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<title>不思議のメモ帳</title>
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<item rdf:about="http://freudien.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_1f4b.html">
<title>フロイト全集9から『精神分析について』</title>
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<description>　この論文というか講演録は、非専門家向けに書かれたものという体裁をとっています。...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　この論文というか講演録は、非専門家向けに書かれたものという体裁をとっています。しかし私には、５節はかなり駆け足でわかりにくいものに感じられます。この印象は今回の新訳（非常に良い訳と思いました）でも変わりません。これはどうも、フロイトが、「欲望Wunsch」という語を、「欲望に結びついたエネルギー」を指すために用いている（ように読めます）ことが一因かもしれません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　訳については、以下の一箇所だけを取り上げましょう。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;しかし、私たちの機械では、消費された熱エネルギーの一定割合以上が機械のための有益な作業に使用されているのであって、その点を忘れがちになればなるほど、私たちは、性欲動をそのエネルギー量のすべてにわたって本来の目的から逸らせようと努めることも控えるべきでしょう。（岩波版１６８頁）&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;　この文で、「使用する」と訳されているのは「verwandeln」ですが、これは「変化させる」「変身させる」といった意味の語でして（カフカの小説のタイトル『変身』はこれの名詞形です）、おそらく岩波の全集は、「verwenden」と見誤ったものと思われます。しかしこの箇所のわかりにくさは、この語の訳しかたよりもむしろ、ここでフロイトが持ち出したエネルギー一般についての比喩をどう理解するかにかかっているように思います。私としては、次のように解釈しました。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;私たちはしかし、私たちの様々な機械で、消費される熱エネルギーの一定割合以上を有益な機械的作業に変えようなどとは見込まなくなっているのですから、それにあわせて、性欲動をそのエネルギー量のすべてにわたって本来の目的から逸らせようと努めることも控えてしかるべきでしょう。（拙訳）&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://www.amazon.co.jp/ãã­ã¤ãå¨é-9-1906-09å¹´-ãã­ã¤ã/dp/4000926691/ref=pd_sbs_b_title_1&quot;&gt;&lt;strong&gt;フロイト全集 9 1906-09年 (9)&lt;/strong&gt;&lt;/a&gt; &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;フロイト(著),　新宮一成(編さん) &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;出版社:&lt;/strong&gt; 岩波書店 (2007/11)　&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>書籍・雑誌</dc:subject>

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<item rdf:about="http://freudien.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_f70e.html">
<title>フロイト全集9より『Ｗ．イェンゼン著「グラディーヴァ」における妄想と夢』４</title>
<link>http://freudien.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_f70e.html</link>
<description>　次は岩波版７８頁から８０頁にかけての長大な段落を取り上げます。私には一読して意...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　次は岩波版７８頁から８０頁にかけての長大な段落を取り上げます。私には一読して意味がとりづらく感じられたからです。それはもちろん、主人公の妄想の荒唐無稽さの原因を、作者に帰すべきかそれとも主人公の精神状態に帰すべきか、という論旨そのものがなかなか難しいからでもあります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　気になるところをひとつずつつぶしていきましょう。まず&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;・・・彼女が現代の履物を履いているのに気付いても。彼女がギリシア語やラテン語を知らず、当時存在しなかったドイツ語を自由にあやつっても、ぐらつくことのないこの幻想は、「ポンペイの空想小説」という詩人による命名をなるほど正当化はしても、臨床医学の実際に即して判断することなどとうてい許しはしないだろう。（岩波版７８頁）&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p dir=&quot;ltr&quot; style=&quot;MARGIN-RIGHT: 0px&quot;&gt;　私が思うに、最後の「判断する」と「許しはしない」というふたつの動詞の主語と目的語がはっきりしないところがわかりにくさの原因ではないでしょうか。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p dir=&quot;ltr&quot; style=&quot;MARGIN-RIGHT: 0px&quot;&gt;･･･彼女が現代の履物を履いているのに気付いても。彼女がギリシア語やラテン語を知らず、当時存在しなかったドイツ語を自由にあやつっても、ぐらつくことのないこの幻想は、「ポンペイの空想小説」という詩人による命名をなるほど正当化はしても、臨床医学の実際との比較検討にはとうてい耐えられるものではないだろうと思われる。（私案）&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p dir=&quot;ltr&quot; style=&quot;MARGIN-RIGHT: 0px&quot;&gt;　次ですが、本当に細かいところで恐縮です。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p dir=&quot;ltr&quot; style=&quot;MARGIN-RIGHT: 0px&quot;&gt;もちろん責任の一端は詩人が我が身に引き受けており、ツォーエがすべての特徴において石造レリーフそっくりだとの物語の前提の&lt;u&gt;中にも&lt;/u&gt;、この責任はつきまとっている。したがって、この前提のありえなさを、ハーノルトがその娘をよみがえったグラディーヴァと思うという、その必然的帰結へと遷移することは用心して避けなければならない。（岩波版７８頁）&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p dir=&quot;ltr&quot; style=&quot;MARGIN-RIGHT: 0px&quot;&gt;　下線を引いた箇所の「も」を省きたいのです。もちろん原文にないからでもありますが、ここに「も」があると、詩人の責任は多数の箇所に散りばめられているように感じられてしまい、そうすると直後の文の内容につながらないからです。&lt;/p&gt;

&lt;p dir=&quot;ltr&quot; style=&quot;MARGIN-RIGHT: 0px&quot;&gt;　次です。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p dir=&quot;ltr&quot; style=&quot;MARGIN-RIGHT: 0px&quot;&gt;　しかし、説明し&lt;u&gt;言い訳する&lt;/u&gt;すべての契機の中であいかわらず重要なのは、&lt;u&gt;ついうっかり&lt;/u&gt;ということで、われわれの思考能力は、激しく情動強調された蠢きが満足を見出すなら、&lt;u&gt;うっかり&lt;/u&gt;不条理な内容を受け入れることを決定するのである。このような心理的状況の下では、知能に優れた人でさえ、どれほど&lt;u&gt;やすやすと&lt;/u&gt;、またどれほど頻繁に、部分的にせよ精神薄弱の反応を示すかは驚くべきことであるが、たいていの場合、まともに評価されることが少なすぎる。（岩波版７８－７９頁）&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p dir=&quot;ltr&quot; style=&quot;MARGIN-RIGHT: 0px&quot;&gt;　最初の部分からして意味がとりづらいので、多少語句を補って、「しかし、［主人公の妄想の荒唐無稽さを］説明し弁護するすべての契機の中であいかわらず重要なのは」としておきます。「言い訳する」という訳語はここにぴったりこない気がします。&lt;/p&gt;

&lt;p dir=&quot;ltr&quot; style=&quot;MARGIN-RIGHT: 0px&quot;&gt;　さらに、「ついうっかりということ」「うっかり」「やすやすと」はすべて同じ語です（名詞形であったりはしますが）。&lt;/p&gt;

&lt;p dir=&quot;ltr&quot; style=&quot;MARGIN-RIGHT: 0px&quot;&gt;　また、引用した箇所の最後、「まともに評価されることが少なすぎる」の主語もわかりづらいので、以下のように提案しておきます。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p dir=&quot;ltr&quot; style=&quot;MARGIN-RIGHT: 0px&quot;&gt;　しかし、&lt;u&gt;［主人公の妄想の荒唐無稽さを］説明し弁護する&lt;/u&gt;すべての契機の中であいかわらず重要なのは、&lt;u&gt;容易さということで、［主人公を含む］われわれ［人間一般］&lt;/u&gt;の思考能力は、激しく情動強調された蠢きが満足を見出すなら、&lt;u&gt;容易に&lt;/u&gt;不条理な内容を受け入れることを&lt;u&gt;決心&lt;/u&gt;するのである。このような心理的状況の下では、知能に優れた人でさえ、どれほど&lt;u&gt;容易に&lt;/u&gt;、またどれほど頻繁に、部分的にせよ精神薄弱の反応を示すかは驚くべきことであるが、&lt;u&gt;この事実は&lt;/u&gt;たいていの場合、まともに評価されることが少なすぎる。（私案）&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p dir=&quot;ltr&quot; style=&quot;MARGIN-RIGHT: 0px&quot;&gt;　上に述べた改善箇所に加え、私の好みで「決定」を「決心」にしました。&lt;/p&gt;

&lt;p dir=&quot;ltr&quot; style=&quot;MARGIN-RIGHT: 0px&quot;&gt;　最後に次の箇所。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p dir=&quot;ltr&quot; style=&quot;MARGIN-RIGHT: 0px&quot;&gt;　わたしも、自分で経験した驚くべき誤謬の事例や、事後的に（しかもきわめて非理性的やり方で）動機付ける無思慮な行動の事例をメモに取り始めております。（岩波版７９頁）&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p dir=&quot;ltr&quot; style=&quot;MARGIN-RIGHT: 0px&quot;&gt;　ここも意味がとりづらい。というか、過去の行動を「事後的に動機付ける」なんてことがありえたらオカルトです。「事後的に動機がわかる」「事後的に理由付けできる」といった意味でしょう。&lt;/p&gt;

&lt;p dir=&quot;ltr&quot; style=&quot;MARGIN-RIGHT: 0px&quot;&gt;　段落の最後の文（岩波版８０頁）は、前とのつながりがわかりにくいですが、ほかにどう訳したらよいか私にも良い案が思いつきません。誤訳というわけでもありませんし。私としては、「実行される」を、「実行されている」にするぐらいの改変でも少しはわかりやすくなるような気はしますが。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://www.amazon.co.jp/ãã­ã¤ãå¨é-9-1906-09å¹´-ãã­ã¤ã/dp/4000926691/ref=pd_sbs_b_title_1&quot;&gt;&lt;strong&gt;フロイト全集 9 1906-09年 (9)&lt;/strong&gt;&lt;/a&gt; &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;フロイト(著),　新宮一成(編さん) &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;出版社:&lt;/strong&gt; 岩波書店 (2007/11)&lt;/p&gt;</content:encoded>



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<dc:date>2008-06-25T01:22:29+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://freudien.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_e700.html">
<title>フロイト全集9より『Ｗ．イェンゼン著「グラディーヴァ」における妄想と夢』３</title>
<link>http://freudien.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_e700.html</link>
<description>　この論文で気になる点を扱う３回目です。　しかし他方では、ハーノルトはみずからの...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　この論文で気になる点を扱う３回目です。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;　しかし他方では、ハーノルトはみずからの性愛に対するこの勝利をよろこんではいない。抑え込まれた心の蠢きはまだ十分強力で、不快感を示したり、&lt;u&gt;それを&lt;/u&gt;制止することで、抑え込もうという動きに仕返しをしている。（岩波版７６頁）&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p dir=&quot;ltr&quot;&gt;　下線部の「それ」は何を指すのでしょうか。訳文を読む限りでは、「抑え込もうという動き」を先取りしているとでも考えるしかなさそうですが、原文を読むと、ここは単に「Hemmung」という名詞があるだけで、「それを」に当たる語はありません。次のように改めてみます。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p dir=&quot;ltr&quot;&gt;　　しかし他方では、ハーノルトはみずからの性愛に対するこの勝利をよろこんではいない。抑え込まれた心の蠢きはまだ十分強力で、不快感や制止症状［をハーノルトにもたらすこと］で、抑え込もうという動きに仕返しをしている。&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p dir=&quot;ltr&quot;&gt;　抑圧の帰結として、不快や制止といった症状が現れた、ということでしょう。上では「制止症状」としてみましたが、「症状」は私なりの補足です。&lt;/p&gt;

&lt;p dir=&quot;ltr&quot;&gt;　なお、「抑え込もうという動き」の「動き」は、「蠢き」と訳されているのと同じ語なので統一性に欠けます。私は「動き」で統一したほうがいいと思うんですけど。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://www.amazon.co.jp/ãã­ã¤ãå¨é-9-1906-09å¹´-ãã­ã¤ã/dp/4000926691/ref=pd_sbs_b_title_1&quot;&gt;&lt;strong&gt;フロイト全集 9 1906-09年 (9)&lt;/strong&gt;&lt;/a&gt; &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;フロイト(著),　新宮一成(編さん) &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;出版社:&lt;/strong&gt; 岩波書店 (2007/11)&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>書籍・雑誌</dc:subject>

<dc:creator>freudien</dc:creator>
<dc:date>2008-06-16T23:21:55+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://freudien.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_56e0.html">
<title>フロイト全集9より『Ｗ．イェンゼン著「グラディーヴァ」における妄想と夢』２</title>
<link>http://freudien.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_56e0.html</link>
<description>　この論文について二回目ですが、訳語について少し触れましょう。表象が抑圧されるの...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　この論文について二回目ですが、訳語について少し触れましょう。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;表象が抑圧されるのは、起こってはならない感情&lt;u&gt;迸出&lt;/u&gt;とその表象が結びついているからという理由の場合のみである。抑圧が関係するのは感情である、と言えばより正確だろう。ただわれわれが感情をとらえることができるのは、まさに感情が表象に&lt;u&gt;拘束されている&lt;/u&gt;場合のみなのであって、それとは違うやり方で感情をとらえることはできないのである。（岩波版５４頁）&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;　「迸出」と訳されているのは「Entbindung」で、その二つ後の文に出てくる「拘束される」の原語「Bindung」と明らかに関連しているんですけれど、訳文からはこの関連が読み取れません。私はかねがね、この「Entbindung」なる語の訳は「脱拘束」とするのが良いだろうと思っています。「感情迸出」は「感情の脱拘束」となります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　なお、上の引用のうち「感情が表象に拘束されている場合のみ」のところは、「感情を表象に拘束することによってのみ」が正しいと思います&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　次です。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;したがってこれが、顕在的夢内容が実現する&lt;u&gt;着想&lt;/u&gt;なのであり、その&lt;u&gt;着想&lt;/u&gt;は、夢見る人が体感する現在であるかのごとくに描かれるのである。&lt;br /&gt;　夢がたったひとつの夢思考の上演であることはほとんどなく、たいていの場合は、一連の思考、思考の織物が演出される。ハーノルトの夢からも、夢内容のさらに別の構成要素を浮かび上がらせることができる。その要素の歪曲は容易に取り除くことができるので、それによって代表されている潜在的夢&lt;u&gt;着想&lt;/u&gt;が何なのかがわかる。（岩波版６６－６７頁）&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;　「着想」というとふつう意識的な思いつきのことを指すと思っていた私は、この部分での「着想」なる語の使い方を見て戸惑いました。原書を見ると、ここで「着想」と訳されているのは「Idee」なので、「観念」か「想念」ぐらいがいいんじゃないでしょうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://www.amazon.co.jp/ãã­ã¤ãå¨é-9-1906-09å¹´-ãã­ã¤ã/dp/4000926691/ref=pd_sbs_b_title_1&quot;&gt;&lt;strong&gt;フロイト全集 9 1906-09年 (9)&lt;/strong&gt;&lt;/a&gt; &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;フロイト(著),　新宮一成(編さん) &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;出版社:&lt;/strong&gt; 岩波書店 (2007/11)&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>書籍・雑誌</dc:subject>

<dc:creator>freudien</dc:creator>
<dc:date>2008-06-10T00:55:28+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://freudien.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_2d09.html">
<title>フロイト全集より『Ｗ．イェンゼン著「グラディーヴァ」における妄想と夢』</title>
<link>http://freudien.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_2d09.html</link>
<description>　今回読みかえしてみて、フロイトが取り上げた小説とフロイトが言いたいこととが、非...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　今回読みかえしてみて、フロイトが取り上げた小説とフロイトが言いたいこととが、非常に緊密に関係し合っていることに改めて驚きました。私はふだん、現代の精神科医が文学作品を論じているのを読んでもほとんどの場合に納得できないのですが、さすがはフロイトです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　翻訳については、まずは次の箇所が気になりました。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;「この若い考古学者の妄想に関して、ツォーエ嬢自身われわれと見解をわかちあっているように思われる。なぜなら、彼女の『情容赦なく、詳細で、ためになるお説教』の終わりに彼女が表現した満悦の気持ちは、彼女がグラディーヴァに対する彼の関心を、そもそもの初めからよろこんで我が身に結びつけようと考えていたからという以外、ほかにはほとんど説明のつけようがないからである。ほかでもない、彼女は、彼に&lt;u&gt;そんな気持&lt;/u&gt;ちなんかあるはずがない、とずっと&lt;u&gt;思っていたのであり&lt;/u&gt;、どんなに妄想の偽装を凝らしていても、&lt;u&gt;やっぱりそうだったんだと彼女にはわかったのである&lt;/u&gt;。さて一方彼に関しては、彼女の側からの心的治療がその良い効果を存分にもたらしていた。今や妄想が&lt;u&gt;現物そのものによって&lt;/u&gt;代替されてしまったので、彼は自由の身になったと感じた。妄想はやはり単に&lt;u&gt;それの&lt;/u&gt;歪曲された不十分な模造でしかあり得なかったのである。彼は今やためらいもせず想い出し、そして彼女がおおもとでは昔とまったく変わっていない善良、快活で、聡明な幼馴染だと躊躇なく認めた。」（岩波版４０－４１頁）&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p dir=&quot;ltr&quot;&gt;　はじめの「そんな気持ち」の箇所は、原文では代名詞です。岩波訳では、少し前の「満悦の気持ち」のことだとも読めてしまいそうですが、意味からしてちょっとありえなさそうです。直前の中性名詞「グラディーヴァへの関心」を指すとも考えられますが、漠然と「そんなもの」としておきます。さらに、次の二つの下線部は時制についての疑問点でして、前者は過去完了、後者は過去です。ですのでこの部分は次のようにしたいです。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p dir=&quot;ltr&quot;&gt;「ほかでもない、彼女は、彼に&lt;u&gt;そんなもの［グラディーヴァへの関心］があるなどとは信じてこなかったのであり、それが、彼女には&lt;/u&gt;、どんなに妄想の偽装を凝らしていても、&lt;u&gt;やはりそれそのものとして認識され&lt;/u&gt;&lt;u&gt;たのである&lt;/u&gt;。」&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p dir=&quot;ltr&quot;&gt;　つづいて「現物そのもの」ですが、これにあたる語は原文にありません。次の文、「妄想はやはり単にそれの歪曲された不十分な模造でしかあり得なかったのである」の「それ」に相当する関係代名詞があるだけです。この関係代名詞構文は非常に訳しにくいので、「その歪曲された不十分な模造が妄想となるような何か」とでも訳すしかありませんが、私としては、構文を少しいじって、不要な語は補わずに、次のように訳したいと思います。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p dir=&quot;ltr&quot;&gt;「今や妄想が、&lt;u&gt;そのもととなるものによって&lt;/u&gt;代替されてしまったので、彼は自由の身になったと感じた。妄想はやはり単に&lt;u&gt;何かの&lt;/u&gt;歪曲された不十分な模造でしかあり得なかったのである。」&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p dir=&quot;ltr&quot;&gt;　周囲の文脈も考慮すると、ここで言われている妄想のもととなるものとは、岩波版にあるような「現物そのもの」よりはむしろ、「幼少期の彼女との想い出」であろうと思われます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://www.amazon.co.jp/ãã­ã¤ãå¨é-9-1906-09å¹´-ãã­ã¤ã/dp/4000926691/ref=pd_sbs_b_title_1&quot;&gt;&lt;strong&gt;フロイト全集 9 1906-09年 (9)&lt;/strong&gt;&lt;/a&gt; &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;フロイト(著),　新宮一成(編さん) &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;出版社:&lt;/strong&gt; 岩波書店 (2007/11)&lt;/p&gt;</content:encoded>


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<dc:creator>freudien</dc:creator>
<dc:date>2008-05-20T01:01:35+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://freudien.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_dd2c.html">
<title>病識欠如について</title>
<link>http://freudien.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_dd2c.html</link>
<description>　これは先月本当にあった話です。 　回診のとき、一人の統合失調症患者が、統合失調...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　これは先月本当にあった話です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　回診のとき、一人の統合失調症患者が、統合失調症についての解説書を病室内に持ち込んでおり、それを示しながらほぼ次のように話してくれました。「自分は自分の病気についてよくわかるようになった。この本に書いてあることはみんな自分に思い当たることばかりだ。なかでも、病識がもてないというところ、つまり自分で自分は病気だと思えないというところが、一番自分にぴったりと思った」。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　この患者には、病識（自分は病気であるという認識）があると考えても矛盾だし、病識がないと考えても矛盾になります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　これについて論理学的にどう考えたらよいのだろうかと思っても私は混乱して疲れるばかりなんですが、どうにかすっきり整理できないものでしょうか。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>心と体</dc:subject>

<dc:creator>freudien</dc:creator>
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<item rdf:about="http://freudien.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_8c64.html">
<title>フロイト全集9から『性格と肛門性愛』２</title>
<link>http://freudien.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_8c64.html</link>
<description>　以前の人文書院版のころから、この論文の長い原注の意味がよくわかりませんでしたが...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　以前の人文書院版のころから、この論文の長い原注の意味がよくわかりませんでしたが、今回ちょっとよくわかった気がします。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;「いやはや、目の前のココアを見ていて、子供のころにいつも考えていたことを思い出しました。あのころ私はいつもこんな想像をしていました。私はココアメーカーのヴァン・ホーテン（彼はこの名前をヴァン・ハウテンと発音していました）でして、この美味しいココアをつくるためのすばらしい秘密を握っているのですが、世界中を幸せにするこの秘密を奪い取ろうと、皆がよってたかって躍起になっているため、私は細心の注意を旗ってこの秘密を守り通している、という想像です。」（岩波版２８３頁）&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;　ここで、『ココア』には訳注が付されていて、「ドイツ語では糞のことをKackeとも言い、そこから幼児語では糞はKakaと発音されることも多く、ココアは糞と言語音声上の連想でつながっている」と説明されています。勘の鈍い私には、これだけの補足説明では原注全体の意味がよくわからなかったので、必然的にこの訳注についてもどのぐらい信頼してよいか迷っていたのですが・・・。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　まず、私の電子辞書のクラウン独和で引いてみたところ、『ココア』にあたる独語『Kakao』の３番目の意味として『（話）糞便』が載っています（大辞典２冊にはいずれも載ってませんでしたが）。これでまず『ココア＝糞便』という等値に納得がいきました。それを踏まえて、次の『ココアメーカー』ですが、原文で『Kakaofabrikant』なので、文字通り読むだけで『ココアメーカー＝糞便製造者』という意味にとれます。私はこれに今回初めて気づくことができたことをきっかけに、原注全体に納得することができました。『私』は、たとえば手作業によってココアをつくるのではなく、自らの体そのものが『糞便製造者』だというイメージが掴めたからでした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://www.amazon.co.jp/ãã­ã¤ãå¨é-9-1906-09å¹´-ãã­ã¤ã/dp/4000926691/ref=pd_sbs_b_title_1&quot;&gt;&lt;strong&gt;フロイト全集 9 1906-09年 (9)&lt;/strong&gt;&lt;/a&gt; &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;フロイト(著),　新宮一成(編さん) &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;出版社:&lt;/strong&gt; 岩波書店 (2007/11)&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　それにしても、世界最高の現役サッカー選手の一人の名前がドイツ語では糞便そのものを表すんですねえ。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>書籍・雑誌</dc:subject>

<dc:creator>freudien</dc:creator>
<dc:date>2008-05-08T00:39:26+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://freudien.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_9bbf.html">
<title>フロイト全集9から『性格と肛門性愛』</title>
<link>http://freudien.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_9bbf.html</link>
<description>　肛門性愛というのは、フロイト理論のなかでも、かなり受け入れ難いテーマのひとつと...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　肛門性愛というのは、フロイト理論のなかでも、かなり受け入れ難いテーマのひとつと言えると思います。そんな馬鹿なことが・・・とつい思ってしまいがちですが、このテーマは我々成人の意識的な思考のなかにそのまま入ってくるものではないということを忘れてはなりません。一方で、去勢恐怖とか、父への敵対心とかは、成人が思い浮かべてみてもある程度感情移入できてしまうのですが、これらについては逆に、意識的に思い浮かべてみるという事態と無意識で生じている事態とを安易に混同しないよう気をつけなければならないのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　翻訳については、気になるところが第一段落にありました。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;　精神分析を駆使しての支援の試みがなされている人たちのなかには、次のようなタイプがかなりの頻度で見受けられる。すなわち、一方ではある特定の性格諸特性を顕著に併せもっていると同時に、幼年期のころにある身体機能ならびにその機能を果たしている諸機関の働き方に注目すべきところのあった人たちである。ここから、この性格とこうした器官の働き方には何らかの&lt;u&gt;切り離せない&lt;/u&gt;関連があるはずだといった印象が私のなかで膨らんできたわけであるが、それが具体的にどのような&lt;u&gt;誘引&lt;/u&gt;によったのかは、今日ではもう定かでなくなっている。ただ、こうした印象が出来あがるのに、理論面での予断といったものがいっさい関与していなかったことは&lt;u&gt;確かである&lt;/u&gt;。（岩波版２７９頁）&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;　はじめの下線部、「切り離せない」は、原書では「organisch」です。この語はフロイトの他の箇所に出てくれば普通「器質的な」と訳されるでしょう。たとえば同じくフロイト全集９巻では３１０頁４行目にあります。ですから翻訳の際、あえて訳者はこの語を避けたのだと思いますけれども、私としては、意味的にもここを「器質的な」と取っておきたい気がします。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　二つ目の下線部、「誘引」は、おそらく変換ミスまたは誤植でして、「誘因」が正しいです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　最後の下線部は、原文ではもう少し弱いニュアンスなので、「確かといえる」ぐらいにしておきたいところですし、意味的にも通りが良くなると思います。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;　精神分析を駆使しての支援の試みがなされている人たちのなかには、次のようなタイプがかなりの頻度で見受けられる。すなわち、一方ではある特定の性格諸特性を顕著に併せもっていると同時に、幼年期のころにある身体機能ならびにその機能を果たしている諸機関の働き方に注目すべきところのあった人たちである。ここから、この性格とこうした器官の働き方には何らかの&lt;u&gt;器質的な&lt;/u&gt;関連があるはずだといった印象が私のなかで膨らんできたわけであるが、それが具体的にどのような&lt;u&gt;誘因&lt;/u&gt;によったのかは、今日ではもう定かでなくなっている。ただ、こうした印象が出来あがるのに、理論面での予断といったものがいっさい関与していなかったことは&lt;u&gt;確かといえる&lt;/u&gt;。&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://www.amazon.co.jp/ãã­ã¤ãå¨é-9-1906-09å¹´-ãã­ã¤ã/dp/4000926691/ref=pd_sbs_b_title_1&quot;&gt;&lt;strong&gt;フロイト全集 9 1906-09年 (9)&lt;/strong&gt;&lt;/a&gt; &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;フロイト(著),　新宮一成(編さん) &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;出版社:&lt;/strong&gt; 岩波書店 (2007/11) &lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>書籍・雑誌</dc:subject>

<dc:creator>freudien</dc:creator>
<dc:date>2008-05-04T10:58:25+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://freudien.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_c92c.html">
<title>精神鑑定</title>
<link>http://freudien.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_c92c.html</link>
<description>　有名事件の精神鑑定に絡んだ判決のニュースがありました。このところ関連したニュー...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　有名事件の精神鑑定に絡んだ判決のニュースがありました。このところ関連したニュースも続いています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　それぞれの被告の犯行時の精神状態の詳細以前の問題として、心神喪失の定義を、鑑定医がしっかり認識していないのではないかと思えてなりません。つまり、責任能力を&lt;u&gt;完全に&lt;/u&gt;喪失していてはじめて心神喪失の状態であって、責任能力が&lt;u&gt;著しく&lt;/u&gt;減弱している状態は心神耗弱であり、かなりの程度の減弱があっても著しいとまで言えなければ完全責任能力が認められうるということです。この点についての認識が改まるだけでも、最近出されたいくつかの鑑定結果は違ったものになったでしょうし、ずいぶんと一般にもわかりやすい整合的なものになるのではないでしょうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　最近のニュースから、精神鑑定など考慮に値しないとか、心神喪失という評価に相当する者など存在しない、といった印象を一般にもたれてしまうと、今後の裁判員制度に向けて非常にまずいと思います。精神病状態では、たとえば幻聴に命令されると逆らうことができず、自らの意志に反して自殺を試みたり我が家に火を放ったり最愛の我が子を殺めたりといった、自らの利益に反した破滅的な行為を行ってしまうことがあります。そうしたレベルの精神状態の中で他人に攻撃が向かってしまうことがありうるということは一般に理解していただきたいところです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ところで、そもそも一般論として、ある程度高い地位に就いている精神科医は、主に大学病院（重い精神病患者の入院をお断りしていることが多く、措置入院はまず受け入れない）などでの臨床経験が多いでしょうから、本当に心神喪失に値するほどの重い精神病患者を主治医として継続的に担当した経験などなさそうに思います。ですからそうした医師が鑑定医を担当してしまうと、たとえ十分な机上の知識を持って真摯に鑑定に取り組んでいたとしても、中等度の精神病状態に対しても簡単に心神喪失と判断してしまうことになってしまいそうに思います。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>心と体</dc:subject>

<dc:creator>freudien</dc:creator>
<dc:date>2008-04-29T11:30:38+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://freudien.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_2e04.html">
<title>フロイト全集9から『ヒステリー性空想、ならびに両性性に対するその関係』</title>
<link>http://freudien.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_2e04.html</link>
<description>　夢や白日夢、空想とヒステリー症状との関係についての論文です。この邦訳のなかで気...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　夢や白日夢、空想とヒステリー症状との関係についての論文です。この邦訳のなかで気になったところを挙げます。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;夜の夢では、ほかでもないこの種の白昼の空想が、複雑にされ、歪曲され、意識的な心的審級によってあえて曲解されたかたちで、夢形成の核をなしているからである。（岩波版２４２頁）&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;　意識的審級が「あえて曲解する」というと、夢の二次加工を指すように思えてしまいますが、二次加工された顕在夢が夢の核であるというのはちょっと変です。原文でここに対応する表現は単に「missverstanden」なので、「誤解する」「思い違いをする」といった意味に捉えればよく、「あえて」というニュアンスはありません。語順もいじって次のように改めたいと思います。&lt;/p&gt;&lt;blockquote dir=&quot;ltr&quot;&gt;&lt;p&gt;夜の夢では、ほかでもないこの種の白昼の空想が夢形成の核をなしているが、複雑にされ、歪曲され、意識的な心的審級からは誤解されているのである。&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;&lt;p&gt;　ところでこの論文では、パラノイアの空想についても触れられています。後年には、パラノイアについては同性愛的空想からの防衛であるとか、ナルシシズム的段階への回帰だとか言われるようになるのですが、この論文ではそうした理論にまだ到達していないためか、パラノイアについて「性欲動のサディズム＝マゾヒズム的成分」との関係に言及されていますけれど、そこらへんがこの論文の今ひとつ私にはよくわからないところです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://www.amazon.co.jp/ãã­ã¤ãå¨é-9-1906-09å¹´-ãã­ã¤ã/dp/4000926691/ref=pd_sbs_b_title_1&quot;&gt;&lt;strong&gt;フロイト全集 9 1906-09年 (9)&lt;/strong&gt;&lt;/a&gt; &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;フロイト(著),　新宮一成(編さん) &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;出版社:&lt;/strong&gt; 岩波書店 (2007/11)&amp;nbsp; &lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>書籍・雑誌</dc:subject>

<dc:creator>freudien</dc:creator>
<dc:date>2008-04-29T00:19:18+09:00</dc:date>
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