テレンバッハ

2021年5月18日 (火)

テレンバッハ『メランコリー』(20)

 久しぶりに、テレンバッハの主著『メランコリー』に紹介された症例の検討の続きをしましょう。

 今回は「症例20」を扱う番ですが、じつはこの症例は、翻訳上の問題がほとんどないことと、病前性格についてはほとんど説明がないことから、どう扱ってよいかとしばらく迷っていました。単に要約するだけの紹介というのでは面白くありません。ここらへんは、症例19から妊娠・出産がメランコリーのきっかけとなるような症例がいくつか並んでいる文脈なのですが、ちょうど、症例19の前頁になぜか症例番号なしの別枠で紹介されている例が興味深いのでそちらを取り上げてみましょう。

 ドイツ語では、「Hoffnung希望」という語を用いた「in Hoffnung sein希望の中にある」という言い方で、婉曲に「妊娠している」という意味になるという事実が、まずは前提にあるようです。

 次に紹介する女性患者は、「心から結婚を望んでいたが、結婚後、彼女の女友達の婚礼の後で、はじめて生理期間中に憂鬱になった。この場合、月経がきたということは、「まだ[子供が]期待できない」ということと同義であった」「女性は月経期間中は例外なく「期待」のない状態にある」といった前置きの後で紹介されています。

女性患者フランツィスカ・Wは、いつも陽気で、ことのほか働き者で、良心的で自制心の強い女性であり、結婚前に性的関係を持ったことはなかった。彼女は子供をたくさんほしかったが、夫は反対だった。患者には、夫のこの無欲さがよくわからなかった。彼女は、自分が孤独で無視されていると感じ、そのために悲しい憂鬱な気持ちになった。このような状況で(1922)、義兄との間にごくときたま内密な関係を持つようになった。そのことは誰にも知られず、彼女はそれを《懺悔して済ませて》しまっていた。1927年のある日、姦通は重く罰せられるということを本で読んで、このことが9か月間、彼女の頭を離れなかった。彼女は徐々にメランコリーに陥って、明けても暮れても、《私は罪を犯した、夫に対する不義をはたらいた》といって自分を責めた。当時夕方夫が帰宅すると、彼女の気分は軽くなった。この時期に生理がとまった。彼女は妊娠の期待を抱いた。そして、短期間でメランコリーは消褪した。

 ここで、最後から二つ目の文、「彼女は妊娠の期待を抱いた」は、原文で「Sie kam in Hoffnung.」とありますが、「in Hoffnnung kommen」は端的に「妊娠する」という意味のようですから、翻訳は「彼女は妊娠した」とすべきと思います。そうであればこそ、ドイツ語の慣用用法と月経中の気分との関連についての前置きが生きてくるでしょう。

 生物学的には、月経前に抑うつ・不機嫌になって月経が始まると改善するということが多いと思いますが、この例のように月経開始とともに気分が落ち込む場合には、妊娠の期待との関連を考えてみても良いのかもしれません。

 それにしても、この女性は、「良心的で自制心の強い女性」とされながら、義兄と姦通してしまうというのがどうもアンバランスであって、ここらへんは、例によって、本書全体で主張されている病前性格論と、実際に紹介される個々の症例の行動特徴とがしばしば一致しないという難点の好例だといっても良いと思います。本書では、不倫関係があったと言及されるのはここまでで3人目です。医師に不倫歴を告白したのが20人中3人ということは、実際にはもっと居たのでしょう。これは当時の一般の不倫率と比べて多いのかどうかはわかりませんが、メランコリー患者群の病前のあり方は、並外れて良心的だとまではいえない、とは言ってよいのではないでしょうか。

メランコリー [改訂増補版]
H. テレンバッハ(著), 木村 敏 (翻訳)
出版社: みすず書房; 改訂増補版 (1985/12/5)

2021年4月29日 (木)

下田、中ら『初老期鬱憂病の研究』11

 久しぶりに思い出したので、戦前の我が国の下田・中らによるメランコリー論の症例紹介を続けましょう。

初老期鬱憂症 軽鬱状態型 動脈硬化その他の器質的疾患を伴うもの 

症例11 閉経期内分泌異常を伴うもの 富○敏○ 満54歳、女性、酒造業者の妻。

主訴 不眠、心気、憂鬱性思考

家族歴 父大酒家勝気の人、交際家ならず憤怒性あり、母早逝す、同胞8名中2名死亡、患者に性格的に甚だ類似の妹ありという外何等の負因なし。

既往歴 生来健、学業成績優良、245歳の時バセドー氏病に罹り甲状腺の腫脹を来す、1年計りの静養及子宮の掻爬により軽快せりという、近時全く月経を見ざりしが入院前月23日間継続する月経ありしという。性格。勝気、徹底的、責任感強し、信仰家、負け嫌い、我を通す、交際広し。

現病歴 推定原因、養子に対する不満。入院前年冬無暗に寒いといい湯保[たんぽ]を2-3個入れ眠り居たるため上衝[じょうしょう]を来し苦みしことあり、同10月頃某宗教会合に出席気分悪しとて直ちに医師を訪う、血圧190ありと言われ心痛し、その後上衝の為め眼瞼の腫脹及腫瘍を生じ、咽喉痛めることあり、甚だ心気的となり、小事に拘泥す、本年4月より不眠現わる、眠れる翌朝は落着き話も可能なるが不眠の場合は終日不平を漏し家人を当惑せしむ、有ゆる素人療法を試み、その度毎に最初は良く終り悪く遂に失望落胆す、幾度か逡巡せる後遂に8月東京に行きあらゆる大家を訪問くすりを飲むなと言わる、ここに於ても初め1ヶ月計りは元気なりしがその頃より手の脱力感、しびれ感、怔忡[せいちゅう]、咽喉の充塞感等を繰り返し訴うるに至り、子宮筋腫、血圧亢進、胃腸病等順次心痛の対象変遷す、常に朝悪く午後よし、10月下旬東京より帰り悪化、失望落胆し「余病が出たら寝て居られない(不安の為)から死んで仕舞う」等いう、睡眠時間は12時間のことあり6時間位のことあり、食思は良好なりしも最近1ヶ月不進、秘結に傾く。

現在症候 昭和7115日第1回入院

身体的徴候 体構闘士型、体格大、骨格強、筋肉弱、栄養不良、顔面蒼白、四肢に少しくチアノーゼあり、軽度の甲状腺腫を認む。瞳孔やや大その他に眼症候なし、舌やや白苔、凡ての反射機能正常、心音やや濁、血圧145-125、橈骨動脈硬化並蛇行。

精神的徴候 幻覚なく智的に大なる欠陥なし、意識は全く清明、考慮範囲は狭小、悲観的にして「余病が出れば死す」という、時に強度の苦悶性興奮状態を示し、極度の苦痛的表情の間に無表情の挿入あり、感情の表出突風的なれど演劇的誇張的ならず、強度の怔忡を訴え、自制力全くなく、多動不安多弁となることあり。

経過 直ちに持続睡眠療法を行う、スルフォナール全量25gに達せる頃より毎日20時間以上4日間眠る。その後漸次鎮静を来したれど1218日排尿障碍を来し発熱、再び睡眠障碍せらる、尿混濁して蛋白弱陽性なり、トリパフラピンにより下熱、恢復期少しく延びたれど漸次軽快を来し、翌120日入院後2ヶ月半にして全治退院。

再入院 同年818日。

退院後経過良好なりしが3月頃より膀胱炎に罹り、心痛し、腰痛ありしを以って子宮後屈なりとて灸、催眠術などを試み、再びあらゆる素人療法に親しみ前轍を踏む、すなわち3月頃より上衝、眩暈、耳鳴、嘔気、四肢の脱力感、主観的呼吸困難、腰痛、全身の冷感等あり、前同様の興奮を来したれど身体精神徴候共に前回よりは軽度なり。再び睡眠療法を行う、療法の経過中気分の転換性激しく一時ヒステリー性願望譫妄の如き状態に陥り夢の如き事実を真実と考えしことありしが一時的に経過、126日全治して退院せり。

 

本例の如きは初老期鬱憂症、閉経期神経症、ヒステリー症何れにも属するが如き病像を呈しその区別甚だ困難なり。その性格及び内因性らしき沈鬱は初老期鬱憂症に一致し上衝、眩暈、嘔気、耳鳴などの神経性徴候表在性にして、閉経、甲状腺の肥大等を伴う点は閉経期神経症に近似し、家庭的複合体の存在、被暗示性の亢進、徴候中に時に現わるる転換性、誇張的表情及びヒステリー性願望譫妄の状態を呈せる点等はヒステリー症に相当するが如し。

余等は本症例が甲状腺腫を有せる点、体構並びに性格はヒステリー性ならず、家系にもかかる患者なき点よりして閉経期内分泌障碍の為め甲状腺その他の異常を来しために過敏となりヒステリー性反応を呈するに至りたるものにして純粋のヒステリー症或はヒステリー性性格変化を来したるものにあらずと認めんとす。又本症者の性格が全く偏執性性格に一致し、種々の心気性は内因性沈鬱の二次的現象とも考えられ、常に睡眠療法の奏功する等の点よりして本症はその本体を初老期を鬱憂症に存し、症候の変形又は再発の容易なること等は合併症たる閉経期内分泌異常により説明し得べきものなりと思惟す、すなわち本症はヒステリー性徴候を伴う鬱憂症というよりは寧ろ閉経期内分泌障碍を伴う鬱憂症という方妥当なり。

 最後に「偏執性性格」とありますが、これは下田が後年「執着性格」と言い換えたもので、うつ病の病前性格とされます。これとテレンバッハの「メランコリー型」、笠原・木村が両者を参考にまとめて我が国の精神科医の間で最も有名になった「メランコリー親和型」(几帳面と他者配慮を強調し、かつ穏やかな弱力性の人柄を典型とした)との異同が時に議論になります。本症例は「徹底的、責任感強し、勝気、負け嫌い、我を通す、交際広し」など、テレンバッハや笠原の類型に比べて性格にかなりの強力性がうかがわれます。笠原らも「徹底的、責任感強し」に言及しましたが、それは持ち場を守り対人秩序を維持するための努力というニュアンスでした。

 この症例はたしかに「終日不平を漏し家人を当惑せしむ」「繰り返し訴うる」「『死んで仕舞う』等いう」などと、医師看護師からヒステリーを疑われやすそうなところがあります。著者が、体構と性格、家族負因からヒステリーを否定しているというのは、さすがに根拠が弱いと思います(体構、性格と疾患の組み合わせを仮に認めるとしても、例外なしとはいえませんし、家族内に一人だけ患者がでることもあるでしょう)が、ヒステリーは『満ち足りた無関心』という用語で呼ばれるように、身体症状の程度に比べて「治してくれ」という訴えは控えめで、歩けないと言いながら淡々と座っている、といった態度が典型です。この症例は性格傾向からしてもむしろ、躁病的な成分が症状に加わって症状を修飾して「多動不安多弁」などが現れてその一環として治療者通いも繰り返したんじゃないか、というのが、現代から後知恵でみた私の感想です。

2016年9月12日 (月)

気分障害患者の結婚歴

 中高年以降に発症した気分障害(うつ病または躁うつ病)の患者は、とにかく結婚歴のある人が多いんです。たとえばドイツの精神科医テレンバッハがうつ病症例を集めた名著『メランコリー』に登場する症例とか、笠原・木村が著書で紹介する例は、ことごとく既婚です。

 最近、勤務先の病院に、生涯未婚の中年うつ病患者が入院してきたので、珍しいなあと思い、医局でそう発言してみましたが、周囲の医師には私の感慨はうまく伝わらなかったようでした。

 気分障害患者のほとんどに結婚歴がある理由については、私なりに考えがあります。

①躁うつ病の人(循環性格の人)の病前性格は、異性を恋愛感情に巻き込む力(=同調性、本ブログのひとつ前の記事を参照)が強いので、交際相手ともども気分が盛り上がって結婚に至ることが多い。

②うつ病の人(メランコリー型の人)の病前性格は几帳面で仕事熱心で他者配慮があるので、異性からみて、手堅い結婚相手と捉えられやすく、また一昔前なら縁談も舞い込みやすかった。

 そしてもうひとつ、未婚である私がなかなか人前では言いづらいことなのですが、

③気分障害の人(うつ病の人も躁うつ病の人も)は、もともと性格的に、自分に達成可能な範囲のことしか望まない、とテレンバッハが言っていますが、そういう性格のせいで、彼らは、自分の手に入らないような異性を求めたりせず、自分に見合った範囲の異性から配偶者を選ぶ

ということがあるのではないでしょうか。

 みなさんはいかが思われますでしょうか。

メランコリー [改訂増補版]

H. テレンバッハ(著), 木村 敏 (翻訳)

出版社: みすず書房; 改訂増補版 (1985/12/5)

2012年12月29日 (土)

テレンバッハ『メランコリー』(19)

 今回はテレンバッハ『メランコリー』の症例の検討です。この症例は、「生殖過程における危機的状況」と題された章に含まれ、ドイツ語の「Hoffnung期待」という単語が、「in Hoffnung sein妊娠している=子供を期待している」という熟語に含まれる点を指摘し、それが「絶望Hoffnungslosigkeit」へと反転する状況などを論じた後で紹介されています。

〈症例19〉1924年生まれの既婚の女性患者アンネリーゼ・Kは1959年に入院した。彼女たち夫婦は1948年に家を新築したが、このことに彼女は本心では反対であった。しかし彼女は、建築費の返済を確保するために、副業として電気工場で働くこととした。家を建てた年に、患者は流産し、その翌年には死産をした。さて、患者はこの数年来高血圧にかかっており、1年前には副業をやめなければならなかった。患者は、再び妊娠することを非常に恐れていた。ところがその不安はかなり早く現実のものとなって、憂鬱といらだちが増してきた。以前の妊娠のときはいつも嬉しかったのに、今度はすっかり感じが違っていた。彼女はもう、不安な気持ちしかもてなかった。生きていることの喜びはどこかへ消えてしまい、眠りにくくなり、くよくよ考え込むようになった。年金で家計の援助をしてくれている母親が死んだらお金が足りなくなってしまうということも彼女の心配のひとつであった。1958年12月15日の夜、患者は荒れ狂ったように夫にとびかかり、彼を叩いた。そして電気のコードを引きちぎって、それでひと思いに首を吊って自殺をしようとした。この行為については、あとから健忘が残った。患者は1クールの電気ショックを受けたが、効果は不十分だった。死にたいという気持ちは消えなかった。5週間後に、彼女はふたごを生んだ。出産後、精神病はただちに再燃し、4日後に彼女はわれわれのもとに入院した。患者は、自分がまたしても妊娠してしまったこと、そしてそれ以前に長く働きすぎたことで、非常に自分を責めた。自分はもう元気になる望みがなくなった、子供たちを養っていくことはもうできない、と思った。《面目もありません、面目もありません》と彼女はいうのだった。(下線は引用者が付した)

 ここまでが第一段落です。まず下線部の翻訳についてみていきます。

 「患者は、再び妊娠することを非常に恐れていた。ところがその不安はかなり早く現実のものとなって、憂鬱といらだちが増してきた。Die Patientin war ueber eine neue Gravdivitaet sehr besorgt. Es entwickelte sich relativ rasch und zunehmend eine Niedergeschlagenheit und innere Unruhe.」。

 まず一文目は、邦訳では妊娠前の不安として訳出されていますが、前置詞「vor」ではなく「ueber」が使われている点、および、「neu」には「将来再びやってくる」という意味はさほどなさそうなので、むしろ「患者は、新たに始まった妊娠について非常に心配していた」という意味のように思います。次の文には、「ところが」という逆説の語が含まれませんし、主語の「Es」は仮におかれているだけで、「不安」を受けているわけではありません。さらに訳語についても、「Niedergeschlagenheit」は、「schlagen叩く」という語を含んでいるので「打ちひしがれ」ぐらいにしたいですし、「innere Unruhe」は精神医学用語「内的不穏」が当てられます。

代案:「患者は、新たに始まった妊娠について非常に心配していた。かなり急速に打ちひしがれていき、内的不穏も増してきた。」

 次の下線部は、単語レベルで直訳が好ましいと思われる箇所です。「einschlagen」は、「さんざんに叩く」です。

 「患者は荒れ狂ったように夫にとびかかり、彼を叩いた」

 代案:「患者は発作の中で夫にとびかかり、彼をさんざん叩いた」

 最後の下線部の「望み」の原語は「Hoffnung」です。この症例の前後の文脈からして、この語が用いられていることは重要ですから、わかるように明示すべきでしょう。とりあえず我われ読者はルビを書き込んでおきましょう。

 次の段落から以降は、この患者がもともと借金や負い目を嫌うこと、家の新築以来、過労状況にあったこと、自分の仕事を入念に行っていたことなどが説明され、メランコリー型の病前性格であったことがわかります。ちなみにこの患者と秩序との関係は、この本のだいぶ前のほう、邦訳の158頁でもすでに簡単に触れられています。

 症例紹介の最後の段落は次の短いものです。

 とうとう、彼女は絶望のあまり興奮して当たり散らすことになってしまった。そのことはちゃんと覚えているけれども、細かな点は忘れた。たとえば夫にとびかかったことなどは覚えていない。

  ここで用いられる「絶望」の語は、原語では「Verzweiflung」で、この本の後ろの方(212頁、296頁、366頁など)で何度も論じられる重要概念です。ところが、この症例の前後の文脈では妊娠との関連で「絶望Hoffnungslosigkeit」の語が用いられており、混同されてしまうという問題があります。ここもとりあえずルビでも振っておくしかないかもしれません。「興奮して当たり散らす」は、原語が「einen Tobsuchtanfall bekommen」で、精神医学用語を使うなら「躁暴発作に陥る」です。

 こういう発作は比較的珍しいものではありますが、メランコリー性の激越発作raptus melancholicusと呼ばれる状態で、診断はやはりメランコリーと考えてよいでしょう。電気コードを引きちぎったことと、この患者がかつて電気工場で働いていたこととのあいだに何か心理的関連があるかどうかまではわかりませんし、そこまで考えるのはきっと読みすぎでしょう。

メランコリー [改訂増補版]

H. テレンバッハ(著), 木村 敏 (翻訳)

出版社: みすず書房; 改訂増補版 (1985/12/5)

2012年12月 8日 (土)

テレンバッハ『メランコリー』(18)

 今回はテレンバッハの主著『メランコリー』に紹介されている症例を検討する番です。

〈症例18〉54歳の女性患者マリーア・Kは、1959年に初めて入院した。その年の4月に子宮脱の切除手術を受けるまで、彼女は一度も重い病気にかかったことがなかった。この手術以後、彼女は気分がすぐれなくなった。特に胃腸障碍が苦しくて、あちこちの医者や民間治療所に通った。そしてついには精神病ではないかと不安になり、そうこうするうちにだんだんと、さして深くはないが抑止的な心気性メランコリーに落ち込んで行った。
 寛解後の診察で次のようなことが分かった。彼女は子供のころから、特に学校では、いつも几帳面できちんとしていて、《くそまじめ》な子供だった。これはその後もずっと変らない。彼女自身のことばでは、《なんでもきちんとした位置にないといけないのです。なにかの位置が狂っていると、すぐに気がつくのです》。この性質は母親ゆずりのもので、母親自身も《やっぱりとても几帳面》で、《模範的な肌着縫製工》だった。患者の夫は、妻の仕事の分量やくそまじめさをほどほどにさせようとしたが、うまくゆかなかった。家事以外に、彼女は内職に速記タイピストをしていた。《やっぱり、あまりたくさんのことをしすぎなのかもしれません》。ところが反面、《私は何かをしていないと気がすまないのです。なにもすることがなくてぶらぶらしているなんて、とてもできないことなんです》。(下線は引用者が付した)

 引用文で『几帳面』や『くそまじめ』といった訳語が複数回登場しますが、それぞれ複数の原語と対応していて一貫しません。そのなかで、下線の『くそまじめさ』の原語は、『Peniblitaet』です。この語は、過剰に几帳面な状態に対するややネガティブな評価を表す語で、本書ではこれまで症例2、3、6を形容する言葉として出てきましたが(ほか、番号なしで短く紹介される症例にも使われています)、邦訳では単に『几帳面』『綿密』などと訳されていることが多く、ネガティブなニュアンスを伝えていないことを指摘してきました。

http://freudien.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-2737.html

http://freudien.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-4190-1.html

 今回の症例では『くそまじめ』と、ややネガティブな表現が選ばれています。

 下線の直前で、患者の母は『模範的tadellosな肌着縫製工』とされています。この『模範的』という語は、我が国の下田光三が、躁うつ病の病前性格として提唱した執着性格の人々を、『模範青年、模範社員、模範軍人などとして誉められている人』と描写したのを思い起こさせますから、おそらく訳者が下田の論文を意識してこの訳語を選んだものと思われます。この形容詞『tadellos』を辞書で引くと、『非の打ちどころのない、欠点のない、完璧な』といった訳語が並んでいます。これは名詞『Tadel=非難、叱責、(非難されるべき)欠点』の派生語ですから、テレンバッハの文脈(本書を通じて負い目や罪を重視する)においてはむしろこの『Tadel』の意味を残して『非の打ち所のない』などとすべきだったと思います。

 さて、この症例についての紹介は、この後の2段落で、母親がいくつかの身体疾患を患った末に死去したこと、患者もほぼ同じ年齢になって類似の症状を生じながら気分症状を悪化させていったことを記載しています。そのあとの最後の段落の訳文には訳し落としがあるので、以下の下線部として補っておきます。


 最後まで残っていたメランコリー症状がすっかり消失したのは、事後診察の後であった。というのは、病気の間、母親のことなど考えたこともないのに、母親の病気の経過を逐一再現していたのだということに、彼女はそれまで気がつかなかったのである。この対応関係が患者にとって明白なものになったとき、症状は急速に消褪した。

 この症例紹介のあと、テレンバッハの説明は、患者と母との同一化に言及しています。症例13では夫との同一化、症例16では母との同一化が扱われており、同一化という心因が(発症の原因のみならず)症状の内容をも規定しているあたりが、内因性うつ病を現象学的に論じたテレンバッハの著作に含まれるのも面白い点だと思います。

メランコリー [改訂増補版]
H. テレンバッハ(著), 木村 敏 (翻訳)
出版社: みすず書房; 改訂増補版 (1985/12/5)

 

 精神分析の分野では、医師以外の者が患者に精神分析を行うことの可否が検討されてきた歴史があり、フロイトにもそれを論じた論文があります。医師以外の者が行う分析を指す語「Laienanalyse」は、従来は「素人分析」と邦訳され、岩波の全集では「非医師分析」と訳されていますが、今回の引用箇所の「民間療法」という言葉を見て、(原語は違いますが)「民間分析」という訳もありかも、と思いました。

2012年12月 1日 (土)

下田、中ら『初老期鬱憂症の研究』7

 テレンバッハの著書と、下田光三門下の論文から、交互に症例を紹介していますが、今回取り上げる下田門下の論文の症例はとりわけ印象深いものです。というのは、強迫的な不潔恐怖の一種として塩分恐怖なる(しかも親子二代にわたる)症状が記載されているからで、現代の私たちから見れば症状として稀ですし、塩分というありふれたものが恐怖の対象となることが非常に奇妙に思えるからです。もちろん当時も塩分が毒であると信じられていたわけではありませんから、逆にどうして現代ではこの症状がなくなったのか不思議でもあります。

初老期鬱憂症 軽鬱状態型

 強迫性徴候

症例7 43歳、住職の妻。

 主訴 極端なる潔癖(特に塩分につきて)。

 家族歴 父は温情の持ち主なれど厳格にして特に徹底的に事物をなさざれば止まざる特質を有し、家事に熱中し、正直、勤勉、交際円滑、人好きのする性格にして「シツオチーム」の因子を有せず、即ち父の性格はKretschmerの「チクロチーム」協調型に近似し、同時に我教室の所謂偏執的性格の特徴を有す。母は地味にして、克[よ]く働き、「ヒステリー」的ならず、刺激性にして潔癖性あり、40歳の頃一時的に塩分恐怖症に罹りたることあり。弟一人頭脳明晰にして、克[よ]く働き、人より信用せらる、その性格父に似たる所多し。父の末弟は温厚、規帳面、律儀、熱中性等の性質を有し居りしが腎臓炎に罹り自殺せりと(憂鬱症か)、母の妹二人あり性格は母に類す、末妹は母よりは更に働き手、熱中性なりしと言う。すなわち患者の家系は殆んど偏執的性格者によって満たされたる感あり、患者の基礎的性格が偏執性よりなるは当然のことなりとす。

 既往歴 胎生時順調、難産、小児期一般に脆弱、従って我儘放縦に育ち甚だ過敏なりしと言う、現在に於ても両親存し我儘を自覚す。学業成績は中等以下、私立女学校卒業。性格は穏和な方なれども過敏、移り気、取越し苦労などの点存し、正直地味にして大袈裟の所なし、交際広く、談話を好み、「やり初めたらば徹底的に御飯も忘れてやって仕舞わなければ気が済まぬ」という点は父と同様特有にして甚だ責任感強し、なお不全感を有し自己の欠点に対する観察確実なり[註:別表には『神経質・偏執性』とまとめられている]。近時月経量減少、性的快感減じ、昨年頃より月経時不機嫌、沈鬱、涙脆くなる習慣を生じ月経痛を訴うるに至る。

 現病経過 母の潔癖の感化を受け生来潔癖的なり、然れども7,8年前迄は特に病的ならざりしが、その頃より塩分に関係せるものを少しく恐怖するに至りたるも、なお家事に差支えを生ずるが如きことなかりき。然るに一昨年(満41歳)4月2日結婚式に招待せられ、儀式の際 鰹と昆布を懐中にしてそのまま帰りし折、懐中が塩分により汚れたる如く感じ、その着物を洗濯し、その裏地を他の新調の羽織に付け、試みに味わいしに塩味あり、驚愕して、他の総ての着物を舐め試せしに総てに於て塩味を感じ、あらゆる自己の着物を洗濯せしことあり。その頃より潔癖漸く病的となり、塩分を恐るること激しく、洗濯物を干し居る際など二丁余りも距りたる所にて鰯の箱を焼きたりと言い、洗濯をやり直す等の滑稽を演ずるに至る、塵垢の飛散を極度に恐れ箒を以って掃く能わず、凡て雑布を用いて拭い、炊事、結髪を自らなし得ず、手足を洗うこと1日100回以上に及び、用便後手足又は便所を2,3時間洗うことあり、常に不安にして刺激性、安眠せず、昨年(昭和6年)11月頃よりは潔癖一層顕著となり、着物は何れも20回以上洗濯せざれば着るを得ず、己の鏡台、箪笥、その他の所有物、米櫃等に全く手を触るる能わず、睡眠障害益々顕著となり、毎夜2時間以上眠ること稀にして殆んど一睡だもせざること多く、終日終夜洗濯をなす。感情は益々沈鬱となり、興味全く欠如、「日本中にこのような病気は一つもない」「こう潔癖がひどくては丸で世界を敵にして居る様なもので生きて居られぬ」「この世が嫌で嫌で堪らない」等言い、不安、刺激性益々顕著となる。近時は洗濯と掃除に日を暮し、手洗又は洗濯を初むれば終日まで行うを以って家人監視の目を離すを得ずという。夫の言に依れば現在に於ても性交は正常に行い得るも不感的なりと。食思良、睡眠前述の如く全く障害せられ、便通は秘結的にして3日に1回の程度、尿通正常、酒、煙草を用いず。昭和7年5月19日当科外来を訪う。
 当時身体的に、体構は肥満型なれども現在甚だるいそうせり。(略)今日迄に「ヒステリー」球の如き経験なく、激情に運動性麻痺、震戦などを伴うことなく「ヒステリー」性痙攣なし(略)。
 精神的に、感情は沈鬱、厭世的、時に流涕するに反し、連想テンポは一見速く、考慮進行も一見多岐に亘り、多弁なれども連想範囲は至って狭小にして内容は全々自己の疾病の圏外に出でず、己の疾病の重大を哀訴するのみなり。患者の示す穢染恐怖症は典型的の強迫思考にして、明確なる病識を有し、「馬鹿らしいことは良く分って居るが幾等やめようと思ってもやめられない」「一日中自分が穢れはせぬかとのみ考えている」等言い、恐怖的感情の内にも多分の思考性を有し、かかる病的思考或は恐怖の異物感顕著にして、注意は常に穢染なる一事に固着し、注意を転向せんと努力すれば益々固着強固となる傾向あり。妄覚、妄想なく、叡智界に何等の障害なし。
 躁鬱病混合状態の診断の下に5月24日当科に入院の手続きを了したれど穢染恐怖の為入院し得ず、2,3日の後強制的に某病院に入院せしめ、直ちにスルフォナール持続睡眠療法を施行す。
 比較的少量(1.5~2.0)の主薬を続け25gに及ぶ頃より頓[とみ]に軽快す、薬物を激減せる為少しく悪化の傾向あり、再び1日量2.0gとなし全量24.0gに及び療法を終る。既に6月23日頃は精神的には殆んど全治の域に達す。睡眠剤の大量の投与により歩行困難、食思不振を訴うる外著変なし、すなわち主薬を漸減し、一方庭掃除、水撒等を勧め、注意の転向を計る。その後 日一日と常態に復し、7月22日入院後約2ヶ月にして全快の状態にて退院す。退院前日問診に対し下の如く答う。「大変良くなった様に思います、魚の料理もできます、塩にも触れることができます、髪も洗えます、前は手を百回位洗って居たが此頃は便所に行った時に2回洗うだけです、着物も自由に着ることができます、帰ったならば箪笥扱いも自由にできると思う、鏡台と米櫃が気に懸かるが無理にでも触れさせられるでしょう。気分が非常に落ち着きました、前はこの世が厭で厭で仕方がなかった、生きて居ても仕方がない、死にたい死にたいと思っていたが此頃は愉快になった、前に隣の人にも構わず我儘を言っていたのが恥しい云々」。
 他覚的に精神、身体に異常を認めず、唯ややるいそうし、諸反射少しく亢進せるのみ。

 本患者を見てまず考うべきは、一、真性強迫神経症なり。真性強迫神経症とは躁鬱病、乖離症その他の素質を有せず、唯一の精神変質的基地の上に生ずる疾患にして多くは青年期或はそれ以前に発生し、慢性的にしてその徴候に弛緩あれど初老期に至って多くは軽快に向かうものなり(Bleuler)、而して余等の患者は「チクロチーム」、偏執性にして躁鬱病性素質を有し、体構も肥満型なり、強迫思考的傾向は若年時より存在せし如くなるが、日常生活に差支えを生ずるが如きことなく、その程度は母の潔癖を模倣する程度にして生理的範囲にあり、若年期より病的強迫神経症の状態にありしとは考え得ず、即ち発病年齢は41歳の頃にして通常強迫神経症の治癒期に相等す、これ等の点より本症[強迫神経症]を除外し得べし。次に、二、神経質との鑑別なるが、本患者は変質的性格の一面内気、神経性、取越苦労、不全感等の特徴を有し、その性格中に神経質的傾向を有すること明らかなり、而して患者の示す強迫考慮は全く神経質のそれと一致す、然れども前項強迫神経症の鑑別に考慮せる諸点及び神経質は女性に比較的少なきこと、及び主として精神療法に依らず治癒せる点等より鑑別するを得ん。三、「ヒステリー」症との鑑別は、先ず性格は寧ろ神経質にして「ヒステリー」的ならず、身体的にも「ヒステリー」性格痕を毫も証明し得ざることの二点による、四、乖離症は之を考慮に入るる要なからん。
 要するに本疾患は躁鬱病圏内にありと考えざるを得ず、而して多弁、外見的連想テンポの迅速などの躁状態的色彩あれど、その基礎徴候は沈鬱にして、厭世的心気的傾向顕著、不眠、不安、刺激性、性的快感の減退などを示すものにして、初老期鬱憂症の極端なる一型となすべきなり。
 本例は極端なる症例なれども軽度の強迫神経症的傾向、神経質性徴候等を伴う例は甚だ多く、一見神経質との鑑別困難なるも、原発性の沈鬱、病前性格、及び相当期間の観察などにより鑑別の困難ならざるを信ず。
 要するに強迫性徴候を伴う初老期鬱憂症は鬱憂症の一症候として後天的考慮習慣による強迫性徴候を発せしものにして、之を以て本症をHoffmanの所謂中間精神病と見做す能わず。 (下線は引用者が付した)

 下線の「偏執」は、例によって、後に下田らが「執着」と呼び換えた概念です。

 患者の台詞で、「鏡台と米櫃が気に懸かるが無理にでも触れさせられるでしょう」が気になりました。強制されるという意味だとすると、当時の主婦の過酷な立場がうかがわれます。

 さて、衣類を次々に舐めてみるというのは、塩分を毒だとは思っていないからできる行動でしょうから、この患者が塩分の何を恐れているのか、まったく不可解です。そもそも塩は浄めに使われるものでもありますし。
 結婚式の帰りに悪化したという事実も考慮に入れて、私としては、塩分は患者にとって何か性関係とか婚姻につながる意味を象徴するものとなっていたのではないかと思います(「塩[えん]」は「縁」のことかもしれません)。

 この症例を強迫神経症ではなく躁うつ混合状態と診断して治療を開始した理由が挙げられていますけれど、私は、診断の際に病前性格とか発症年齢といった疫学的事実を考慮に入れるやり方には賛成しません。どんな疾患でも、好発年齢と比べて非常に若齢あるいは高齢で発症する人が、ごくごく稀には存在するはずですし、性格だって同じことでしょう。そもそも、ある疾患の症状と、発症年齢や病前性格との組み合わせは、時代や文化によって変わる可能性はありえるわけですし、医学の進歩とともに見直されていく可能性もあるはずですから、症状以外の基準を診断に持ち込む姿勢は、あまりにも、自らが依って立つ学問水準を信頼しすぎている気もするのです。

 この症例の気分症状は躁うつ混合状態だとされ典型的ではありませんし、やっぱり気分障害であるという根拠は弱い気がします。私の経験では、神経症症状が目立つ気分障害患者にせよ、躁うつ混合状態の患者にせよ、入院とともにいったんは純粋なうつ状態を経過した後に回復することが多いと思いますが、それにもこの症例は一致しません。

 なお、強迫症状が目立つ症例はテレンバッハの『メランコリー』にもあり、すでにここでも検討しましたhttp://freudien.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-a171.html。ただしそれは、家の中の整理癖という、家事に対する勤勉さ・几帳面さの延長上にある内容の強迫性です。

メランコリー [改訂増補版]

H. テレンバッハ(著), 木村 敏 (翻訳)

出版社: みすず書房; 改訂増補版 (1985/12/5)

2012年11月23日 (金)

テレンバッハ『メランコリー』(17)

 今回はテレンバッハのメランコリー症例を扱う番です。

〈症例17〉1959年に初めて入院した54歳のマルガリーテ・Tは、もともと勤勉で几帳面な女性で、これまで一度も重い病気をしたことがなかった。数ヶ月前から、急激な血圧の動揺(最高170から220)があった。1959年2月のある夜、突然強い胸部圧迫感、顔の左半分のしびれ、東部の熱感などがからだを襲った。彼女はとっさに《卒中》を考えた。そのときから、心配で眠れなくなり、食欲がなくなり、だんだん楽しくない気持になって、仕事への意欲もなくなってきた。これらの身体症状はすぐ消えてしまったのに、彼女は《頭に腫瘍》があるのだと思い込んで、何人もの医者を訪れた。その間のある日、彼女は待合室で泣き叫んでいる子供を見た。その子の母親がいうには、その子はもう6週間も眠れないということだった。自分が眠れない夜には、その子のことが彼女の頭から離れなくなった。そして、《あの子はもう安眠できるようになっただろうか》ということばかりを考えるのだった。そのようなときにはまた、戦死した息子の思い出も心をはげしくしめつけ、息子はどんなにいろいろとひどいめにあったことだろうと考えるのだった。次第に著明なメランコリー症状が出揃ってきた。4週間の入院で、患者は良好な寛解に達して退院できた。家に戻った彼女は、非常に張り切って、いろいろなことをするのが楽しくてしようがなかった。そして、《新しい人生をもう一度開始しよう》という感じを抱いていた。
 退院後7日目に、隣家の78歳のお婆さんが卒中で倒れ、彼女はお婆さんをベッドに運ぶのを手伝った。お婆さんは彼女に、コニャックを持ってきてほしい、と頼んだきり口がきけなくなってしまった。この隣家の出来事で患者は強いショックを受けて、その晩は多量の睡眠薬をのんでも眠れなかった。以前のいろいろな不安がたちまち現われてきた。6日後の外来診察時には、彼女は再びメランコリーの状態に陥っており、前と同じような状態で再入院しなくてはならなかった。(下線は引用者が付した)

 例によって、翻訳上の問題から指摘しましょう。引用文中の、下線を付しておいた数箇所です。

 「非常に張り切って、いろいろなことをするのが楽しくてしようがなかったvoller Taetigkeitsdrang und Unternehmungslust sein」の箇所ですが、辞書で「Taetigkeitsdrang」は「活動〈行動〉欲」、「Unternehmungslust」は「進取の精神〈気性〉、冒険心」ですので、かなり浮かれて新たにいろいろなことに手を出す状態を表現しているような気がします(私の語感では、みすず版の訳では、家事など元通りの活動をいろいろするのが楽しいという程度に読めます)。なお、「Drang」「Lust」の精神医学上の定訳を用いて訳すなら「活動衝迫と行動欲に満ちていた」となります。

 「《新しい人生をもう一度開始しよう》」は、三人称の要求話法でしょうか、願望や命令をあらわす形になっていまして、「《新しい人生よ、もう一度始まれ》」です。これもドイツ語でどういうニュアンスか、またそれを日本語にどう移すか私には難しいところですが、いずれにせよこれにも患者がかなり浮かれている印象をもちます。

 これらの点もかんがみて、患者はかなり軽躁的な状態に至っていたと言えると思います。現代ではやはり双極性の因子の混入を疑われるかもしれません。

 薬もなかった時代に、治療開始後4週間で治ったり、またすぐメランコリー化したりといったスピードにも双極性を感じます。ただしこの再発については、治ったばかりのうつ病の人が、普段より活動性が高くなっている期間は、まだ本当には治ってないので容易に再発した、と考えたほうが良いのだろうとも思います。

 さて、この症例は、メランコリー型の患者の持ち前の几帳面さが、自己の健康への配慮として現われているばかりか、「他人の苦痛が自分の苦痛となり、ときとしては他人の病気のために自分まで本当に病気になってしまうというような共感的な傾向」の例として挙げられたものですが、こういう共感性も、やはり双極性障害の患者の病前性格に近いものと思います。性格としては笠原のメランコリー親和型性格にも合致するかもしれませんが、いったん悩み出すと何日も悩みつづけて増強していくあたり、下田の執着性格の記載の方が、よりこの患者を考察する上で役立ちそうです。

メランコリー [改訂増補版]

H. テレンバッハ(著), 木村 敏 (翻訳)

出版社: みすず書房; 改訂増補版 (1985/12/5)

2012年11月 6日 (火)

テレンバッハ『メランコリー』(16)

 今回はテレンバッハの症例を扱いましょう。

〈症例16〉64歳の女性患者カロリーネ・Th・Vは、1958年2月7日、同年10月24日、1959年9月21日の3回、つまり1年3カ月(訳注・原文のまま)の間に3回も入院した。彼女はすでに数年前から軽度の《抑鬱的疲労状態》にかかっていて、そのために1953年と1955年に精神病院に入院したことがある。当科においては3回ともほぼ同様の症状がみられた。すなわち、《焦燥的抑鬱、重篤な抑止、困惑、心気的虚無的念慮、貧困念慮、自責、著明な日内変動》などである。

 この患者の病前性格についてはよくわかりません。患者が語った言葉として、「義務の履行、好ましい職業への献身、内心の誠実さ、気高い心などの点でこの理想にかなう人になろうというのが、私の目標だった」と引用されているのですが、患者自身の性格も本当にそうだったかは記載されていないのです。

 さて、少し飛ばしますが、患者が記した記事の抜き書きを取り上げます。

 《私は子供のころ、よく病気をした。そのために私の心には劣等感が生まれた。しかし、精神的にはほかの子に引けを取らないという気持がそれを埋め合わせていて、それが私の心的安定にはとてもよかった。子供時代の無邪気さは、1903年に突然終わりを告げた。その年に始めて母が重い失神発作襲われた。母はその後数年にわたって、頻回にこの発作をおこした。それを目撃した私の心の中には恐るべき不安感が生じ、この不安感は母が若くして亡くなるまで、私の心に影を落としていた(彼女は47歳で、心筋梗塞で死亡した)。父は、病身の妻をかかえて非常に苦労していた。そして私は、このわけのわからぬもやもやした気分を晴らすことができないことと、自分がそれに対して全く無力であるのを感じたこととで、二重に苦しんだ。私は元来、かなり生真面目な子供だった。そこへ、生きることのつらさが、石のように私のにのしかかった》。(下線は引用者が付した)

 これは患者自身の表現なので、訳文では見失われてしまう原語表現の特徴を少し指摘しておきましょう。
 「目撃した」には「miterleben」が用いられています。つまり患者は、母の発作を単に目撃したということではなくて、「共に体験した」と表現しています。
 下線を付した、「病身の」「苦労していた」「苦しんだ」はいずれも「leiden」ですから、患者は、父も母も自分も同じ語で「苦しんだ」と表現しているわけです。その前の「襲われた」も「erleiden」ですのでやはり関連があります。
 最後の文の「心」は「Herz」という語で表現されています。「心筋梗塞Herzinfarkt」を起こした母との同一化がここにも読み取れるでしょう(ただし、上に引用した訳文内で、これ以外の「心」の語には原文で別の語が用いられています)。加えて母の「失神発作Ohnmacht」と自分の「無力Machtlosigkeit」にも対応を読み取ってよさそうにも思います。

 さて、テレンバッハによる紹介は以下のように続きます。

 風邪を引くと、彼女は決まって床について、14日間は《なにもできなくなった》。そして次のような気持ちを抱いた。《ほら、お前はまた失敗した。お前が百パーセントちゃんとやっていく力のないことを、皆に証明してしまった。だめだねえ》。(以下略)

 ここでは患者は自分に対して「お前Du」で語りかけています。自責や自嘲がこのように二人称で患者の脳裏に浮かぶ場合には、フロイトが『喪とメランコリー』で論じたように、自責は患者自身に該当するのではなく、患者の身近な人物に該当しているというふうに考えやすいと思います。この例での自責・自嘲は当然、病弱だった母親に向けられたものでしょう。フロイトは、こういう場合には、患者と、本来責められるべき人物との間に、愛憎入り混じった両価的関係があるとしています。

 フロイトはメランコリーに関して、対象との同一化も指摘していますが、それはこの症例で以下の箇所にも読み取れます。なお、この患者の職業は、症例紹介よりも後ろのページまで読むと、学校の教師であったことが明かされていますけれども、それを知らないと、以下の部分は理解困難です。

 すでに子供のころから、病気は恐ろしいことであった -《お母さんが心配するから、学校に行くのが好きだから》。後にはそれに循環器の障害も加わって、それは感染症が治ったのちも、いつも2週間は後に残った。それに引き続いて -もう何年も前のことだが- 最初の気分異常が現れた。のちには、感染症が治って元気になって2日もすると、かかりつけの医者に《もう学校へ行っていいでしょう。学校へ行かないと行きにくくなってしまいますもの》とせがむのだった。医者がだめだというと、彼女はメランコリーの状態に陥るのだったし、医者が学校に行くのを許すとメランコリーにはならないで済むのだった。この話をカロリーネは、次のような言葉で結んだ -《実際私の人生は、次に来る病気を待ちかまえているということでなりたっているのです》。

 ここで、「(お母さんが)心配するから」の箇所には「不安がるaengstlich sein」が用いられていますが、この語はここまでむしろ患者自身が、母親の発作と自身の健康に対して抱いていた感情として何度も登場していて、ここでは患者が自らの不安を母親に投影しているということになるでしょう。

 ここまでですでに、患者が母に抱いていた両価性と同一化は明らかだと思いますが、この後の段落には、より直接にそれが語られていますし、テレンバッハ自身も、アブラハムとフロイトの名を挙げ『両価性の葛藤』を論じています。

 精神病理学者はよく、「“患者が自責を語りながら他人を責めている”というフロイトが言うような例を見たことがない」とか、「そんな説は信じられない」と言います。しかし、彼らが典拠とすることの多いテレンバッハの主著の中にこのような症例が存在し、テレンバッハ自身がフロイトの論に準拠しているというのはなかなか興味深いことと思います。

メランコリー [改訂増補版]

H. テレンバッハ(著), 木村 敏 (翻訳)

出版社: みすず書房; 改訂増補版 (1985/12/5)

2012年9月10日 (月)

テレンバッハ『メランコリー』(15)

 今回はテレンバッハが紹介したメランコリー型の症例を取り上げる順です。

〈症例15〉 女性患者エリーザベト・Mは、初回入院時53歳だった。彼女は以前からきわめて勤勉で《ひとときも働かずには》いられず、なにごとにつけても格別清潔で周到であった。主婦の仕事のほか、彼女は裁縫の副業をもっていた。彼女の人生はひたすらに家族への心配に向けられていた。どんな人とも折り合いがよかった。彼女の父親は高血圧のために何回か卒中発作を起こし、そのために50歳の若さで退職していたが、彼女もやはり49歳の年から高血圧にかかっていた。いつも頭が重く、それがときには激しい頭痛となった。数年来、眼華閃発、眩暈発作、失神発作などの形での明らかな発作症状の頻度が増加した。高血圧のためにこれまでも何回かの入院治療を受けていたが、回復するごとに以前の仕事を全面的に再開し、家の中をきりまわしたり家族に気をくばったりする仕事も以前同様に引きうけた。しかし副業は、とうとうあきらめざるをえなかった。精神科への最初の入院に先立つ時期に、高血圧発作の頻度が増加して、次第に悪性の性格をおびてきた。彼女はそのために、家の中での仕事の面でも次第に大きな制約を受けるようになった。一過性の失明、無意味な行為を伴う精神病的な朦朧状態、それに続く全体的健忘と言った、G・シュテルツのいう脳機能の「間歇的跛行」の諸現象が出現し、時どき猛烈な頭痛に襲われた。患者はそれでも自分の仕事から手を引くことができなかったが、だんだんと自分の責任を果たしにくくなるのがよくわかっていた。彼女は徐々に、焦燥性メランコリーに落ち込んで行った(最高血圧は240)。
 1959年に2回目の病期で入院した時の事情も、これと類似したものだった。患者は眠れなくなり、ときには夜通し編物をしていた。仕上げられる分量が少なくなるにつれて、だんだん怒りっぽくなり、人に当たり散らすようになった。とうとう彼女は、真剣なガス自殺を試みた。重いメランコリー性の絶望感は入院後短期間で改善されたが、抑うつ的な気分状態はその後も残っていた。彼女は、自分が肉体的にも精神的にも完全ではないことを嘆きながら、それでも病棟内の仕事をせいいっぱい、進んで手伝っていた。退院時の不安は、家の中の仕事を十分に果たして行けないのではないかということだった。

 この症例に如実に示されているような高血圧の悪化からメランコリーへと至る移行は、大部分の症例にとって特徴的なものである。作業の能力や自己を発揮する力が次第に衰えることとの格闘、限定された領域に力を総動員して、疲れを知らぬ活動によって非常に大きな仕事量を極めて整然と果たしていく能力の衰えに対する格闘が、特徴的である。種々の制約を乗り越えることがますます困難になるにつれて、各種の障害が自らの作業能力に絶望している患者に襲いかかってくる。それにもかかわらず、仕事量への要求は変わらない。そこでみられるきわめて示唆的なことは、仕上げられたものが不細工になり、仕事ぶりのきめ細かさがだんだんだめになり、仕事が次第に空転に陥って行く有様である。

 この症例は、テレンバッハが提唱した『メランコリー型』の病前性格にも発症状況にもぴったりと合致しているように思います。

 では、かつて日本のサラリーマン・専業主婦について笠原嘉らが論じた軽症うつ病者のメランコリー親和型性格と比較してみるとどうでしょうか。

 まず病前性格についていえば、この症例は、日本のメランコリー親和型性格の性格特徴ともほぼ合致するといえそうに思います。ただ、(ここで毎度のように書いていますが)その仕事の量や熱心さ、几帳面さは、日本で広まっているイメージよりもはるかに極端なレベルに達しています。というのは、笠原のメランコリー親和型性格スケールの表現は『元気な時は働くのが好きだった』『やりだしたら徹底的にしないと気がすまない』『責任感が強い』『物を片付けるのが好き』『きれい好き』といったマイルドな表現が並んでおり、さほど極端ではない性格の人でも陽性と判断されそうなものばかりだからです。これに反して、上の症例は、ひと時も働かずにはいられない人ですから、『やりだしたら徹底的に』というよりも、『いつも何かをやりだしては徹底的に』といえるでしょう。

 発症状況についていえば、(これも毎度のように書いていますが)この症例のように、それまで通りには働けなくなって従来以上に努力しても取り戻せず空回りする時期のただなかに発症に向かうのが、テレンバッハ型の特徴です。一方で、日本で笠原が広めた発症パターンの典型は、身辺の秩序変化のあとしばらく経ってから、ひとりでに起こるかのように起こるというものでしたから、発症状況は日本の軽症者の類型とだいぶ違うと言えそうです。

 テレンバッハの研究は、かなり重症で精神病レベルのメランコリー症例を対象としているのですが、こうしてもともとの性格も極端な人が多いことをみてくると、病前性格が極端なら病像も重くなるという傾向があるのかとも推測したくなります。

メランコリー [改訂増補版]

H. テレンバッハ(著), 木村 敏 (翻訳)

出版社: みすず書房; 改訂増補版 (1985/12/5)

2012年8月26日 (日)

テレンバッハ『メランコリー』(14)

 テレンバッハの大著『メランコリー』の症例の検討を続けます。

 本題からずれますが、すでに何度も書いてきたとおり、このテレンバッハが提唱した重症メランコリーの病前性格は、日本の軽症うつ病者について笠原が提唱した病前性格(笠原自身はテレンバッハ説を受け継いだものとして述べ、『メランコリー親和型性格』と呼んだ)とは大きく異なっていると思いますので、私はテレンバッハの類型を『メランコリー型』と表記して区別するよう心がけてきました。しかしプロバイダによるアクセス解析によれば、『メランコリー型』という検索ワードで検索されることはほとんどないようでして、多くの方にこのブログを読んでもらうには今後は文中のどこかにやはり『メランコリー親和型』という表現を置くなどの工夫が必要そうです。

 さて今回は症例14ですが、やや長いのですこしずつ分けながら見ていきましょう。
 
 

<症例14>女性患者アンゲーラ・Rは、寛解後の診察に際して次のように述べた。48歳の患者は、なが年のあいだ7人家族の家計をきりまわし、ふだんは朝の6時から夜の11時まで働いた。衣類はいっさい -服も含めて- 自分で作り、自分で洗っていた。その上、彼女は野良仕事もやっていた。1956年からすでに胆嚢の病気が始まっていて、腹の右側にたえず鈍痛があり、時どきは疝痛が起り、そういった症状は仕事をするとひどくなるにもかかわらず、仕事を休もうとはしなかった。完全に疲れ切ってしまう一歩手前のところまで来ることもよくあったが、それでもまだ一度も休暇をとったことがなかった。《朝計画したことを済ませてしまわないと、自分で気持ちが悪いのです》。何かやりかけで残っているようなことがあると、《明日の朝はいつもより早く起きて、残った仕事を片付けてしまおう》と自分に言いきかせるのだった。何事につけても、彼女はできる限りきちんとしていた。《できればもっときちんとやりたいと思うことがいくらもあります》。人から《そうやって置いておいたらいいじゃないか、なにもそんなにきちんとすることはないじゃないか》といわれることがよくあった。

 この症例の仕事量は、症例1と同様、NHKドラマ『おしん』のレベル(あるいはそれ以上)であって、現代のわれわれの感覚からすると常軌を逸しています。テレンバッハのいうメランコリー型性格者の秩序愛が仕事に向かうときにはこのレベルの仕事量に達するのであって、笠原がいうような普通人の範囲にはおさまらない気がします。
 

彼女はとうとう、自分が癌にかかっていると思い込んだ -もしそうならば、手術を受けることもない、と考えた。食欲がなくなり、痩せてきて、黄疸になって、結局病院に入ることになった。病院でも胆石は証明されず、胆嚢も造影できなかったので、彼女は癌の存在を確信した。そして、自分はもうよくならないと思った。

 病気によってそれまでの仕事ができなくなるという状況からメランコリー発症へ向かう、という流れについてはテレンバッハの理論にもよく合致し、理解しやすいものと思います。さらに次の一節によれば、患者は仕事だけでなく性道徳的な面でも几帳面な人物であり、入院によって別の心配が頭をもたげてきたようです。

そこへ別の心配が加わって、そのことが彼女の心を絶えず曇らせた。頭の中は入院中ずっと、夫や子供たちの心配でいっぱいだった。彼女が自分から述べているところによると、子供たちが小さくて家にいた間は心配することはなかったのに、《今では子供たちは夜でも出かけていきますし、どんな場面があるかわからないような映画にも行くんです。ちゃんと調べておかなければなりません》。ところが、それを調べることがもう長いあいだできないのであった。

 ここで「調べることがもう長いあいだできない」とされているのは、身体的な病気になって入院したから、ということでしょう。
 ここから少し飛ばして、最後の部分をみてみましょう。

さて、病気で家にいる息子のEは、夫が夜勤のときにはだれも監督する人がいなかった。患者は、この息子が獣姦をしているのではないかという(メランコリーのときに口にした)疑いを、今でも抱いている。彼女はたびたび、この息子が家畜小屋で大変奇妙な様子であるのを見たという。彼女は病院で《罪深いものばかり》書いてある本を読んだ。すると、息子が今、家でそんなことをしているのではないかと心配になった。《万一そんなことがあったら、それ以上いやなことはありません》。彼女はまた、子供を誘惑する男たちのことも読んだし、内科病棟の女の患者たちは、そういったことについて平気で話すことが多かったという。このような言いかたで、患者は近親相姦的な妄想内容をほのめかしていた。しかしこの問題についての詳しい問診は、患者がそれによって取り乱すおそれがあったために、断念しなくてはならなかった。ただ彼女がいうには、彼女は精神病になるずっと前から、内科病棟で聞いたすべてのことを夫とも関係づけて考えていたという。

 この部分で翻訳について一点述べると、引用箇所の「メランコリー」という語は、原文では「精神病」とされています。テレンバッハの研究対象は、入院を必要とする精神病レベルの患者であったことがここでも明示されています。
 しかもこの症例は、上の引用箇所によれば、寛解後も、息子の獣姦に関する疑念を抱き続けています。さらに、内科で治療を受け始めてから精神病を発症するまでの間に、すでに「精神病になるずっと前から、内科病棟で聞いたすべてのことを夫とも関係づけていた」といいます。つまり夫が息子と近親相姦しているのではないかという妄想を抱いていたということです。
 普通、うつ病が重症化した際に生じるとされる妄想のテーマは、罪業、心気、貧困の3つのテーマが多いとされ、三大妄想とまとめられたりしますが、この患者の妄想はそれらのテーマには合致しません。また、うつ病が重症化して妄想が生じるというよりも、発症初期から発生し、寛解しても残存しているということも指摘しておきましょう。
 こういう症例記載をみると、テレンバッハの『メランコリー型』は普段からメランコリーに片足を突っ込んでいる人たちだという印象を強くしますし、冒頭に書いたように、笠原の『メランコリー親和型性格』とは明らかに別物と思います。

メランコリー [改訂増補版]

H. テレンバッハ(著), 木村 敏 (翻訳)

出版社: みすず書房; 改訂増補版 (1985/12/5)

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