心と体

2008年5月13日 (火)

病識欠如について

 これは先月本当にあった話です。

 回診のとき、一人の統合失調症患者が、統合失調症についての解説書を病室内に持ち込んでおり、それを示しながらほぼ次のように話してくれました。「自分は自分の病気についてよくわかるようになった。この本に書いてあることはみんな自分に思い当たることばかりだ。なかでも、病識がもてないというところ、つまり自分で自分は病気だと思えないというところが、一番自分にぴったりと思った」。

 この患者には、病識(自分は病気であるという認識)があると考えても矛盾だし、病識がないと考えても矛盾になります。

 これについて論理学的にどう考えたらよいのだろうかと思っても私は混乱して疲れるばかりなんですが、どうにかすっきり整理できないものでしょうか。

2008年4月29日 (火)

精神鑑定

 有名事件の精神鑑定に絡んだ判決のニュースがありました。このところ関連したニュースも続いています。

 それぞれの被告の犯行時の精神状態の詳細以前の問題として、心神喪失の定義を、鑑定医がしっかり認識していないのではないかと思えてなりません。つまり、責任能力を完全に喪失していてはじめて心神喪失の状態であって、責任能力が著しく減弱している状態は心神耗弱であり、かなりの程度の減弱があっても著しいとまで言えなければ完全責任能力が認められうるということです。この点についての認識が改まるだけでも、最近出されたいくつかの鑑定結果は違ったものになったでしょうし、ずいぶんと一般にもわかりやすい整合的なものになるのではないでしょうか。

 最近のニュースから、精神鑑定など考慮に値しないとか、心神喪失という評価に相当する者など存在しない、といった印象を一般にもたれてしまうと、今後の裁判員制度に向けて非常にまずいと思います。精神病状態では、たとえば幻聴に命令されると逆らうことができず、自らの意志に反して自殺を試みたり我が家に火を放ったり最愛の我が子を殺めたりといった、自らの利益に反した破滅的な行為を行ってしまうことがあります。そうしたレベルの精神状態の中で他人に攻撃が向かってしまうことがありうるということは一般に理解していただきたいところです。

 ところで、そもそも一般論として、ある程度高い地位に就いている精神科医は、主に大学病院(重い精神病患者の入院をお断りしていることが多く、措置入院はまず受け入れない)などでの臨床経験が多いでしょうから、本当に心神喪失に値するほどの重い精神病患者を主治医として継続的に担当した経験などなさそうに思います。ですからそうした医師が鑑定医を担当してしまうと、たとえ十分な机上の知識を持って真摯に鑑定に取り組んでいたとしても、中等度の精神病状態に対しても簡単に心神喪失と判断してしまうことになってしまいそうに思います。

2008年3月 4日 (火)

医療観察法の共通評価項目

 このブログが滞りがちなのが気になってはいるのですが、このところ普段の仕事に加えて医療観察法関係の仕事が舞い込んできて私に心理的・時間的余裕がなくなっているのが滞る主な理由です。

 医療観察法とは、簡単に言えば、重大事件を起こした精神障害者に強制治療を行うための制度を定めた法律ですが、そこでは、裁判官など精神医学の非専門家にもわかりやすい尺度として、「共通評価項目」なる項目を設定してあり、これに従って鑑定時から入院、通院の期間中まで定期的に点数をつけていくことになっています。今回、そのいちばんはじめの項目が非常に奇妙に感じられるようになり、気になって仕方がありません。

「精神病症状 1) 通常でない思考内容:普通でない、怪奇な、あるいは奇妙な考えを表明する。重要でないことに強度にこだわる。明らかに異質なものを、同質とみなす。これはおろかさや悪ふざけによるものを含まない。(BPRS15.思考内容の異常に準ずる:通常では見られない、奇妙、奇怪な思考内容、すなわち思考狭窄、風変わりな確信や理論、妄想性の曲解、すべての妄想。この項では内容の非通常性についてのみ評価し、思考過程の解体の程度は評価しない。本面接中の非指示的部分および指示的部分で得られた通常では見られないような思考内容は、たとえ他の項(例、心気的訴え、罪責感、誇大性、疑惑等)ですでに評価されていてもここで再び評価する。またここでは病的嫉妬、妊娠妄想、性的妄想、空想的妄想、破局妄想、影響妄想、思考吹入等の内容も評価する。特定の対象への被害感、暴力的空想は特に他害行為に関連の強いものとして重要視される。1=ごく軽度。思考狭窄もしくは通常では見られない信念。稀な強迫観念。2=患者にとって相当に重大な意味を持つ奇怪な理論や確信。)」

 ここでいう『通常でない思考内容』とは、ひとまずは直後の4つの文で示されるものを指している(括弧内はそれらに対する付加的な説明)と思われます。それらのうち、妄想について述べられているのは、はじめの一文のみと思われます。すなわち、この項では、『普通でない、怪奇な、あるいは奇妙な考え』に該当する妄想のみを評価しなければいけないように読めます。(二つ目の文は主に強迫を指すでしょう。三つ目の文が言わんとしていることは難しいですが、「人形を子供だと言って抱いている」「がらくたを宝物として飾る」「1000円と書いたメモ用紙を、小遣いと言って周囲に配る」みたいな症状のことでしょうか。いずれにせよ、妄想について記載されているのはやはり主に第一文でしょう)

 一方で、ふつう妄想と呼ばれるものには、かなり奇異で不可能な内容のもの(例えば「自分の思考は神に伝わったのち天体の運行に影響を与えている」のようなもの)から、「隣近所で自分のことが噂されている」「自分は特定の人々から嫌われている、笑われている」「(存命中の知人について)誰々は死んでいる」といった、場合によってはその通りの事態も起こりうるような内容のものまで、さまざまなものがあります。後者のような思考内容の場合、正常者でも一瞬そのような疑念を持ち表明することもあり得ますから、内容的にはむしろ普通であるともいえ、これらが妄想であると言えるのは、事実と合致しないことや、その信念の持続や強さによってでしかありません。

 共通評価項目の説明には、『普通でない思考内容』、『この項では内容の非通常性についてのみ評価し、思考過程の解体の程度は評価しない』といった表現が含まれ、これらに従うなら、奇異な内容の妄想のみを評価せよ、と私には読めます(すなわち統合失調症の妄想のみを評価し、パラノイアの妄想は評価しないことになります。ちなみにパラノイア的な妄想には別項も用意されています)。点数についての説明でも、『1=ごく軽度。思考狭窄もしくは通常では見られない信念。稀な強迫観念。2=患者にとって相当に重大な意味を持つ奇怪な理論や確信』と、やはり奇異な妄想のみに注目して採点するよう指示しています。

 ところが括弧の中に『すべての妄想』という表現も含まれているので、私としてはどうしても困惑せざるをえないのです。さらに、その後ろには、『またここでは病的嫉妬、妊娠妄想、性的妄想、空想的妄想、破局妄想、影響妄想、思考吹入等の内容も評価する』と付け足されていますが、これらのうちいくつかは『すべての妄想』に含まれるもののように思われ、どうしてわざわざ付言されたのか、やはりよく分からないのです。

 上に引用した箇所から私は、フーコーの『言葉と物』に紹介されていた、『中国の事典』による動物の分類を思い出しました。「A.皇帝に属するもの B.芳香を放つもの C.飼い馴らされたもの D.乳呑み豚 E.人魚 F.お話にでてくるもの G.放し飼いの犬 H.この分類自体に含まれるもの I.気違いのように騒ぐもの J.数え切れぬもの K.らくだの毛の極細の筆で描かれたもの L.その他 M.今しがた壺を壊したもの N.遠くから蠅のように見えるもの」だそうです。

 いずれにせよ、共通評価項目の採点の際には、『思考内容の非通常性』に着目する採点者と、『すべての妄想』に着目する採点者とでは、おのずと点数が異なってきます。精神障害者・被害者の人生を左右する審判に用いられる評価項目が、これほどの内的矛盾を抱えたものであってはいけないと思えてなりません。

2007年11月24日 (土)

「心神」を含むニュース

 私はときどき、yahoo!のニュース検索で「心神」を含むニュースをまとめ読みします。

 主に「弁護側は心神喪失(または耗弱)の状態にあったと主張している」といった部分を含む記事が検索されますが、なかには、金品目的であったり性犯罪であったり、計画性があって犯行後もいったんは上手く逃げていたりといった、責任能力に問題なさそうな事件もかなり含まれています。当然のことながら、実際に判決でそのような主張が認められ減軽されることはまずありません。

 特に有名事件の場合には、裁判の各段階で何度も記事が出るうえ、判決の後も、控訴するかどうかといった記事が何度も出ます。しかし、歴史的な事件を起こすにはかなりの計画的実行力が必要であることからして当然ですが、有名事件に限って言えば、無罪や執行猶予になるケースはかなり少ないはずです。

 もうひとつ、(精神障害ではない)少年の事件の報道でも、弁護側が酌量を求める論理が、当時少年は正常な精神状態になかったと言わんばかりのことがあるので、一般の人には精神障害者の刑の減軽の問題と混同されて、精神障害者(および裁判中のみそれと主張する人々)の弁護がそのような身勝手な論理で行われることが普通にあると思われてしまうことがありそうな気がします。

 一般の方が上のような報道を折に触れて読んでいると、精神障害者でない者やごく軽症の者までが不当に刑を減じられているかのような印象を持ってしまうのではないでしょうか。刑法39条についての出版物の中に、池田小学校事件や幼児連続誘拐殺人事件、神戸の少年らについて言及されているのをみると、記事を書く側の人々にも同様の誤解が蔓延していそうです。

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