaden Fur Studierende, Arzte Und Psychologen (1913) Karl Jaspers (ペーパーバック - 2009/11)

出版社: Kessinger Publishing (2009/11)

 この前まで読んでいたシュナイダーの『臨床精神病理学』は、編者による解説部分が、内容がつまらないうえに長いし文章も読みにくくて閉口しましたが、どうにか惰性で読み終えました。誤植なのか、ドイツ語として成り立っていない(としか私のドイツ語力では思えない)文もあったりして、翻訳者の忍耐・苦労がしのばれます。

2010年12月23日 (木)

クルト・シュナイダー『臨床精神病理学』(2)

 少しずつ読んできたこの本も、本篇の終わりにさしかかってきました。この本の翻訳についてはストレスなく読み進められるので助かっていますが、原書を参照したくなった(数少ない)箇所の紹介を続けます。

『たしかに、全く奇妙な、筋違いで「狂った」印象を与える着想とその処理暈だけに基づいて統合失調性精神病を想定しなければならない例が存在する。こうした着想には自分自身に関するもの(心気、血統)、他の人に関するもの(追跡、冷遇、嫉妬)、事物に関するもの(発明)がある。こうした例は頻度が高くなく、たいていは単なる異常パーソナリティ発展ではないかという疑問が生じる。我々やヤンツァリックのように、そうした例の中に統合失調症性精神病の1類型しか認めないとしても、コレ(Kolle)にならって誤解のないよう「パラフレニー」と呼ぶこともできるし、ガウプ(Gaupp)にならって「パラノイア」と呼ぶこともできる。命名が重要なのではなく、精神病性の事象と精神病質性ないし体験反応性の発展の区別だけが肝要である。』(針間訳版p94-95、下線は引用者)

 下線の部分ですが、何が何に包含されるのかが今ひとつ曖昧です。原文では「in et3 et4 sehen」の表現ですので、簡単に辞書通り「et4をet3とみなす」と訳したほうが意味が明瞭と思います。すなわち、下線部は「そうした例を統合失調症性精神病の1類型としかみなさないとしても」となります。

 この引用文を読むと、シュナイダーはパラノイアを統合失調症の1タイプとしかみておらず本質的な違いはないと考えているようです。ところが、シュナイダーが統合失調症にかなり特異的として列挙した症状(シュナイダーの言う「1級症状」)は、国際診断基準ICD-10では、統合失調症とそれ以外の妄想性障害(パラノイアを含む)とを鑑別するための指標とされていますし、日本の普通の精神科医の考え方もおおむねこれに近いように思います。しかし、もしシュナイダーの1級症状を援用するのであれば、あくまでシュナイダーに従うべきであり、妄想性障害というカテゴリーを残すことは許されないように思えます。

 上の引用よりも少し前の箇所では、たんなる妄想的解釈と思われる例が妄想知覚(1級症状のひとつ)として紹介されていて、シュナイダーの統合失調症の範囲はかなり広いようです。

 最後にもう一箇所引用しておきます。ここは、カギ括弧内に私が補っておいたいくつかの言葉がないと、ちょっと分かりにくい気がしました。

『循環病性の自己陳述は、はるかにより高い正当性をもって言葉通りに受け取ってよい。循環病性うつ病患者の思考構造と少なくとも内容は、比較にならないほどより非精神病性の生活に近い。このことは、臨床的にここで移行を認めなくても当てはまる。そのため、統合失調症性の自己陳述に特有の置き換えは、臨床的に明らかな[循環病の]例では[存在せず、]問題にならない。ここで[われわれが“置き換え”と言うことで]意味しているのは、厳密に上に述べた意味での[統合失調症性の]置き換えであり、体験されるそれぞれのことから語られることへの、構造に関わらない日常的な変形ではない。』(針間訳版p94-95、下線は引用者)

 この本はまだ補遺と解説が残っていますので、来る年もクルト・シュナイダーを読み続けることになります。

クルト・シュナイダー、ゲルト・フーバー、ギセラ・グロス、 針間 博彦 (単行本 - 2007/9)

出版社: 文光堂 (2007/09)

2010年11月27日 (土)

クルト・シュナイダー『臨床精神病理学』

 いま、通勤中の運転席で信号待ちの合間に読んでいるのは、クルト・シュナイダーの『臨床精神病理学』です。これは統合失調症を診断するために有用な症状として、いくつかの陽性症状を提案し、『一級症状』という呼び名でまとめたことで名高い書物です。1950年代にこの本が出てから数十年の間に、統合失調症を陽性症状で診断する見方が世界中にかなり浸透し、この考え方は現代の操作的な診断基準にも取り入れられています。今やわれわれは、それ以前の書物を読む際にも、同じ診断姿勢を想定してしまうほどであって、フロイトやラカンがシュレーバー症例論をパラノイア論として論じたことがピンと来なくなってきてしまっています。

 といった事情を引き起こしたものとして、私はこの本に対してあまり良い印象を持っておらずこれまで拾い読み程度で済ませていたのですが、じっさい読んでみると、この本は、内因とか外因といった精神医学の慣用的な用語の妥当性を疑い、洗い直している点で、むしろ好感が持てるようになってきまして、やはり原著を読んでみなければならないものだなあと痛感しております。

 訳文がよくわからないときは車を降りてから原書と比べているのですが、以下のあたりがちょっと気になりました。

「考想奪取は統合失調症診断にとって極めて重要な症状であり、単純な考想の中断でもそうである。(…)確実に統合失調症性の障害が想定されるのは、他の人が考えを取り去る、と陳述される場合に限られるべきである。たしかに、統合失調症患者には単純な考想中断もあることが多いが、それを用いることにははるかに慎重でなくてはならない。考想奪取と同じ水準に、考想が吹き入れられるなど、他の人々による他の方法の考想被影響がある。同じく重要なのは、考えが自分だけのものではなく、他の人々がその考えを共有する、いや町中、世界中がその考えを知っている、という陳述である。他の人々が考想内容を直接共有する、というこの症状を、われわれは考想没収ないし考想伝播と命名したい。これは必ずしも把握するのが容易でない。これは声が報告するのではなく、また他の人々の何らかの動作や発言から、彼らが患者の心の中で起こっていることを知っている、と気づく妄想患者の妄想知覚でもなく、また知覚の基盤なしにこうした内容を有する妄想着想でもない。むしろ、それ以上に還元できない思考過程自体の質的変化であると想定しなければならない(グルーレ)。」(針間博彦訳版87-88頁、下線は原文による。太字での強調は引用者)

 まず、太字にした「考想没収」ですが、これは訳を読む限り、引用文冒頭の「考想奪取」と違うものなのかどうかわかりにくいと思います。原文は「Gedankenenteignung」なので、「Enteignung」を辞書でひいてみたところ、確かに「没収」という訳語もあるのですが、意味的には「公有化」というニュアンスが含まれるようです。これを用いて訳せば「考想公有化」となりますが、これなら上記訳文中に置いたときにぴったり来るように感じます。

 二つ目の太字、「妄想患者」の部分が気になったのは、「統合失調症」という語が連発された後にここで「妄想患者」と出てくると、パラノイアなど幅広い疾患群の患者を指すのかと思えてしまい、妄想知覚は統合失調症以外の妄想にも幅広く認められうるかのように読めてしまうからです。原文に当たると、「妄想患者」と訳されている語は「パラノイド患者」つまり「類パラノイア患者」です。以前も書きましたが、「パラノイド」とはパラノイアそのものを指すのではなく、パラノイア類似の疾患、つまり主として妄想型統合失調症を指すために用いられる言葉です(あとは文脈によって「妄想反応」に用いられるぐらいです)。この訳書ではほとんどの個所でしっかりと区別して「類パラノイア」の訳語を用いられているのですが、ここで「妄想」と訳されてしまっているのはちょっと不親切と思います。ちなみにここで太字にした二つの訳語は、平井・鹿子木による旧訳でも同じではありますが。

 さて、このすぐ次のページに「基礎的な考想伝播」という表現があって、私としては以前この「基礎的elementar」という概念についていろいろ教えてもらったことがあって(このブログでも取り上げました)、非常に興味深いところです。

 もう一か所、訳について取り上げておきましょう。

「…妄想知覚は統合失調症状であるが、我々が臨床的に統合失調症と呼ぶものに例外なく認められる症状ではない。おそらく精神病理学的意味において統合失調症性のあらゆる症状がそうであるように、妄想知覚は時にてんかん性のもうろう状態、中毒性精神病、脳過程にもみられる。」(針間博彦訳版92頁、下線は原文による)

 引用文のうち、一つ目の文では、妄想知覚は統合失調症診断の必要条件ではないと述べられている一方で、二つ目の文では、むしろ十分条件ではないことを示すような例が挙げられていて、両者のつながりが悪く、唐突な気がします。一つ目の文は、内容的にあまりにも当たり前すぎるのも変に思えます。そこで原書に当たってみましたが、私としては以下のような意味ではないかと思います。

「…妄想知覚は統合失調症状であるが、我々が臨床的に統合失調症と呼ぶものの徴候であると、全く例外なしに言えるわけではない。おそらく精神病理学的意味において統合失調症性のあらゆる症状がそうであるように、妄想知覚は時にてんかん性のもうろう状態、中毒性精神病、脳過程にもみられる。」(代案)

 同じ文光堂から出ている旧訳も当たってみましたが、旧訳は構文全体のとらえ方が雑なように感じられ、新訳の方がはるかに優れていると思います。この印象は今日の一つ目の引用個所でも同じことです。

クルト・シュナイダー、ゲルト・フーバー、ギセラ・グロス、 針間 博彦 (単行本 - 2007/9)

出版社: 文光堂 (2007/09)
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