病前性格

2016年9月12日 (月)

気分障害患者の結婚歴

 中高年以降に発症した気分障害(うつ病または躁うつ病)の患者は、とにかく結婚歴のある人が多いんです。たとえばドイツの精神科医テレンバッハがうつ病症例を集めた名著『メランコリー』に登場する症例とか、笠原・木村が著書で紹介する例は、ことごとく既婚です。

 最近、勤務先の病院に、生涯未婚の中年うつ病患者が入院してきたので、珍しいなあと思い、医局でそう発言してみましたが、周囲の医師には私の感慨はうまく伝わらなかったようでした。

 気分障害患者のほとんどに結婚歴がある理由については、私なりに考えがあります。

①躁うつ病の人(循環性格の人)の病前性格は、異性を恋愛感情に巻き込む力(=同調性、本ブログのひとつ前の記事を参照)が強いので、交際相手ともども気分が盛り上がって結婚に至ることが多い。

②うつ病の人(メランコリー型の人)の病前性格は几帳面で仕事熱心で他者配慮があるので、異性からみて、手堅い結婚相手と捉えられやすく、また一昔前なら縁談も舞い込みやすかった。

 そしてもうひとつ、未婚である私がなかなか人前では言いづらいことなのですが、

③気分障害の人(うつ病の人も躁うつ病の人も)は、もともと性格的に、自分に達成可能な範囲のことしか望まない、とテレンバッハが言っていますが、そういう性格のせいで、彼らは、自分の手に入らないような異性を求めたりせず、自分に見合った範囲の異性から配偶者を選ぶ

ということがあるのではないでしょうか。

 みなさんはいかが思われますでしょうか。

メランコリー [改訂増補版]

H. テレンバッハ(著), 木村 敏 (翻訳)

出版社: みすず書房; 改訂増補版 (1985/12/5)

2016年8月29日 (月)

同調性

 躁うつ病の人の性格には、病気になる前から病気の間までを通じて、同調性があるといわれます。

 これを言い出したブロイラーは、教科書で同調性について次のように説明しています。

 「他人の気分、性癖に自分を合せることができる」邦訳Ⅰ巻9頁

 「このような人はしばしば社交的で人好きがし、適応性に富み、気持ちの良い人間である(同調性)」邦訳Ⅲ巻119頁

 「同調性者は、楽しげな人間と一緒の場合には楽しげであり、悲しんでいる人間と一緒の場合には悲しげであり、主として周囲と同調した態度をとる」邦訳Ⅲ巻291頁

 しかし、躁状態の人は、一人で勝手に高ぶっています。彼らは本当に同調的なのでしょうか。

 中井久夫は躁状態について次のようにいっています。

 「…つまり躁状態のよさは、あとに尾を引かないところにある。だからひどい躁状態のときはかなりの拘束を加えないといけないことも多いが、あとはさっぱりしてくれて、うらみがあまり残らないのが救いである。他の病気の活動増大ではこうはゆかない。
 それほどでないときは、やたらに握手したり肩をたたきまわったりする。次の番にすぐ移るので、短時間お相手をしていればすむ。そのあと苦笑していると「また帰ってきた」ということもあるが、「やあ」「うん」「そう」と握手をしていればすむ。
 このように、「上機嫌」であり「同調性」がある。同調性とは、相手と合わせることである。こちらも患者の気分に多少波長を合わせてしまう。躁病の上機嫌は伝染性がある。」(中井久夫、看護のための精神医学 155頁)

 引用した2段落目に挙げられた振る舞いは、他人に同調しているとか「相手と合わせ」ているとはとても言えません。しかしなにも中井久夫だけが悪いのではなくて、多くの精神科医たちが、こういう人を指して「同調性がある」というのです。精神科の専門外の人には理解不能な考え方じゃないでしょうか。

看護のための精神医学 第2>
2004/3/1
中井久夫山口直彦

2016年1月20日 (水)

ダメな人

 中井久夫著『看護のための精神医学』によれば、うつ状態では

自己価値観の低下は「微小妄想」となり、自分は何もできない、ダメな人間であると思いこむ。(160頁)

 一方、うつ病になりやすいとされた「メランコリー親和型」は、

日本の下田は「模範的な人」と書いているが、ドイツでは「ダメな人」だそうである。(162頁)

 だとすると、ドイツ人がみれば、患者が自分を「ダメな人」だと言うのは内容的に正しく、よって妄想ではないことになってしまいませんでしょうか。

 ちなみにフロイトも、メランコリーの人は正しい自己認識を語っているのだといってました。

看護のための精神医学 第2版
2004/3/1
中井 久夫山口 直彦

 

2012年12月29日 (土)

テレンバッハ『メランコリー』(19)

 今回はテレンバッハ『メランコリー』の症例の検討です。この症例は、「生殖過程における危機的状況」と題された章に含まれ、ドイツ語の「Hoffnung期待」という単語が、「in Hoffnung sein妊娠している=子供を期待している」という熟語に含まれる点を指摘し、それが「絶望Hoffnungslosigkeit」へと反転する状況などを論じた後で紹介されています。

〈症例19〉1924年生まれの既婚の女性患者アンネリーゼ・Kは1959年に入院した。彼女たち夫婦は1948年に家を新築したが、このことに彼女は本心では反対であった。しかし彼女は、建築費の返済を確保するために、副業として電気工場で働くこととした。家を建てた年に、患者は流産し、その翌年には死産をした。さて、患者はこの数年来高血圧にかかっており、1年前には副業をやめなければならなかった。患者は、再び妊娠することを非常に恐れていた。ところがその不安はかなり早く現実のものとなって、憂鬱といらだちが増してきた。以前の妊娠のときはいつも嬉しかったのに、今度はすっかり感じが違っていた。彼女はもう、不安な気持ちしかもてなかった。生きていることの喜びはどこかへ消えてしまい、眠りにくくなり、くよくよ考え込むようになった。年金で家計の援助をしてくれている母親が死んだらお金が足りなくなってしまうということも彼女の心配のひとつであった。1958年12月15日の夜、患者は荒れ狂ったように夫にとびかかり、彼を叩いた。そして電気のコードを引きちぎって、それでひと思いに首を吊って自殺をしようとした。この行為については、あとから健忘が残った。患者は1クールの電気ショックを受けたが、効果は不十分だった。死にたいという気持ちは消えなかった。5週間後に、彼女はふたごを生んだ。出産後、精神病はただちに再燃し、4日後に彼女はわれわれのもとに入院した。患者は、自分がまたしても妊娠してしまったこと、そしてそれ以前に長く働きすぎたことで、非常に自分を責めた。自分はもう元気になる望みがなくなった、子供たちを養っていくことはもうできない、と思った。《面目もありません、面目もありません》と彼女はいうのだった。(下線は引用者が付した)

 ここまでが第一段落です。まず下線部の翻訳についてみていきます。

 「患者は、再び妊娠することを非常に恐れていた。ところがその不安はかなり早く現実のものとなって、憂鬱といらだちが増してきた。Die Patientin war ueber eine neue Gravdivitaet sehr besorgt. Es entwickelte sich relativ rasch und zunehmend eine Niedergeschlagenheit und innere Unruhe.」。

 まず一文目は、邦訳では妊娠前の不安として訳出されていますが、前置詞「vor」ではなく「ueber」が使われている点、および、「neu」には「将来再びやってくる」という意味はさほどなさそうなので、むしろ「患者は、新たに始まった妊娠について非常に心配していた」という意味のように思います。次の文には、「ところが」という逆説の語が含まれませんし、主語の「Es」は仮におかれているだけで、「不安」を受けているわけではありません。さらに訳語についても、「Niedergeschlagenheit」は、「schlagen叩く」という語を含んでいるので「打ちひしがれ」ぐらいにしたいですし、「innere Unruhe」は精神医学用語「内的不穏」が当てられます。

代案:「患者は、新たに始まった妊娠について非常に心配していた。かなり急速に打ちひしがれていき、内的不穏も増してきた。」

 次の下線部は、単語レベルで直訳が好ましいと思われる箇所です。「einschlagen」は、「さんざんに叩く」です。

 「患者は荒れ狂ったように夫にとびかかり、彼を叩いた」

 代案:「患者は発作の中で夫にとびかかり、彼をさんざん叩いた」

 最後の下線部の「望み」の原語は「Hoffnung」です。この症例の前後の文脈からして、この語が用いられていることは重要ですから、わかるように明示すべきでしょう。とりあえず我われ読者はルビを書き込んでおきましょう。

 次の段落から以降は、この患者がもともと借金や負い目を嫌うこと、家の新築以来、過労状況にあったこと、自分の仕事を入念に行っていたことなどが説明され、メランコリー型の病前性格であったことがわかります。ちなみにこの患者と秩序との関係は、この本のだいぶ前のほう、邦訳の158頁でもすでに簡単に触れられています。

 症例紹介の最後の段落は次の短いものです。

 とうとう、彼女は絶望のあまり興奮して当たり散らすことになってしまった。そのことはちゃんと覚えているけれども、細かな点は忘れた。たとえば夫にとびかかったことなどは覚えていない。

  ここで用いられる「絶望」の語は、原語では「Verzweiflung」で、この本の後ろの方(212頁、296頁、366頁など)で何度も論じられる重要概念です。ところが、この症例の前後の文脈では妊娠との関連で「絶望Hoffnungslosigkeit」の語が用いられており、混同されてしまうという問題があります。ここもとりあえずルビでも振っておくしかないかもしれません。「興奮して当たり散らす」は、原語が「einen Tobsuchtanfall bekommen」で、精神医学用語を使うなら「躁暴発作に陥る」です。

 こういう発作は比較的珍しいものではありますが、メランコリー性の激越発作raptus melancholicusと呼ばれる状態で、診断はやはりメランコリーと考えてよいでしょう。電気コードを引きちぎったことと、この患者がかつて電気工場で働いていたこととのあいだに何か心理的関連があるかどうかまではわかりませんし、そこまで考えるのはきっと読みすぎでしょう。

メランコリー [改訂増補版]

H. テレンバッハ(著), 木村 敏 (翻訳)

出版社: みすず書房; 改訂増補版 (1985/12/5)

2012年12月20日 (木)

下田、中ら『初老期鬱憂症の研究』8

 今回は、下田門下の論文『初老期鬱憂症の研究』で検討されている症例の紹介ですが、しかしこの症例の診断は初老期鬱憂症ではありません。

初老期鬱憂症と誤診せられたるヒステリー性神経症

  症例8 森○謙○ 46歳、男性。

主訴 不眠、小児期より過敏、性格は感激性に富み、熱狂し易く、道楽に凝り、耽溺、大袈裟、徹底的の如く見ゆるも直ちに飽きて永続性なく、先端的にして人を信じ易く飽き易く、我儘、自己中心主義、使用人を酷使、嫉妬深く、派手好き等典型的のヒステリー性性格を有し、青年時より放縦にして資産を傾け、些細のことに激怒し、手肢の痙攣、顔面蒼白、心悸亢進等を起し重症者の如き態度となること或は自己の洋服を裂き、器物を投ぐる等のことしばしばなりしという。
 17歳の頃頭が茫然として1ヶ年程度憂鬱となりしことあり、37歳の頃赤痢を患いその後過敏となりたりと称す。現在症としては37歳頃より毎年春2,3ヶ月間不眠続き、有ゆる睡眠剤を用い居たりしが本年一月事業失敗を憂慮してより睡眠障碍顕著となり、心気的傾向、感情沈鬱、後悔、決断力鈍麻、前途の滅亡感、考慮渋滞、健忘、耳鳴、性欲消失、四肢の冷感等の自覚症を訴うるに至りたるものにして、昭和7年4月10日入院。
 身体的徴候としては体構発育異常型、角膜、結膜、咽喉反射存し、手尖微細に震戦、何処にも圧痛なく、諸反射正常なれど、皮膚紋画症やや顕著、感覚異常なし。精神的に内因性の沈鬱を欠如せる如く時々愉快相に笑い、談話等 何ら変りなく、表情誇張的なり、ただ前記の憂鬱症的自覚症を訴うるのみ。睡眠療法無効、同5月27日退院、再び6月4日入院、態度演劇的、大袈裟、易変、多弁にして衒学的、法螺を吹く。ヘルヒンの連続注射および睡眠剤にて軽快7月25日退院す。

 本例は性格その他をよく調査し、診断明らかとなりたる後之を観れば疑う余地無きヒステリー症なれど、患者のみ単独に之を診察する時は熱中性、責任感強し等自己に好都合の事実のみを美化して述ぶるを以って、あたかも真性鬱憂症の如く思わるるものなり、性格の調査、病状経過等は之を必ず家族に就きて行わざるべからざることを教ゆる適例なり。

 性格を描写する表現が巧みで、人物像が活き活きと伝わってきます。青年期のこういう生活スタイルは、「家業」というものがしっかりしていた時代でないと成り立たないでしょう。とはいえ、さすがに40代半ばにして事業失敗してますが。この人は、現代の勤め人を父親とする核家族に生まれたらどういう生活を送るだろうか、と考えると興味深いです。

 考察部分についていえば、診断の際に性格を考慮に入れているのが少々気になります。この点については以前の症例でも書きましたhttp://freudien.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-330c.html。ただし「精神的に内因性の沈鬱を欠如せる如く時々愉快相に笑い、談話等 何ら変りなく、表情誇張的なり、ただ前記の憂鬱症的自覚症を訴うるのみ」という現在症の部分からして、やはりうつ病ではなさそうではありますけれども。

 病前性格を知るには、本人から聴取するだけではなく、家族などからも情報を得なければならないというのは全くその通りです。いっぽう、戦後、笠原嘉はメランコリー親和型性格に関する自記式質問紙を作成・提案しましたが、「几帳面」「仕事好き」「義理堅い」など当時の平均的日本人の自己像に近い内容を患者本人に尋ねるという笠原のやり方だと、該当者は大幅に増えてしまいます。質問そのものが、患者本人から聴取しやすいソフトな表現で書かれていたことも、バイアスに拍車を掛けていそうです。

 ただ、当時笠原は企業のメンタルヘルスについての啓蒙活動とセットでうつ病研究を行っていましたから、患者一人あるいは上司に連れられて相談に来ることが多かっただろうことも考慮に入れなければなりません。上司を情報源にしようにも、上司の偏見を助長するような質問はできなかったでしょう。笠原の研究には、当時のうつ病者への偏見を打破して受診・休職しやすくしたという効果があったことは誰もが認めるところです。

軽症うつ病 (講談社現代新書)

笠原 嘉 (著)

  • 出版社: 講談社 (1996/2/20)
  • 2012年12月 8日 (土)

    テレンバッハ『メランコリー』(18)

     今回はテレンバッハの主著『メランコリー』に紹介されている症例を検討する番です。

    〈症例18〉54歳の女性患者マリーア・Kは、1959年に初めて入院した。その年の4月に子宮脱の切除手術を受けるまで、彼女は一度も重い病気にかかったことがなかった。この手術以後、彼女は気分がすぐれなくなった。特に胃腸障碍が苦しくて、あちこちの医者や民間治療所に通った。そしてついには精神病ではないかと不安になり、そうこうするうちにだんだんと、さして深くはないが抑止的な心気性メランコリーに落ち込んで行った。
     寛解後の診察で次のようなことが分かった。彼女は子供のころから、特に学校では、いつも几帳面できちんとしていて、《くそまじめ》な子供だった。これはその後もずっと変らない。彼女自身のことばでは、《なんでもきちんとした位置にないといけないのです。なにかの位置が狂っていると、すぐに気がつくのです》。この性質は母親ゆずりのもので、母親自身も《やっぱりとても几帳面》で、《模範的な肌着縫製工》だった。患者の夫は、妻の仕事の分量やくそまじめさをほどほどにさせようとしたが、うまくゆかなかった。家事以外に、彼女は内職に速記タイピストをしていた。《やっぱり、あまりたくさんのことをしすぎなのかもしれません》。ところが反面、《私は何かをしていないと気がすまないのです。なにもすることがなくてぶらぶらしているなんて、とてもできないことなんです》。(下線は引用者が付した)

     引用文で『几帳面』や『くそまじめ』といった訳語が複数回登場しますが、それぞれ複数の原語と対応していて一貫しません。そのなかで、下線の『くそまじめさ』の原語は、『Peniblitaet』です。この語は、過剰に几帳面な状態に対するややネガティブな評価を表す語で、本書ではこれまで症例2、3、6を形容する言葉として出てきましたが(ほか、番号なしで短く紹介される症例にも使われています)、邦訳では単に『几帳面』『綿密』などと訳されていることが多く、ネガティブなニュアンスを伝えていないことを指摘してきました。

    http://freudien.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-2737.html

    http://freudien.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-4190-1.html

     今回の症例では『くそまじめ』と、ややネガティブな表現が選ばれています。

     下線の直前で、患者の母は『模範的tadellosな肌着縫製工』とされています。この『模範的』という語は、我が国の下田光三が、躁うつ病の病前性格として提唱した執着性格の人々を、『模範青年、模範社員、模範軍人などとして誉められている人』と描写したのを思い起こさせますから、おそらく訳者が下田の論文を意識してこの訳語を選んだものと思われます。この形容詞『tadellos』を辞書で引くと、『非の打ちどころのない、欠点のない、完璧な』といった訳語が並んでいます。これは名詞『Tadel=非難、叱責、(非難されるべき)欠点』の派生語ですから、テレンバッハの文脈(本書を通じて負い目や罪を重視する)においてはむしろこの『Tadel』の意味を残して『非の打ち所のない』などとすべきだったと思います。

     さて、この症例についての紹介は、この後の2段落で、母親がいくつかの身体疾患を患った末に死去したこと、患者もほぼ同じ年齢になって類似の症状を生じながら気分症状を悪化させていったことを記載しています。そのあとの最後の段落の訳文には訳し落としがあるので、以下の下線部として補っておきます。

     最後まで残っていたメランコリー症状がすっかり消失したのは、事後診察の後であった。というのは、病気の間、母親のことなど考えたこともないのに、母親の病気の経過を逐一再現していたのだということに、彼女はそれまで気がつかなかったのである。この対応関係が患者にとって明白なものになったとき、症状は急速に消褪した。

     この症例紹介のあと、テレンバッハの説明は、患者と母との同一化に言及しています。症例13では夫との同一化、症例16では母との同一化が扱われており、同一化という心因が(発症の原因のみならず)症状の内容をも規定しているあたりが、内因性うつ病を現象学的に論じたテレンバッハの著作に含まれるのも面白い点だと思います。

    メランコリー [改訂増補版]

    H. テレンバッハ(著), 木村 敏 (翻訳)

    出版社: みすず書房; 改訂増補版 (1985/12/5)

     精神分析の分野では、医師以外の者が患者に精神分析を行うことの可否が検討されてきた歴史があり、フロイトにもそれを論じた論文があります。医師以外の者が行う分析を指す語「Laienanalyse」は、従来は「素人分析」と邦訳され、岩波の全集では「非医師分析」と訳されていますが、今回の引用箇所の「民間療法」という言葉を見て、(原語は違いますが)「民間分析」という訳もありかも、と思いました。

    2012年12月 1日 (土)

    下田、中ら『初老期鬱憂症の研究』7

     テレンバッハの著書と、下田光三門下の論文から、交互に症例を紹介していますが、今回取り上げる下田門下の論文の症例はとりわけ印象深いものです。というのは、強迫的な不潔恐怖の一種として塩分恐怖なる(しかも親子二代にわたる)症状が記載されているからで、現代の私たちから見れば症状として稀ですし、塩分というありふれたものが恐怖の対象となることが非常に奇妙に思えるからです。もちろん当時も塩分が毒であると信じられていたわけではありませんから、逆にどうして現代ではこの症状がなくなったのか不思議でもあります。

    初老期鬱憂症 軽鬱状態型

     強迫性徴候

    症例7 43歳、住職の妻。

     主訴 極端なる潔癖(特に塩分につきて)。

     家族歴 父は温情の持ち主なれど厳格にして特に徹底的に事物をなさざれば止まざる特質を有し、家事に熱中し、正直、勤勉、交際円滑、人好きのする性格にして「シツオチーム」の因子を有せず、即ち父の性格はKretschmerの「チクロチーム」協調型に近似し、同時に我教室の所謂偏執的性格の特徴を有す。母は地味にして、克[よ]く働き、「ヒステリー」的ならず、刺激性にして潔癖性あり、40歳の頃一時的に塩分恐怖症に罹りたることあり。弟一人頭脳明晰にして、克[よ]く働き、人より信用せらる、その性格父に似たる所多し。父の末弟は温厚、規帳面、律儀、熱中性等の性質を有し居りしが腎臓炎に罹り自殺せりと(憂鬱症か)、母の妹二人あり性格は母に類す、末妹は母よりは更に働き手、熱中性なりしと言う。すなわち患者の家系は殆んど偏執的性格者によって満たされたる感あり、患者の基礎的性格が偏執性よりなるは当然のことなりとす。

     既往歴 胎生時順調、難産、小児期一般に脆弱、従って我儘放縦に育ち甚だ過敏なりしと言う、現在に於ても両親存し我儘を自覚す。学業成績は中等以下、私立女学校卒業。性格は穏和な方なれども過敏、移り気、取越し苦労などの点存し、正直地味にして大袈裟の所なし、交際広く、談話を好み、「やり初めたらば徹底的に御飯も忘れてやって仕舞わなければ気が済まぬ」という点は父と同様特有にして甚だ責任感強し、なお不全感を有し自己の欠点に対する観察確実なり[註:別表には『神経質・偏執性』とまとめられている]。近時月経量減少、性的快感減じ、昨年頃より月経時不機嫌、沈鬱、涙脆くなる習慣を生じ月経痛を訴うるに至る。

     現病経過 母の潔癖の感化を受け生来潔癖的なり、然れども7,8年前迄は特に病的ならざりしが、その頃より塩分に関係せるものを少しく恐怖するに至りたるも、なお家事に差支えを生ずるが如きことなかりき。然るに一昨年(満41歳)4月2日結婚式に招待せられ、儀式の際 鰹と昆布を懐中にしてそのまま帰りし折、懐中が塩分により汚れたる如く感じ、その着物を洗濯し、その裏地を他の新調の羽織に付け、試みに味わいしに塩味あり、驚愕して、他の総ての着物を舐め試せしに総てに於て塩味を感じ、あらゆる自己の着物を洗濯せしことあり。その頃より潔癖漸く病的となり、塩分を恐るること激しく、洗濯物を干し居る際など二丁余りも距りたる所にて鰯の箱を焼きたりと言い、洗濯をやり直す等の滑稽を演ずるに至る、塵垢の飛散を極度に恐れ箒を以って掃く能わず、凡て雑布を用いて拭い、炊事、結髪を自らなし得ず、手足を洗うこと1日100回以上に及び、用便後手足又は便所を2,3時間洗うことあり、常に不安にして刺激性、安眠せず、昨年(昭和6年)11月頃よりは潔癖一層顕著となり、着物は何れも20回以上洗濯せざれば着るを得ず、己の鏡台、箪笥、その他の所有物、米櫃等に全く手を触るる能わず、睡眠障害益々顕著となり、毎夜2時間以上眠ること稀にして殆んど一睡だもせざること多く、終日終夜洗濯をなす。感情は益々沈鬱となり、興味全く欠如、「日本中にこのような病気は一つもない」「こう潔癖がひどくては丸で世界を敵にして居る様なもので生きて居られぬ」「この世が嫌で嫌で堪らない」等言い、不安、刺激性益々顕著となる。近時は洗濯と掃除に日を暮し、手洗又は洗濯を初むれば終日まで行うを以って家人監視の目を離すを得ずという。夫の言に依れば現在に於ても性交は正常に行い得るも不感的なりと。食思良、睡眠前述の如く全く障害せられ、便通は秘結的にして3日に1回の程度、尿通正常、酒、煙草を用いず。昭和7年5月19日当科外来を訪う。
     当時身体的に、体構は肥満型なれども現在甚だるいそうせり。(略)今日迄に「ヒステリー」球の如き経験なく、激情に運動性麻痺、震戦などを伴うことなく「ヒステリー」性痙攣なし(略)。
     精神的に、感情は沈鬱、厭世的、時に流涕するに反し、連想テンポは一見速く、考慮進行も一見多岐に亘り、多弁なれども連想範囲は至って狭小にして内容は全々自己の疾病の圏外に出でず、己の疾病の重大を哀訴するのみなり。患者の示す穢染恐怖症は典型的の強迫思考にして、明確なる病識を有し、「馬鹿らしいことは良く分って居るが幾等やめようと思ってもやめられない」「一日中自分が穢れはせぬかとのみ考えている」等言い、恐怖的感情の内にも多分の思考性を有し、かかる病的思考或は恐怖の異物感顕著にして、注意は常に穢染なる一事に固着し、注意を転向せんと努力すれば益々固着強固となる傾向あり。妄覚、妄想なく、叡智界に何等の障害なし。
     躁鬱病混合状態の診断の下に5月24日当科に入院の手続きを了したれど穢染恐怖の為入院し得ず、2,3日の後強制的に某病院に入院せしめ、直ちにスルフォナール持続睡眠療法を施行す。
     比較的少量(1.5~2.0)の主薬を続け25gに及ぶ頃より頓[とみ]に軽快す、薬物を激減せる為少しく悪化の傾向あり、再び1日量2.0gとなし全量24.0gに及び療法を終る。既に6月23日頃は精神的には殆んど全治の域に達す。睡眠剤の大量の投与により歩行困難、食思不振を訴うる外著変なし、すなわち主薬を漸減し、一方庭掃除、水撒等を勧め、注意の転向を計る。その後 日一日と常態に復し、7月22日入院後約2ヶ月にして全快の状態にて退院す。退院前日問診に対し下の如く答う。「大変良くなった様に思います、魚の料理もできます、塩にも触れることができます、髪も洗えます、前は手を百回位洗って居たが此頃は便所に行った時に2回洗うだけです、着物も自由に着ることができます、帰ったならば箪笥扱いも自由にできると思う、鏡台と米櫃が気に懸かるが無理にでも触れさせられるでしょう。気分が非常に落ち着きました、前はこの世が厭で厭で仕方がなかった、生きて居ても仕方がない、死にたい死にたいと思っていたが此頃は愉快になった、前に隣の人にも構わず我儘を言っていたのが恥しい云々」。
     他覚的に精神、身体に異常を認めず、唯ややるいそうし、諸反射少しく亢進せるのみ。

     本患者を見てまず考うべきは、一、真性強迫神経症なり。真性強迫神経症とは躁鬱病、乖離症その他の素質を有せず、唯一の精神変質的基地の上に生ずる疾患にして多くは青年期或はそれ以前に発生し、慢性的にしてその徴候に弛緩あれど初老期に至って多くは軽快に向かうものなり(Bleuler)、而して余等の患者は「チクロチーム」、偏執性にして躁鬱病性素質を有し、体構も肥満型なり、強迫思考的傾向は若年時より存在せし如くなるが、日常生活に差支えを生ずるが如きことなく、その程度は母の潔癖を模倣する程度にして生理的範囲にあり、若年期より病的強迫神経症の状態にありしとは考え得ず、即ち発病年齢は41歳の頃にして通常強迫神経症の治癒期に相等す、これ等の点より本症[強迫神経症]を除外し得べし。次に、二、神経質との鑑別なるが、本患者は変質的性格の一面内気、神経性、取越苦労、不全感等の特徴を有し、その性格中に神経質的傾向を有すること明らかなり、而して患者の示す強迫考慮は全く神経質のそれと一致す、然れども前項強迫神経症の鑑別に考慮せる諸点及び神経質は女性に比較的少なきこと、及び主として精神療法に依らず治癒せる点等より鑑別するを得ん。三、「ヒステリー」症との鑑別は、先ず性格は寧ろ神経質にして「ヒステリー」的ならず、身体的にも「ヒステリー」性格痕を毫も証明し得ざることの二点による、四、乖離症は之を考慮に入るる要なからん。
     要するに本疾患は躁鬱病圏内にありと考えざるを得ず、而して多弁、外見的連想テンポの迅速などの躁状態的色彩あれど、その基礎徴候は沈鬱にして、厭世的心気的傾向顕著、不眠、不安、刺激性、性的快感の減退などを示すものにして、初老期鬱憂症の極端なる一型となすべきなり。
     本例は極端なる症例なれども軽度の強迫神経症的傾向、神経質性徴候等を伴う例は甚だ多く、一見神経質との鑑別困難なるも、原発性の沈鬱、病前性格、及び相当期間の観察などにより鑑別の困難ならざるを信ず。
     要するに強迫性徴候を伴う初老期鬱憂症は鬱憂症の一症候として後天的考慮習慣による強迫性徴候を発せしものにして、之を以て本症をHoffmanの所謂中間精神病と見做す能わず。 (下線は引用者が付した)

     下線の「偏執」は、例によって、後に下田らが「執着」と呼び換えた概念です。

     患者の台詞で、「鏡台と米櫃が気に懸かるが無理にでも触れさせられるでしょう」が気になりました。強制されるという意味だとすると、当時の主婦の過酷な立場がうかがわれます。

     さて、衣類を次々に舐めてみるというのは、塩分を毒だとは思っていないからできる行動でしょうから、この患者が塩分の何を恐れているのか、まったく不可解です。そもそも塩は浄めに使われるものでもありますし。
     結婚式の帰りに悪化したという事実も考慮に入れて、私としては、塩分は患者にとって何か性関係とか婚姻につながる意味を象徴するものとなっていたのではないかと思います(「塩[えん]」は「縁」のことかもしれません)。

     この症例を強迫神経症ではなく躁うつ混合状態と診断して治療を開始した理由が挙げられていますけれど、私は、診断の際に病前性格とか発症年齢といった疫学的事実を考慮に入れるやり方には賛成しません。どんな疾患でも、好発年齢と比べて非常に若齢あるいは高齢で発症する人が、ごくごく稀には存在するはずですし、性格だって同じことでしょう。そもそも、ある疾患の症状と、発症年齢や病前性格との組み合わせは、時代や文化によって変わる可能性はありえるわけですし、医学の進歩とともに見直されていく可能性もあるはずですから、症状以外の基準を診断に持ち込む姿勢は、あまりにも、自らが依って立つ学問水準を信頼しすぎている気もするのです。

     この症例の気分症状は躁うつ混合状態だとされ典型的ではありませんし、やっぱり気分障害であるという根拠は弱い気がします。私の経験では、神経症症状が目立つ気分障害患者にせよ、躁うつ混合状態の患者にせよ、入院とともにいったんは純粋なうつ状態を経過した後に回復することが多いと思いますが、それにもこの症例は一致しません。

     なお、強迫症状が目立つ症例はテレンバッハの『メランコリー』にもあり、すでにここでも検討しましたhttp://freudien.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-a171.html。ただしそれは、家の中の整理癖という、家事に対する勤勉さ・几帳面さの延長上にある内容の強迫性です。

    メランコリー [改訂増補版]

    H. テレンバッハ(著), 木村 敏 (翻訳)

    出版社: みすず書房; 改訂増補版 (1985/12/5)

    2012年11月23日 (金)

    テレンバッハ『メランコリー』(17)

     今回はテレンバッハのメランコリー症例を扱う番です。

    〈症例17〉1959年に初めて入院した54歳のマルガリーテ・Tは、もともと勤勉で几帳面な女性で、これまで一度も重い病気をしたことがなかった。数ヶ月前から、急激な血圧の動揺(最高170から220)があった。1959年2月のある夜、突然強い胸部圧迫感、顔の左半分のしびれ、東部の熱感などがからだを襲った。彼女はとっさに《卒中》を考えた。そのときから、心配で眠れなくなり、食欲がなくなり、だんだん楽しくない気持になって、仕事への意欲もなくなってきた。これらの身体症状はすぐ消えてしまったのに、彼女は《頭に腫瘍》があるのだと思い込んで、何人もの医者を訪れた。その間のある日、彼女は待合室で泣き叫んでいる子供を見た。その子の母親がいうには、その子はもう6週間も眠れないということだった。自分が眠れない夜には、その子のことが彼女の頭から離れなくなった。そして、《あの子はもう安眠できるようになっただろうか》ということばかりを考えるのだった。そのようなときにはまた、戦死した息子の思い出も心をはげしくしめつけ、息子はどんなにいろいろとひどいめにあったことだろうと考えるのだった。次第に著明なメランコリー症状が出揃ってきた。4週間の入院で、患者は良好な寛解に達して退院できた。家に戻った彼女は、非常に張り切って、いろいろなことをするのが楽しくてしようがなかった。そして、《新しい人生をもう一度開始しよう》という感じを抱いていた。
     退院後7日目に、隣家の78歳のお婆さんが卒中で倒れ、彼女はお婆さんをベッドに運ぶのを手伝った。お婆さんは彼女に、コニャックを持ってきてほしい、と頼んだきり口がきけなくなってしまった。この隣家の出来事で患者は強いショックを受けて、その晩は多量の睡眠薬をのんでも眠れなかった。以前のいろいろな不安がたちまち現われてきた。6日後の外来診察時には、彼女は再びメランコリーの状態に陥っており、前と同じような状態で再入院しなくてはならなかった。(下線は引用者が付した)

     例によって、翻訳上の問題から指摘しましょう。引用文中の、下線を付しておいた数箇所です。

     「非常に張り切って、いろいろなことをするのが楽しくてしようがなかったvoller Taetigkeitsdrang und Unternehmungslust sein」の箇所ですが、辞書で「Taetigkeitsdrang」は「活動〈行動〉欲」、「Unternehmungslust」は「進取の精神〈気性〉、冒険心」ですので、かなり浮かれて新たにいろいろなことに手を出す状態を表現しているような気がします(私の語感では、みすず版の訳では、家事など元通りの活動をいろいろするのが楽しいという程度に読めます)。なお、「Drang」「Lust」の精神医学上の定訳を用いて訳すなら「活動衝迫と行動欲に満ちていた」となります。

     「《新しい人生をもう一度開始しよう》」は、三人称の要求話法でしょうか、願望や命令をあらわす形になっていまして、「《新しい人生よ、もう一度始まれ》」です。これもドイツ語でどういうニュアンスか、またそれを日本語にどう移すか私には難しいところですが、いずれにせよこれにも患者がかなり浮かれている印象をもちます。

     これらの点もかんがみて、患者はかなり軽躁的な状態に至っていたと言えると思います。現代ではやはり双極性の因子の混入を疑われるかもしれません。

     薬もなかった時代に、治療開始後4週間で治ったり、またすぐメランコリー化したりといったスピードにも双極性を感じます。ただしこの再発については、治ったばかりのうつ病の人が、普段より活動性が高くなっている期間は、まだ本当には治ってないので容易に再発した、と考えたほうが良いのだろうとも思います。

     さて、この症例は、メランコリー型の患者の持ち前の几帳面さが、自己の健康への配慮として現われているばかりか、「他人の苦痛が自分の苦痛となり、ときとしては他人の病気のために自分まで本当に病気になってしまうというような共感的な傾向」の例として挙げられたものですが、こういう共感性も、やはり双極性障害の患者の病前性格に近いものと思います。性格としては笠原のメランコリー親和型性格にも合致するかもしれませんが、いったん悩み出すと何日も悩みつづけて増強していくあたり、下田の執着性格の記載の方が、よりこの患者を考察する上で役立ちそうです。

    メランコリー [改訂増補版]

    H. テレンバッハ(著), 木村 敏 (翻訳)

    出版社: みすず書房; 改訂増補版 (1985/12/5)

    2012年11月19日 (月)

    下田、中ら『初老期鬱憂症の研究』6

     躁うつ病の病前性格として執着性格を提唱したことで名高い下田光三の門下、中脩三らの戦前の研究論文の症例を順に紹介しています。

     ちなみに、戦後に軽症うつ病を研究し、病前性格としてメランコリー親和型性格を紹介して啓蒙に努めた笠原嘉の自伝的な近著『精神科と私』によれば、笠原が京都大学の精神科で若手精神科医だったころ、当時京都大学系列の教授が居た大阪市立大学の精神科教室へ出向・赴任していたときに、大阪市立大学の次期精神科教授に中脩三が九州大学から来ることが決まり、当時は教授の学閥が変わると教室員の総入れ替えが普通であったので、やむなく笠原は大阪市立大学を離れて京都大学精神科へ戻ることになったという経緯があったようです。笠原は中に対して当時ちょっと反感を持ったと書いています。しかも、中はのちの笠原の研究分野と近い研究をしていたにも関わらず、笠原はこの本では中の業績について全く触れませんし(他の登場人物についてはほぼ必ず触れています)、なんとなく中について書かれた文体もちょっと嫌味に感じられ、私には笠原の反感は今も続いているように思えるのですが、これは私の気のせいかもしれません。
     大阪市立大学からはじき出された笠原は、京都大学に帰って、先輩医師・平澤一の軽症うつ病研究(下田の執着性格を再評価した)に影響を受けて自らも軽症うつ病の研究に着手するわけですから、面白い因縁だと思います。
     それに笠原は、京都大学に戻ったことで、着任間もなかった村上仁教授と出会い、生涯最大の師として大きな影響・学恩を受けることになるわけで、人生とは面白いものです。

    初老期鬱憂症 

     軽鬱状態型 単純なる軽鬱状態

    症例6 榎○廣 男、満42歳、昭和7年6月10日入院、同8月1日退院。

    主訴 頑強なる不眠。 既往歴 35歳の時「パラチフス」に罹る、性病を否定す。性格、遠慮深く、心配性、真面目一方、交際広く、円満、徹底的、熱中性、責任感強し、憤怒性なく、規帳面なり。37歳の頃金銭上の取扱いに心痛してより神経衰弱となり悲観的となり約3ヶ月にて治癒せることありと言う。

     現病歴 昨年(昭和6年)6月頃地主の為めに会計の世話をなせしことが却って不利の結果を生ずるに至り、非常に責任を感じ、遂に他の仕事をなすにも一々不安を感じ、仕事に手がつかず徒に心痛する様になり、8月末頃より不眠となり、主治医の意見により温泉地にて保養せしも何等の効果なく、主観的には一睡もせずと言うに至る。10月頃熊本医大を訪れ、睡眠剤を服用せしが効果なく、全身倦怠、疲労感の亢進、決断力消失、頭重、覚醒時右手に脱力感のあることあり。陰萎は昨年9月より引続けり。食指不良、秘結に傾き、酒、煙草不用。  

     現在症 身体的に典型的の肥満型、四肢の反射少しく亢進せる外(ほか)著変なく、血圧最高125、最低75ミリ水銀柱なり。精神的に強迫思考的に事務上のことを考え、気力なく、やや苦悶的、意志的にやや行動遅滞する外(ほか)著変なく一見正常なり。 

     本例は一見神経衰弱の如くなれども温泉保養、通常の睡眠剤等何等の効果なく発病後既に一ヶ年を経てなお治癒せざるものにして、単純神経衰弱にあらざること明らかなり、その性格は「チクロチーム」偏執性にして典型的の肥満型体構を有し、不眠、陰萎、異常感、考慮渋滞、心痛、労務不能などの徴候を有するを以って鬱憂症と診断し得べきなり。患者自身悲観せしことなしと称するも常に心気的にして、意志の抑制あり、煩悶の際は胸に迫る思いあり等言い、強迫思考的に事業上のことを繰り返し考えうる等感情の沈鬱を推定しうべし。
     本例は、投薬期間9日、スルフォナール全量17.5、アダリン9.0にして治癒、嬉々として退院せり。

     悲哀や寂寥に類した気分があるわけではないようですから、抑うつ気分があるとは言えないかもしれません。しかしそれ以外の症状が結構そろっていますし、この考察のとおり、鬱憂症との診断でよさそうです。ただこの症例の場合は、発症直後に受診してきたら、会計の失敗に対する一過性の反応ではないかとも考えられたかもしれず、鑑別は難しかったであろうと思います。

    精神科と私ー二十世紀から二十一世紀の六十年を医師として生きて (精神医学の知と技) 

    中山書店(単行本 -2012/5/29)

    笠原嘉

    2012年11月 6日 (火)

    テレンバッハ『メランコリー』(16)

     今回はテレンバッハの症例を扱いましょう。

    〈症例16〉64歳の女性患者カロリーネ・Th・Vは、1958年2月7日、同年10月24日、1959年9月21日の3回、つまり1年3カ月(訳注・原文のまま)の間に3回も入院した。彼女はすでに数年前から軽度の《抑鬱的疲労状態》にかかっていて、そのために1953年と1955年に精神病院に入院したことがある。当科においては3回ともほぼ同様の症状がみられた。すなわち、《焦燥的抑鬱、重篤な抑止、困惑、心気的虚無的念慮、貧困念慮、自責、著明な日内変動》などである。

     この患者の病前性格についてはよくわかりません。患者が語った言葉として、「義務の履行、好ましい職業への献身、内心の誠実さ、気高い心などの点でこの理想にかなう人になろうというのが、私の目標だった」と引用されているのですが、患者自身の性格も本当にそうだったかは記載されていないのです。

     さて、少し飛ばしますが、患者が記した記事の抜き書きを取り上げます。

     《私は子供のころ、よく病気をした。そのために私の心には劣等感が生まれた。しかし、精神的にはほかの子に引けを取らないという気持がそれを埋め合わせていて、それが私の心的安定にはとてもよかった。子供時代の無邪気さは、1903年に突然終わりを告げた。その年に始めて母が重い失神発作襲われた。母はその後数年にわたって、頻回にこの発作をおこした。それを目撃した私の心の中には恐るべき不安感が生じ、この不安感は母が若くして亡くなるまで、私の心に影を落としていた(彼女は47歳で、心筋梗塞で死亡した)。父は、病身の妻をかかえて非常に苦労していた。そして私は、このわけのわからぬもやもやした気分を晴らすことができないことと、自分がそれに対して全く無力であるのを感じたこととで、二重に苦しんだ。私は元来、かなり生真面目な子供だった。そこへ、生きることのつらさが、石のように私のにのしかかった》。(下線は引用者が付した)

     これは患者自身の表現なので、訳文では見失われてしまう原語表現の特徴を少し指摘しておきましょう。
     「目撃した」には「miterleben」が用いられています。つまり患者は、母の発作を単に目撃したということではなくて、「共に体験した」と表現しています。
     下線を付した、「病身の」「苦労していた」「苦しんだ」はいずれも「leiden」ですから、患者は、父も母も自分も同じ語で「苦しんだ」と表現しているわけです。その前の「襲われた」も「erleiden」ですのでやはり関連があります。
     最後の文の「心」は「Herz」という語で表現されています。「心筋梗塞Herzinfarkt」を起こした母との同一化がここにも読み取れるでしょう(ただし、上に引用した訳文内で、これ以外の「心」の語には原文で別の語が用いられています)。加えて母の「失神発作Ohnmacht」と自分の「無力Machtlosigkeit」にも対応を読み取ってよさそうにも思います。

     さて、テレンバッハによる紹介は以下のように続きます。

     風邪を引くと、彼女は決まって床について、14日間は《なにもできなくなった》。そして次のような気持ちを抱いた。《ほら、お前はまた失敗した。お前が百パーセントちゃんとやっていく力のないことを、皆に証明してしまった。だめだねえ》。(以下略)

     ここでは患者は自分に対して「お前Du」で語りかけています。自責や自嘲がこのように二人称で患者の脳裏に浮かぶ場合には、フロイトが『喪とメランコリー』で論じたように、自責は患者自身に該当するのではなく、患者の身近な人物に該当しているというふうに考えやすいと思います。この例での自責・自嘲は当然、病弱だった母親に向けられたものでしょう。フロイトは、こういう場合には、患者と、本来責められるべき人物との間に、愛憎入り混じった両価的関係があるとしています。

     フロイトはメランコリーに関して、対象との同一化も指摘していますが、それはこの症例で以下の箇所にも読み取れます。なお、この患者の職業は、症例紹介よりも後ろのページまで読むと、学校の教師であったことが明かされていますけれども、それを知らないと、以下の部分は理解困難です。

     すでに子供のころから、病気は恐ろしいことであった -《お母さんが心配するから、学校に行くのが好きだから》。後にはそれに循環器の障害も加わって、それは感染症が治ったのちも、いつも2週間は後に残った。それに引き続いて -もう何年も前のことだが- 最初の気分異常が現れた。のちには、感染症が治って元気になって2日もすると、かかりつけの医者に《もう学校へ行っていいでしょう。学校へ行かないと行きにくくなってしまいますもの》とせがむのだった。医者がだめだというと、彼女はメランコリーの状態に陥るのだったし、医者が学校に行くのを許すとメランコリーにはならないで済むのだった。この話をカロリーネは、次のような言葉で結んだ -《実際私の人生は、次に来る病気を待ちかまえているということでなりたっているのです》。

     ここで、「(お母さんが)心配するから」の箇所には「不安がるaengstlich sein」が用いられていますが、この語はここまでむしろ患者自身が、母親の発作と自身の健康に対して抱いていた感情として何度も登場していて、ここでは患者が自らの不安を母親に投影しているということになるでしょう。

     ここまでですでに、患者が母に抱いていた両価性と同一化は明らかだと思いますが、この後の段落には、より直接にそれが語られていますし、テレンバッハ自身も、アブラハムとフロイトの名を挙げ『両価性の葛藤』を論じています。

     精神病理学者はよく、「“患者が自責を語りながら他人を責めている”というフロイトが言うような例を見たことがない」とか、「そんな説は信じられない」と言います。しかし、彼らが典拠とすることの多いテレンバッハの主著の中にこのような症例が存在し、テレンバッハ自身がフロイトの論に準拠しているというのはなかなか興味深いことと思います。

    メランコリー [改訂増補版]

    H. テレンバッハ(著), 木村 敏 (翻訳)

    出版社: みすず書房; 改訂増補版 (1985/12/5)

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